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1 制御不能
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名前は思い出せない。
シュッとしたイケてるおっさんだったことは覚えている。
……すまん嘘だ。ちょっと見栄を張った。
本当はどこにでもいる草臥れ気味のおっさんだった。
毎朝、枕元の抜け毛の量に慄き、会社の女の子たちに嫌われたくない一心で、体臭に気を使いつつ、電車では痴漢冤罪が怖いので女性には近づかない。社内ではセクハラに該当しないように言葉には細心の注意を払い、ほどほどに上司にへつらい部下の前で格好をつけちゃう。なにかと周囲に気を配りつつ日々の荒波を乗り切っていた普通の会社員。
独身だったり、三年越しの着古した背広姿なんかは思い出せるが、自分の顔ははっきりしない。頭は剥げてなかった思う。夕方になると無精ひげが見苦しい。
酒はほどほど、甘いモノも嫌いじゃないし、煙草も吸う。年々肩身の狭くなる喫煙状況と、一方的な値上がりに声にならない悲鳴を上げていた。
会社とアパートの往復の日々、休日は部屋でゴロゴロ……、あんまりにも不毛な休日に色々と趣味に挑戦してはみたものの、どれもモノにはならず、広く浅く触れて中途半端で放り出すの繰り返すし。あー、プラモデル作りはわりと得意だったかも。
《うんうん。わりとどうでもいい事ばかり覚えている》
すっかり夜になっていた。
月が明るい。そして大きい。しかもなんか紅い。
オレの知ってる月とは完全に別物だ。
オレはドラゴンと遭遇した泉の水辺にある大岩の上にまだいる。
……というか、あれから一歩も動けていない
どうしてかって?
体が動かないからだよ! 絶賛金縛り状態が継続中だよ!
その原因も残念なことに判明している。
月明りの下、静かな水面に映る自分の姿。
それはまるで、お菓子メーカーば悪ふざけで作った巨大なグミのようであった。
旅先で見かけたら、テンションに任せてネタで買ってしまうかもしれない。
極めて遺憾ながらコレが現在のおっさんの姿である。
ドラゴンが空を飛び、紅い月が怪しげに光るファンタジーな世界、転がるグミっぽい物体。
そこから導き出される答え……。
《スライム》
その言葉が自分の中にすとんと落ちてきた。
あぁ、自分はそうなのかと妙に納得してしまった、出来てしまった。
スライム、それはRPGの定番、雑魚モンスターの代名詞ともいえる存在。
ゲームといえば格闘やら横スクロールアクションばかりプレイしていたオレでも知っている、メジャーな底辺モンスター。
ひとまず夜空に浮かぶ月を見て深呼吸、一拍置いて再度水面にて確認。
うん、そこには変わらず巨大なグミが映っている。
これはもう認めざるを得ない。
吾輩はスライムである、と。
しかもドラゴン、紅い月、スライムとくれば、こりゃあもう異世界確定だな。
挙句におっさんがスライムとくれば、普通に考えれば転生モノか。
昨今、ファンタジーと言えば異世界転生モノが大流行なのだと、会社の若い娘に教えてもらったことがある。
諸事情によって異世界に転生する主人公、生まれ変わるのは貴族の子やら村人やら奴隷やら獣人やらエルフやら悪役令嬢やら、モブやらサブだけでなく、ドラゴンやらゴブリンやら犬や猫や蜘蛛など、動物から人外モンスター、時には性別が変わったり、それこそ雨後の筍のごとくバリエーションが存在しているのだとか。
もちろんスライムに該当するパターンも、とっくに開拓されている。
そんな主人公たちが前世の記憶やら、神様に貰ったチート能力やらを武器に、異世界にて大冒険を繰り広げるのだ。
おっさんも会社の若い娘に勧められるままに、ネット小説やら書籍を読んだことがある。
ご都合主義と惚れっぽいヒロインたち、節操のないハーレム展開に、パワーインフレの激しさに辟易する作品も少なくなかったが、総じて個人的には楽しめたと思う。小難しい理屈は抜きにして読めるので、娯楽としては充分に成立していたと思う。
年甲斐もなくワクワクしたのも、今となってはいい思い出。
そういえばあの娘はどうしているのだろう……、好きなことは雄弁に語るくせに、普段は少し引っ込み思案な後輩、能力はあるから任せる仕事とのマッチングさえ噛み合えば、きっと成果が出せるはず。元気にしているといいのだが……、などとちょっぴり郷愁に浸ってみる。
わかっている。現実逃避だ。
そして冒頭に戻る。うん、動けない。相変わらず体はうんともすんともいわない。
どうしてかって?
