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126 災厄の魔女編 放たれし歪
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その日、王都は濁流に飲み込まれた。
しばらく長雨が続いていた。
これにより運河の一部が決壊し、新たな流れが派生する。
溢れ出した水は勢いのままに突き進む。
向かった先には、森林伐採により剥き出しになっていた山肌が、土砂崩れを起こしていた場所があった。
急流は崩れた山の残骸により進路を転じる。
谷間へと入り込み、そこにあった村を呑み込んで、更に勢いを増していく。
濁流が刃のように地面を削り、農業用水としてあちこちに急造した貯水池の堤を破り、その中身が次々とぶち撒けられては、流れと混ざり合っていく。
まるで糸を束ねて一本の丈夫な紐を拵えるかのように、徐々に流れが太く苛烈になっていき、やがて王都へと押し寄せる。
何故か閉じられてあったはずの城門の一つが開いていた。
そこへと吸い込まれるようにして、泥水がどっと入り込む。
ぐるりと周囲を堅牢な高い壁に囲まれた王都内を大量の水が駆け巡り、建物を倒壊させ、逃げ場のない人々を容赦なく飲み込んでいった。
城にあった塔の上から、この惨状を目の当たりにして王様は叫んだ。
「どうなっている! 城門を閉じておけば水難を逃れられるのではなかったのか? それが何故開いている! ルインを呼べ、今すぐにっ!」
狂ったように喚く王、その形相に慌てて駆けていく側用人たち。
しかし彼らが城内をいくら探せども、彼女の姿は見つからなかった。
それもそのはずである。ルインは幾つかの手配を済ませた後、城門の一つを魔眼のチカラにて開けさせると、そのままの足で王都を脱出していたのだから。
彼女は王都を遠くに見下ろせる場所から、都が汚泥の底に沈んでいく一部始終を眺めていた。
数多の命が消えたというのに、特になんの感情も浮かんではこない。
「……そういえば、あそこにお母さんたちもいたわね。すっかり忘れていたわ」
ふとそんな事を思い出す。
ここまで来るのに三年もかかってしまった。
初めてにしては上出来だと思う反面、もう少し上手くやれたのではという後悔もある。
「まぁ、いっか。次は頑張りましょう」
少女はすぐに気持ちを切り替える。すでに雨は止んでいる。曇天は次第に薄れていき、雲の隙間から光が差して、王都の上空に虹をかける。
それを見てルインが「あら素敵」との感想を口にした。
このわずか一両日中に、早くも近隣諸国に、この国の現状が伝わり情報が拡散される。
ルインが都を去る前に、各国宛てに書状をしたためて、送るように手配したからだ。
一部決壊したとはいえ使えそうな運河があり、まだまだ埋蔵量が見込める鉱山もある。人間は奴隷にすればいい。そこそこの広さのある農地は、普段ならば犠牲を払ってまで奪う価値はないが、今の王都は壊滅状態。とてもではないが軍を動かせられないので、簡単に手に入る。
他国からしたら、さぞや旨そうな獲物に映ることであろう。
国だけでなく賊の類も殺到する。それにモンスターたちだって黙ってはいない。
更にはあれだけの洪水に見舞われたのだ。後にはきっと疫病が発生することだろう。それは周辺にも伝播していく。
この国を襲う受難は、これからが本番なのだ。
「これらを退けることが出来たら、真の賢王なのだけど……、まぁ、無理でしょうね」
ルインの言葉の通り、王国はわずか一年を経ずに、地図上から姿を消すことになる。
王の最期は怒った民衆らに追い立てられた末に、足を踏み外してドブに嵌って溺れるという、哀れなものであったという。
王国の未来を決した後に、ルインはかつて自分が居た白い施設を訪れていた。
あの頃の輝きはすっかり失われており、色はくすみ、天井はところどころ穴があき、壁はひび割れ、床は朽ち、内部にまで蔦が入り込んでいる。
