青のスーラ

月芝

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223 コロナと世界の理。

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 喜色満面であった好々爺の表情が、一転して苦虫を噛み潰したように変化したのは、神竜とのお茶会が始まってから八日目の朝。
 彼の愛妻自慢からの、近頃の若い奴は……へと移行した愚痴話は、更に三日三晩も続いた。
 合計十日間も喋り続けたところで気が済んだのか、ようやくひと息ついた。

「おぉ、そういえば、何かワシに訊きたいことがあるんじゃったか。嬢ちゃんがそんな事を言っておったのを、すっかり忘れていたわ。すまんのぉ、つい話し込んでしまった」

 申し訳なさそうな顔をする白髪の老人。
 瞳の金色がなければ、とてもこの人物が神竜の化身だとは信じられないほどの、お喋り爺さんだった。もしかしてドラゴンたちが寄り付かないのって、話が長いのが原因ではなかろうか。しかし懸命に眠気に耐えただけのことはあった。これでようやく本題に入れる。はるばる世界の果てまでやってきたのは、すべてこの時のためなのだから。

《訊きたかったのは、オレ自身のことです》
「ふむ。それはスーラについてかの? それともヌシのことについてかの?」
《両方です》
「そうさなぁ、まずはムー殿についてじゃが、それはスーラなのに知能が高い、というか前世の記憶があるということであろうが、はっきり言ってソレに意味はない」
《意味がない?》

 彼はオレが前世の記憶持ちだということを知っていた。おそらくティプールさんからでも聞き及んでいたのだろう。彼女にはすべて打ち明けてある。あとこの事を知るのも、今となってはコロナぐらいであろう。だがそれよりも自分の存在を否定されたかのような発言に、思わず前のめりになってしまう。

「完全に偶然の産物ということじゃ。多くの者らが誤解しておるようじゃが、そもそもこの世界に運命なんぞというモノは存在しておらん。すべては様々な因子が複雑に作用しあって生まれた結果に過ぎんのだ。たとえ女神であろうとも、きっかけを与えることは出来ても、経過や結末を望み通りに導くなんて芸当は不可能じゃ」

 運命はないと言い切る神竜。
 しかしオレはかつて、その運命を弄ぶ魔女と対峙したことがある。彼女についての疑問もぶつけてみたが、それは「超々高度な未来予測」と言われてしまった。人の身には過ぎた神の御業、だがソレをもってしてさえ、完璧な未来を捉えることなんて適わない。

「……それは、すべては自身の選択に委ねられている、ということでしょうか?」
「おっ、コロナちゃんは理解が早くて助かるの。ドラゴンの若造の中にも頑迷な奴がいて、まるで自分が選ばれた存在だと勘違いした奴が多くてなぁ。ドラゴンに生まれるのもスーラに生まれるのも偶々だっていうのに。そこになんら意図も意味もない。すべては等しく同じ命であるだけのことよ」

 この話を聞いたコロナが何やら考え込んでしまうも、オレはとりあえず話を進める。

《そうだったんですね……、わかりました。それでスーラについてなんですけど、自分でも色々と検証してみたのですが、どうにもわからないんです。飲まず食わずでも平気だし、無駄に丈夫だし、魔力量は豊富で、その気になったら大抵の事が可能です。ですが何よりも変だと思っているのが、他の生物のほとんどから無視されるということです。いくら危険がないと分かりきっているとはいえ、あまりにも露骨です》
「あー、その辺のことはワシから話してもいいんじゃが、後で張本人に直接、訊ねるがよかろう」
《張本人? それは一体……》
「スーラを産み出した奴じゃよ。お主らもよく顔を会わせているハズじゃが」

 神竜の発言にオレとコロナの目は点になる。
 スーラを造り出した存在、そんなことを成したような超常的な存在には、一向に心当たりがなかったからだ。

「ほれ、夜空に浮かんどるじゃろうが、アレじゃよ」

 神竜が示したのは紅い月であった。

《月が産みの親ってことは……、もしかしてアレもスーラなんですかっ!!!》

 あまりのことに狼狽えるオレたちを見て、してやったりと愉快そうに爺さんが笑う。だが衝撃は更に続く。

「ご明察、その通り。この世界最大のスーラじゃな。あれが、ペッと吐き出して地上に落ちたのが普通のスーラとなる。ちなみに海の七割もスーラじゃよ。海水に混ざって複数のが寄り集まって存在しておるから、もはや生命体としては別物に近いがな。あとは確かデカい湖になってるのもおったかの」
《海までスーラって……あれ? だったら、もしかして黒い怪物が海に喰われたように見えたのって……》
「黒い怪物? どれ、少しムー殿の記憶を視せてもらうぞ」

