青のスーラ

月芝

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124 災厄の魔女編 降誕

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 夜更けのことだ。不意に自室の扉が開かれる。
 マスクで顔を隠した白服の男たちが、私を迎えに来たのだ。
 この白い楽園に来てから、一年近くも経っていた。ようやくである。

「ずいぶんと待たせるのね。すっかり待ちくたびれちゃったわ」

 本心を口にすると、迎えの男たちの方がかえって狼狽える始末。
 これまで何人もの子供たちを連れて行ったというのに、何を今さらと腹が立ったが、そのことはあえて口にしなかった。言ったところで、どうしようもないのだから。

 施設のずっと奥にあった分厚い扉を抜けると奈落が姿を現す。
 男たちに連れられて、ひたすら螺旋階段を降りていく。
 上から下を覗いた限りでは、底がまるで見えない。

「今日は私ひとり?」

 訊ねたら男の一人が黙って頷いて答えてくれた。そこで子供の足だと時間がかかるし、面倒だからおぶってくれとお願いしたら、なんと引き受けてくれた。おかげで私は楽ちん。彼らにしてみれば、最後の願いを聞き届けるみたいなものかしらね。私としては、単に最後の最後にしんどい想いをしたくなかっただけのこと。
 実際、農村育ちのエミリと違って、私は虚弱な街娘だから体力に自信ないしね。
 男たちが足早やに階段を降りていく。
 もしかしたら彼らも嫌な事は、さっさと終わらせたいのかもしれない。
 奈落のように見えた穴にも底はある。
 じきに最深部へと運ばれた私の身柄は、そこで待ち構えていた神官のような衣装を着た面々に引き渡された。
 背負ってくれた相手にちゃんと礼を述べようかと思ったが、それは止めておく。
 だってヘンに彼の良心を刺激して、罪悪感を煽っても気の毒だしね。だから軽い会釈だけで済ませておこう。

 最深部は車輪を横倒しにしたような形の部屋になっていた。天井があまり高くないので閉塞感があって、少し息苦しい。
 床には巨大な魔法陣が描かれてある。
 一団に促されて中央へと向かうと、そこには一人の女の子が椅子に腰かけていた。
 ヒラヒラがたくさんついた豪華なドレスに身を包んでいる。
 まるで王女様みたいと思わず呟くと、集団の中で一番偉そうにしていた白髪の老人に肯定された。

「君は今からあの方の一部になる」

 厳かな声で語る老人。
 勿体ぶった言い方をしているが、ようは私が死ぬということだ。その結果だけは変わらない。

「そう……、ようやく、このクソみたいな世界からおさらばできるのね。あー、しんどかった。とっとと、やってちょうだい」
「…………わかった。すぐに始めるとしよう」

 老人の声を合図に男たちが準備を整える。
 といっても椅子で鎮座している王女様の向かい側に椅子を置いて、そこに私の体を固定するだけのこと。
 すぐ近くで向かい合わせになった彼女の目を見て、ギョッとする。
 ちゃんとこちらを見ているというのに、そこにはまるで意志の力が感じられない。綺麗なのにどこか空寒しい、無機質なガラス玉のような瞳。私はこれに似た目を知っている。これは絶望して、すべてを諦めた人間の目だ。あのクソ溜めのような場所で、同じような目をした奴を何人も見てきた。でも、そのどれよりもこの人の瞳は酷い、だけど……。
 どこまで堕ちようとも、人は人であることを捨てられない。どんなに捨てようとしたところで、みっともなくしがみついてきて離れてくれない。いっそ人であることを放棄できたら、どれだけ楽になれるだろうか。だからこそみんな苦しんでいるのだ。もちろん私だってそうだ。どれだけ感情を殺し、無関心を装ったところで、すべては誤魔化しきれない。嫌で嫌でたまらないのに、心がザワついてしようがない。
 でもこの人は違う。怒りも悲しみも諦めも、そして絶望さえも、そこには存在しない。
 完全なる虚ろな世界が、王女様の瞳の奥にどこまでも広がっていた。
 あまりにも異質、あまりにも異様、見ているだけで肌が泡立ち、背中を冷や汗が伝う。
 なのに不思議と恐怖は感じない。むしろ私は彼女の瞳に魅入っていた。羨ましいとさえ思っていた。
 だってそうでしょう? ここまでイったら、きっとあらゆる苦悩から解放されるでしょうから。
 この一部になれるのならば、そう悪くもないわね。