とっくの昔に閉鎖された施設内を一人歩く少女。
かつては子供たちの嬌声が響いていた広い部屋を横切り、奥を目指す。
ここにいた子供たちは、彼女がチカラに目覚めた後に適当に開放した。気の毒だとは思ったが、あいにくと自分には託された使命がある。些事に関わっている暇などない。
最深部へと続く階段を降りていく。
王女様やエミリと一つになった時には気づかなかったのだが、この階段の途中には、いくつかの部屋があった。その一つで見つけた人形を彼女は取りに来たのだ。
「待たせたわね。さぁ、行きましょう。これから忙しくなるから大変よ」
ルインが語りかけたのは一人の物言わぬ大男。
彼の肌は黒く、異様に盛り上がった筋肉にて、全身が覆われている。
首から上には立派な角を持った牛の頭が乗っていた。
かつては牛の獣人であった者が、無茶な投薬実験の果てに、すっかり感情を失った代わりに、強靭な肉体を得た変異体。制御不能につき、長らく監禁されていたのを、彼女が見つけた。
理由はわからないが、何故だかルインの言うことだけには素直に従う。
だからいずれ時がくるまでと、彼女はここで彼をずっと飼っていた。
餌は問題ない。なにせここには多くの研究者や、関係者たちが詰めていたのだから。適当に縊らせて、最深部のあの部屋に放り込んでおけば、肉が思いのほか長持ちする。それに少々腐っていたところで、この子はまるで気にしない。
大男の肩に担がれてルインは施設を後にする。
これより彼女の長い旅路が始まる。
世界を救うために世界を壊す。
人々を救うために人々を殺す。
真の楽園を築くという使命のために。
それを果たすためならば、いかなる犠牲も厭わない。
だが彼女は気づいていない。己の言動に含まれる大いなる矛盾を。
一つになる前に王女は確かに言っていたのだ。
「私たちは歪に混じり合った存在なのだ」と。
千八百六十四もの魂と魔力が、無理矢理に融合したモノがまともなワケがない。
すべてを受けいれるには、人の器はあまりにも小さく脆い。
そう、ルインもまたどこかが壊れていたのである。
しばらく長雨が続いていた。
これにより運河の一部が決壊し、新たな流れが派生する。
溢れ出した水は勢いのままに突き進む。
向かった先には、森林伐採により剥き出しになっていた山肌が、土砂崩れを起こしていた場所があった。
急流は崩れた山の残骸により進路を転じる。
谷間へと入り込み、そこにあった村を呑み込んで、更に勢いを増していく。
濁流が刃のように地面を削り、農業用水としてあちこちに急造した貯水池の堤を破り、その中身が次々とぶち撒けられては、流れと混ざり合っていく。
まるで糸を束ねて一本の丈夫な紐を拵えるかのように、徐々に流れが太く苛烈になっていき、やがて王都へと押し寄せる。
何故か閉じられてあったはずの城門の一つが開いていた。
そこへと吸い込まれるようにして、泥水がどっと入り込む。
ぐるりと周囲を堅牢な高い壁に囲まれた王都内を大量の水が駆け巡り、建物を倒壊させ、逃げ場のない人々を容赦なく飲み込んでいった。
城にあった塔の上から、この惨状を目の当たりにして王様は叫んだ。
「どうなっている! 城門を閉じておけば水難を逃れられるのではなかったのか? それが何故開いている! ルインを呼べ、今すぐにっ!」
狂ったように喚く王、その形相に慌てて駆けていく側用人たち。
しかし彼らが城内をいくら探せども、彼女の姿は見つからなかった。
それもそのはずである。ルインは幾つかの手配を済ませた後、城門の一つを魔眼のチカラにて開けさせると、そのままの足で王都を脱出していたのだから。
彼女は王都を遠くに見下ろせる場所から、都が汚泥の底に沈んでいく一部始終を眺めていた。
数多の命が消えたというのに、特になんの感情も浮かんではこない。
「……そういえば、あそこにお母さんたちもいたわね。すっかり忘れていたわ」
ふとそんな事を思い出す。
ここまで来るのに三年もかかってしまった。