 神竜の金の瞳が、一層の輝きを放つ。
 ほんの瞬きほどのことであったが、その時にオレの中のすべてが覗かれたのを理解した。だが不思議と不快感はない。むしろこれまで独り抱え込んできた全てを吐露したことによる、解放感の方が強かったからである。
 オレの記憶を垣間見て、黒い怪物に関する出来事を知った神竜が、ふむふむと一人ごちている。

「なるほどのぉ、そんなことがあったのか……。ムー殿の考え通りだの、この黒い奴は海に溶けたんじゃない、喰われたんじゃよ。これは海のスーラに不浄物扱いされたのじゃな」
《不浄物扱いですか》
「海はアヤツの領域じゃからな。自分の家を汚されたら誰だって嫌じゃろうて。アヤツにしてみれば玄関先で、いきなり立ち小便でもされた気分じゃな」
《海の方はそれで説明がつきますが、だったら黒い怪物はどうして海水を最初から嫌がっていたのでしょう》
「そっちも簡単じゃな。コロナちゃんが持っている珠や海水から、すぐに相手が自分よりずっと格上だと理解しただけよ。小山と大洋では相手にもならんからな。本能的に気配を察知して、ビビったのであろう」

 事もなげな神竜、だがオレの頭はすでにパンク寸前である。
 月も海もスーラって、それじゃあ、まるでこの星は……。
 ある考えへと思い至り、オレは愕然となる。そんなオレに向かって神竜は、はっきりと言い切った。

「これで分かったじゃろう。確かに我らドラゴンは生態系の頂点に君臨しておる。だがこの星の真なる支配者はスーラなんじゃよ。ここはスーラの星なんじゃ」

 次々と告げられる衝撃の事実に頭がついてこない。
 呆然となっているオレをよそに、ずっと何やら考え込んでいたコロナが、おもむろに口を開く。

「先ほど神竜さまな『すべては等しい命』とおっしゃいました。でしたら私は何なのでしょうか? 私は人の手によって造られた存在にしか過ぎません。でも私は生きています」

 自分の手を開いたり閉じたりしながら、そんな事を言い出すコロナ。声の調子は普段と変わらない。でもそこに込められた想いは、とても強いと聴く者に感じさせた。
 黒いオカッパ頭の自動人形に向けられる、好々爺の眼差しには慈愛の光が燈っている。

「ホホホッ、さっきから何やら小難しい顔をして考え込んでいるかと思えば、そんなことで悩んでおったのか。誰の手によって生み出されたのかなんて関係ないんじゃよ。世に生まれ、己の足で立ち、考えて行動している、それはもう立派な一つの命じゃ。体が機械? 思考も予め組まれたモノ? そんな事は些細なことじゃ。ワシやそこのムー殿、それに地表に溢れる、あらゆる命となんら遜色のない存在、それがコロナちゃんじゃよ」

 神竜と自動人形とのこの会話を耳にして、オレはハッとなる。
 オレはなんて駄目なマスターなんだろう。何が子守りのつもりだよ。自分のことばっかりで全然、相棒のことを考えていなかった。彼女が密かに抱えていた悩みに気付いてやることが出来なかった。ちょっと考えればわかりそうなものなのに。
 彼女は賢い。オレがスーラであることに悩んでいたように、コロナが自動人形である我が身に、疑問を抱いたところで不思議はなかったのだ。それだというのにオレって奴は……。

 自身の不甲斐なさに萎れていると、対照的にすっきりとした顔のコロナが「どうかしましたか、マスター?」と声をかけてきた。とりあえず謝っておくも、訳が分からないといった風に、小首を傾げられてしまった。そんな青いスーラと自動人形とのやりとりを微笑まし気に眺めている、神竜の化身たる白髪の老人。
 なおも細々とした問答を続けながら、世界の理を知っていくオレたち。
 じきに陽が暮れて夜となる頃、神竜がオレたちを誘って神殿の屋外へと向かう。
 長い階段を昇りきった先には広々とした展望台があって、そこから見上げた夜空には紅い月がいて、煌々と下界を照らしていた。


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