それはきっとオレがスライムだからだよ!
例えば犬がいきなり人間になったら、鳥が魚になったら、亀がチーターになったら、子供が大人になったら、またはその逆になったとしたらどうなるか。
答えは動けない、だ。
犬は二足歩行での生活を知らない。鳥はヒレの曲げ方も水中の泳ぎ方も知らない。亀は早くなった走行スピードに意識がついていけなくて、きっと派手にすっ転ぶ。子供は大人の視線の高さに戸惑い怯え、大人は子供の頭の重さにたたらを踏む。そして人間がスライムになってしまった状態のオレは、ピクリとも動けなくなってしまった。
事故や病気などで片足や片腕を失うと、重心が狂い体幹がズレ、これまで通りに動けなくなるという。体の一部を失っただけでも影響は全身に及ぶ。それを克服するためには大変なリハビリを要する。なのに全身丸っと交換された日にゃあ、完全にお手上げ状態である。
オレはスライムの体の動かし方なんて知らない。
前世の記憶を思い出すほどのに、ガツンときたドラゴンとの接近遭遇。
よっぽど衝撃的だったらしく、オレの中のスライムとして生きてきた諸々が、どこかに吹き飛んでしまったみたいだ。もしくは……。
《もしくは前世の記憶に現世の記憶が上書きされた?》
なんにしても酷い話である。
ドラゴン、転生、スライムの三重苦どころか、まさかの動けないというオマケ付き。この世界、おっさんに対して厳しすぎないかい?
打開策を考えるべく、うんうんと頭を捻るオレ。
だがこのときオレは失念していた。ここが森の中だということを。
基本的に野生の存在は夜になると活発に動くモノも多い。
そこかしこに漂い出す怪しい気配、ちらちら見え隠れする不穏な影。そして現在、オレはまったく動けない。
どうやら今夜は長い夜になりそうだと、おっさんはひとりごちる。
シュッとしたイケてるおっさんだったことは覚えている。
……すまん嘘だ。ちょっと見栄を張った。
本当はどこにでもいる草臥れ気味のおっさんだった。
毎朝、枕元の抜け毛の量に慄き、会社の女の子たちに嫌われたくない一心で、体臭に気を使いつつ、電車では痴漢冤罪が怖いので女性には近づかない。社内ではセクハラに該当しないように言葉には細心の注意を払い、ほどほどに上司にへつらい部下の前で格好をつけちゃう。なにかと周囲に気を配りつつ日々の荒波を乗り切っていた普通の会社員。
独身だったり、三年越しの着古した背広姿なんかは思い出せるが、自分の顔ははっきりしない。頭は剥げてなかった思う。夕方になると無精ひげが見苦しい。
酒はほどほど、甘いモノも嫌いじゃないし、煙草も吸う。年々肩身の狭くなる喫煙状況と、一方的な値上がりに声にならない悲鳴を上げていた。
会社とアパートの往復の日々、休日は部屋でゴロゴロ……、あんまりにも不毛な休日に色々と趣味に挑戦してはみたものの、どれもモノにはならず、広く浅く触れて中途半端で放り出すの繰り返すし。あー、プラモデル作りはわりと得意だったかも。
《うんうん。わりとどうでもいい事ばかり覚えている》
すっかり夜になっていた。
月が明るい。そして大きい。しかもなんか紅い。
オレの知ってる月とは完全に別物だ。
オレはドラゴンと遭遇した泉の水辺にある大岩の上にまだいる。
……というか、あれから一歩も動けていない
どうしてかって?
