青のスーラ

月芝

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85 鬼婆

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 アンケル爺の管轄している街には、必ず孤児院がある。
 残念ながらこの世界の命はわりと軽い。
 王都や領都ならば、安全もそこそこ確保されているが、辺境に行けばかなり危うい。どこにでも賊やらモンスターは出没するし、街道沿いの移動中だって油断はならない。この世界の住人、全員が全員戦えるわけじゃないし、病気や怪我だってある。良い奴も多いけれども悪い奴も少なくない。だから哀しいことに孤児の数も自然と多くなる。
 これを放置すれば、いずれは社会に刃を向ける存在になりかねない。
 事実、孤児からスラムを経て犯罪者に身を落とす一連の流れが、社会の根底には存在している。それらの道筋を徹底的に排除している爺の管轄地域こそが、この世界にとっては異質と言えなくもない。
 そんな爺が設置する孤児院は、当該地区内に複数設けるのが常となっている。
 一つじゃ足りないというのが主な理由だが、何より教育や思想が偏ってしまうからという意味合いも強い。
 幼子らはとかく側にいる大人の影響を受けやすい。一か所にまとめて面倒をみると、そこに入る子供たちは、みんな同じ考え方をするようになってしまう。それではダメだと爺は考えているのだ。いろんな種族が肩を寄せ合って生きているこの世界、凝り固まった頭では生き残れない。多様性を育むためにも分ける。労力も分散されて職員も楽だし、子供たちの居住スペースに余裕も生まれる。箱詰め状態の劣悪な環境で育てるなんて、公費を投じて悪意の花を育てているようなもの。百害あって一利なし。
 そんなわけで爺の管轄下の孤児院では、衣食住の確保のほかに、併設する学び舎で基礎教育も施している。

 ……なのに、である。一軒だけ見た目がかなりボロい孤児院がある。
 建物の外壁だけじゃなく、子供たちが着ている服も継ぎ接ぎだらけ。
 院長は鬼ババアと子供たちから恐れられており、彼女の怒鳴り声が聞こえてこない日はない。
 他所と比べると明らかにおかしい。
 予算はどこも同じ、わりと潤沢、なのに待遇に明確な差がある。もしや横領にでも手を染めているのでは、という黒い噂が絶えない人物。
 初めて目にした時には、オレも驚かされたものである。
 あんまりにもここが他の院と違うから。
 他の所の子たちは敷地内の運動場などで元気に遊んでいるというのに、ここの子たちはみな何らかの手伝いをさせられている。あちこちの掃除をしたり、草抜きをしたり、洗濯物を干したり、壁の補修をしたり、空いている土地を耕し畑の世話をしたりと、とにかく忙しい。
 仕事を任せられない幼子には、年長がついて面倒を見ている。
 傍目にも大人の職員の数が少ない。たぶん他所の三分の一といったところか。
 院長は目つきの鋭い皺だらけの痩せた老婆。元シスターという話だが、どう見ても山姥にしか見えない。

 オレも初めは噂を鵜呑みにし、彼女の姿から勝手に憤慨していたが、よくよく観察してみると、それがすぐに自分の勘違いであることに気がついた。
 たしかにここの院長は子供を怒鳴る。でも手を上げることは絶対にない。
 言葉遣いは厳しいが、言っている内容は理路整然としている。何がどうしてそうなったのか、何がいけなくて、何をどうすれば良かったのか、それをキチンと説明している。ただし言い方はキツイけど……。
 院長は相手が子供だからといって、自分よりも低く見ない。対等な人間として扱っているのだ。もっともそれが当の子供たちに伝わっているかは不明だが……。
 子供たちに仕事をさせているのも、単なるお手伝いというよりかは、色んなことを経験させているだけのよう。ただし仕事にはいささか厳しいけど……。
 継ぎ接ぎだらけの服にしたって、子供たちに裁縫を習わせるため。小さい子が抱いているヌイグルミなんかも孤児院でのお手製みたい。
 壊れた椅子や床の補修なんかの簡単な大工仕事もやらせる。それも危険な道具を扱うときには、ちゃんと見守っている。もっとも子供からすれば見張られていると、感じているだろうが……。
 食事にしたって無闇やたらに腹一杯になんてさせない。きちんと栄養バランスと必要な量を考えて与えている。
 職員の数にしても必要最低限にしているのは、子供たちの自主性を重んじてのこと。
 厳しいのも甘やかさないのもケチなのも、すべては子供たちの将来のため。
 ここでは万事がこの調子。
 しかも浮いた予算はちゃんと子供たち名義でコツコツ貯金しており、彼らが卒業するときに、新生活の支度金として渡しているという徹底ぶり。
 こっそり帳簿を調べてみて驚いたわ。婆はワンコインたりとも自分の懐になんて入れちゃいない。それどころか足りない分は、自腹で払っている形跡すら見られる始末。
 養子の口があっても相手の家を徹底的に調べてからでないと、決して受けない。例え裕福な家や貴族からの申し出であったとしても。
 暇を見つけては、ちょこちょこ職員に院を任せて出かけているから後をつけたら、方々のギルド支部や商会や工房に出向いては頭を下げて、じきに卒業を迎える子供たちの就職先を探したり、売り込みをしたりと忙しい。
 近所に流れる悪い噂にしたって、周囲の連中が近過ぎて目先のことしか見えていないから生じているだけのこと。

 道理でアンケル爺が何も言わないはずだ。ちゃんと彼女の人となりを理解した上でここを任せていたんだな。
 おっさん泣いたわ。
 大切なモノを守るためにあえて鬼になる。この院長、すげえお人だ。
 たとえ嫌われようとも、子供たちの未来の選択肢を増やしてやるなんて。
 誰だ? 山姥とか失礼なことを言った奴……、オレだよ。本当にすまんかった。アンタめちゃくちゃいい女だよ。

 ……で、だ。こういう実情を知っちゃうと、世の中の見方がガラリと変わっちゃうわけよ。地獄に見えていた場所が実は天国へと続く階段だったり、天国だと信じ込んでいた場所が実は奈落一歩手前だったりと。
 そこで数ある孤児院の中でも評判のいい場所を、オレは観察してみることにした。
 優しさに包まれた世界が、果たして子供たちにとって、真の幸せへと繋がるのかという疑問を抱いたからである。


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