 床の魔法陣が淡い光を放つ。
 私の体から何かがズルリと引きずり出されて、目の前の彼女の中へと取り込まれていく。すぅーと気が遠くなっていく。視界がぼやけ始めたかと思ったら、すぐに私の意識とプツンと途切れた。



「ルインちゃん、ルインちゃん」

 気がついたら目の前で私の名を呼ぶ、エミリの顔があった。
 ただし目玉がない。二つの穴がぽっかりと開いている。

「ここ……は……」
「ここは私たちの魂が混じり合う場所です」

 答えたのは先ほど私の前に座っていた王女様。いつの間にかエミリの姿が消えて、彼女に替わっていた。こちらもやはり目玉がなくて、虚ろな穴が二つ並んでいる。

「私は死んだの?」
「いいえ。貴女は死んではいません」

 王女様の説明によれば、子供たちは正しい意味では誰も死んでいない。魔力と魂が彼女に吸収され、融合された状態で生きているという。私で千八百六十四人目になる。
 施設の連中も当初は単純に彼女の魔力を増やして、強力な兵器と成すことを目的としていたらしいのだが、どこまでも吸収できるがゆえに、王にも偽ってより高みを目指す研究へと、密かに移行しているとのこと。彼らは神にも等しい存在を、自分たちの手で作り出そうと目論んでいるというのだから呆れる。

「そんなくだらない理由で、私たちは殺されちゃったの? バッカじゃないの!」
「ええ。本当にどうしようもないほどに、愚かな人たちなのです」
「とはいえ、どうしようもないと?」
「……これまではそうでした。私に出来たのは見ていることだけ。でも貴女が現れた」
「それはどういう意味?」

 千八百六十三もの魂と魔力が歪に混じり合った存在を、恐れることなく、受け入れたのはルインただ一人。そして彼女には自分でも気づいていなかった、ある能力が秘められていた。二つの異能が混ざることで第三の能力が産まれる。

「不本意ですが、彼らの求めた力の一端が顕現します。その力を使って、どうかこの愚かな行為をやめさせて下さい」

 それだけ言うと王女様の姿は闇に溶けて消えてしまった。
 変わりに再びエミリが姿を現す。

「やっぱり私の目は確かだったのね。初めて会ったときから、タダ者じゃないって思ってたもの」
「エミリ……」

 久しぶりの再会に思わず涙ぐんでしまった私の頭を、優しく撫でるエミリ。

「大丈夫。みんながついてるから。ルインちゃんは一人じゃない。だから一緒に頑張ろう。こんな悲しい世界、ちゃっちゃとぶっ潰して、本当の子供たちの楽園を作るの」
「うん。私、頑張るから、だから……」

 だから今度は本当の友達になって。
 私の言葉を聞いたエミリがにっこりと微笑む。
 出会った時と同じように、屈託のない笑みを浮かべたまま、彼女の姿は闇に滲んでいく。慌てて伸ばした私の指先は空を切る。ついにエミリも消えてしまった。
 いいえ、消えたんじゃない。私たちは溶け合って混ざり合って一つとなるのだ。
 喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、絶望も希望も彼らが持っていた全てが、私の中に流れ込んで、感情の濁流となり、激しい渦を作る。やがてその中心部にひときわ黒い珠が出現する。
 ここに千八百六十三に、王女様と私の分を含めた魔力と魂が一つとなった。



 私はゆっくりと瞼を開ける。

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