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061 潮風の香り
しおりを挟む客席からの割れんばかりの大歓声に迎えられて、ゴールへと突き進む二艇。
残る距離はついに二十メートルを切った。
ここまできたら、横にいる相手を気にしている余裕なんてない。
あとは前だけを向いて、ただ死力を尽くすのみ。
ほぼ横並び。
だが、わずかに阿蓮がリードしている。
わたしたちはそれへ必死に食らいつくだけでなく、ジリジリと追い上げさえしている。
ここにきて三人という数が活きてきた。
三人いることで単純に動力が三倍となり、疲労は三人で割るからぐんと軽減される。まぁ、その内訳が人体模型に骨格標本と小娘だから、厳密には三人分とは言えないけれど……
対して阿蓮のところはひとりきり。
すべての負担が自身にのしかかる孤独な戦い。
そのせいかこれまでのような余裕もとうに失せて、ただガムシャラにペダルを漕ぐばかり。
さすがの阿蓮も肩で息をしており、汗だくにてかなり苦しそうだ。
だからきっとイケる! 勝てる!
と、わたしたちが勝利を意識した時のことであった。
それは唐突に起きた。
ガクン。
急にペダルが重くなった。ついさっきまで軽快にシャカシャカ回転していたのが、ノロノロする。なんだか体中がギクシャクしてサビたような錯覚に襲われる。気力はまだまだあるのに、肝心の体の方がついてきてくれない。
ちがう、そうじゃない。気力や体力の問題じゃない。
ハイパーエナジードリンクの効果が切れたのだ。
とはいえ、三人が一斉に切れたわけではない。
個体差があるらしく、最初にフッと興奮状態から醒めたのはわたしである。
ジンさんとカクさんはまだ効果が持続しているみたいだけど、やはり動きが鈍くなりつつあった。もう、いつ切れたとておかしくはない。
阿蓮も限界を迎えつつあったけど、先に息切れをしたのはわたしたちの方であった。
そのせいでせっかく並んだとおもったら、じょじょに引き離されようとしているではないか。
残る距離は、あと10メートルちょっと。
わたしは低下した馬力の分を補うべく立ち漕ぎの姿勢をとった。フトモモに溜まっていた乳酸を強引に爪先の方へと押し流しつつ、小刻みに震えている自分の足を鼓舞する。体重をペダルにのせては少しでも回転を速めようと試みる。
が、それでもまだ足りない。
阿蓮のアヒルボートから引き離されないようにするのが精一杯にて、勝利へのあとひと漕ぎが足りない、届かない。
だから、わたしは……
〇
白と黒の市松模様をしたチェッカーフラッグが振られた。
二艘はほぼ同時にゴールへと駆け込んだ。
肉眼では同着に観えたもので、どちらが勝ったのかわからない。
だから勝敗は写真判定にゆだねられることとなった。
判定は『ターフビジョン』に映し出される。
阿蓮、わたし、ジンさん、カクさん、一枝さん、観客のトリたちはみな固唾を飲んでモニターを注視しては、発表されるのを待つ。
三分後、画像の解析が終わりレース結果がモニターに映し出された。
勝ったのは……
わたしたち!
小指の先ほどの僅差であった。
だが、それを諸手をあげて喜ぶほどの体力は残っておらず、三人そろって「ぜぇぜぇ」寝転がってはへたばっている。
元気なのは一枝さんだけだ。
勝つには勝ったが、精根尽きてもはや一歩も動けそうにない。
そんなわたしたちのもとへ、「あ~、負けた負けた」と阿蓮が歩いてくる。汗こそたっぷりかいているものの、膝が笑うようなこともなく、女海賊ってばちょっとタフ過ぎじゃないの。
「にしても驚いたよ。ゴール直前で失速するかとおもったのに、よくあそこから持ち直したね」
そうなのだ。
阿蓮の言った通りにて、事実失速しかけた。
もしもあそこで引き離されていたら、その時点で勝敗は決していただろう。
なのにそうならなかったのには、ちゃんとした理由がある。
じつはあの『ハイパーエナジードリンク』は炭酸飲料にて、なかなかの強炭酸でもあった。
量は355mlほどにて、缶ジュース一本分といったところ。
ビールやコーラなどを飲み慣れている大人ならばグイグイ飲めちゃう量だけど、これが子どもだとそうはいかない。ましてやわたしは炭酸飲料がちょっと苦手だったりもする。そのため全部は飲み切れなかったのだ。
五分の一ほど残していたのを思い出して、とっさにストローに口をつけてエナジーチャージを行ったがゆえの、あのラストスパートであった。
わたしからこの話を聞いた阿蓮は「ハハハ、まさかそんなことになっていたとはねえ。こいつは失敗した。今度からは微炭酸か清涼飲料のエナジードリンクを用意するとしよう」と肩をすくめて片目をぱちり。
お道化てウインクをする女海賊からは、ほんのり潮風の香りがしたもので、わたしはつい鼻をひくひく。
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