初めてにしては上出来だと思う反面、もう少し上手くやれたのではという後悔もある。
「まぁ、いっか。次は頑張りましょう」
少女はすぐに気持ちを切り替える。すでに雨は止んでいる。曇天は次第に薄れていき、雲の隙間から光が差して、王都の上空に虹をかける。
それを見てルインが「あら素敵」との感想を口にした。
このわずか一両日中に、早くも近隣諸国に、この国の現状が伝わり情報が拡散される。
ルインが都を去る前に、各国宛てに書状をしたためて、送るように手配したからだ。
一部決壊したとはいえ使えそうな運河があり、まだまだ埋蔵量が見込める鉱山もある。人間は奴隷にすればいい。そこそこの広さのある農地は、普段ならば犠牲を払ってまで奪う価値はないが、今の王都は壊滅状態。とてもではないが軍を動かせられないので、簡単に手に入る。
他国からしたら、さぞや旨そうな獲物に映ることであろう。
国だけでなく賊の類も殺到する。それにモンスターたちだって黙ってはいない。
更にはあれだけの洪水に見舞われたのだ。後にはきっと疫病が発生することだろう。それは周辺にも伝播していく。
この国を襲う受難は、これからが本番なのだ。
「これらを退けることが出来たら、真の賢王なのだけど……、まぁ、無理でしょうね」
ルインの言葉の通り、王国はわずか一年を経ずに、地図上から姿を消すことになる。
王の最期は怒った民衆らに追い立てられた末に、足を踏み外してドブに嵌って溺れるという、哀れなものであったという。
王国の未来を決した後に、ルインはかつて自分が居た白い施設を訪れていた。
あの頃の輝きはすっかり失われており、色はくすみ、天井はところどころ穴があき、壁はひび割れ、床は朽ち、内部にまで蔦が入り込んでいる。
とっくの昔に閉鎖された施設内を一人歩く少女。
かつては子供たちの嬌声が響いていた広い部屋を横切り、奥を目指す。
ここにいた子供たちは、彼女がチカラに目覚めた後に適当に開放した。気の毒だとは思ったが、あいにくと自分には託された使命がある。些事に関わっている暇などない。
最深部へと続く階段を降りていく。
王女様やエミリと一つになった時には気づかなかったのだが、この階段の途中には、いくつかの部屋があった。その一つで見つけた人形を彼女は取りに来たのだ。
「待たせたわね。さぁ、行きましょう。これから忙しくなるから大変よ」
ルインが語りかけたのは一人の物言わぬ大男。
彼の肌は黒く、異様に盛り上がった筋肉にて、全身が覆われている。
首から上には立派な角を持った牛の頭が乗っていた。
かつては牛の獣人であった者が、無茶な投薬実験の果てに、すっかり感情を失った代わりに、強靭な肉体を得た変異体。制御不能につき、長らく監禁されていたのを、彼女が見つけた。
理由はわからないが、何故だかルインの言うことだけには素直に従う。
だからいずれ時がくるまでと、彼女はここで彼をずっと飼っていた。
餌は問題ない。なにせここには多くの研究者や、関係者たちが詰めていたのだから。適当に縊らせて、最深部のあの部屋に放り込んでおけば、肉が思いのほか長持ちする。それに少々腐っていたところで、この子はまるで気にしない。
大男の肩に担がれてルインは施設を後にする。
これより彼女の長い旅路が始まる。
世界を救うために世界を壊す。
人々を救うために人々を殺す。
真の楽園を築くという使命のために。
それを果たすためならば、いかなる犠牲も厭わない。
だが彼女は気づいていない。己の言動に含まれる大いなる矛盾を。
一つになる前に王女は確かに言っていたのだ。
「私たちは歪に混じり合った存在なのだ」と。
千八百六十四もの魂と魔力が、無理矢理に融合したモノがまともなワケがない。
すべてを受けいれるには、人の器はあまりにも小さく脆い。
そう、ルインもまたどこかが壊れていたのである。
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