体が動かないからだよ! 絶賛金縛り状態が継続中だよ!
その原因も残念なことに判明している。
月明りの下、静かな水面に映る自分の姿。
それはまるで、お菓子メーカーば悪ふざけで作った巨大なグミのようであった。
旅先で見かけたら、テンションに任せてネタで買ってしまうかもしれない。
極めて遺憾ながらコレが現在のおっさんの姿である。
ドラゴンが空を飛び、紅い月が怪しげに光るファンタジーな世界、転がるグミっぽい物体。
そこから導き出される答え……。
《スライム》
その言葉が自分の中にすとんと落ちてきた。
あぁ、自分はそうなのかと妙に納得してしまった、出来てしまった。
スライム、それはRPGの定番、雑魚モンスターの代名詞ともいえる存在。
ゲームといえば格闘やら横スクロールアクションばかりプレイしていたオレでも知っている、メジャーな底辺モンスター。
ひとまず夜空に浮かぶ月を見て深呼吸、一拍置いて再度水面にて確認。
うん、そこには変わらず巨大なグミが映っている。
これはもう認めざるを得ない。
吾輩はスライムである、と。
しかもドラゴン、紅い月、スライムとくれば、こりゃあもう異世界確定だな。
挙句におっさんがスライムとくれば、普通に考えれば転生モノか。
昨今、ファンタジーと言えば異世界転生モノが大流行なのだと、会社の若い娘に教えてもらったことがある。
諸事情によって異世界に転生する主人公、生まれ変わるのは貴族の子やら村人やら奴隷やら獣人やらエルフやら悪役令嬢やら、モブやらサブだけでなく、ドラゴンやらゴブリンやら犬や猫や蜘蛛など、動物から人外モンスター、時には性別が変わったり、それこそ雨後の筍のごとくバリエーションが存在しているのだとか。
もちろんスライムに該当するパターンも、とっくに開拓されている。
そんな主人公たちが前世の記憶やら、神様に貰ったチート能力やらを武器に、異世界にて大冒険を繰り広げるのだ。
おっさんも会社の若い娘に勧められるままに、ネット小説やら書籍を読んだことがある。
ご都合主義と惚れっぽいヒロインたち、節操のないハーレム展開に、パワーインフレの激しさに辟易する作品も少なくなかったが、総じて個人的には楽しめたと思う。小難しい理屈は抜きにして読めるので、娯楽としては充分に成立していたと思う。
年甲斐もなくワクワクしたのも、今となってはいい思い出。
そういえばあの娘はどうしているのだろう……、好きなことは雄弁に語るくせに、普段は少し引っ込み思案な後輩、能力はあるから任せる仕事とのマッチングさえ噛み合えば、きっと成果が出せるはず。元気にしているといいのだが……、などとちょっぴり郷愁に浸ってみる。
わかっている。現実逃避だ。
そして冒頭に戻る。うん、動けない。相変わらず体はうんともすんともいわない。
どうしてかって?
それはきっとオレがスライムだからだよ!
例えば犬がいきなり人間になったら、鳥が魚になったら、亀がチーターになったら、子供が大人になったら、またはその逆になったとしたらどうなるか。
答えは動けない、だ。
犬は二足歩行での生活を知らない。鳥はヒレの曲げ方も水中の泳ぎ方も知らない。亀は早くなった走行スピードに意識がついていけなくて、きっと派手にすっ転ぶ。子供は大人の視線の高さに戸惑い怯え、大人は子供の頭の重さにたたらを踏む。そして人間がスライムになってしまった状態のオレは、ピクリとも動けなくなってしまった。
事故や病気などで片足や片腕を失うと、重心が狂い体幹がズレ、これまで通りに動けなくなるという。体の一部を失っただけでも影響は全身に及ぶ。それを克服するためには大変なリハビリを要する。なのに全身丸っと交換された日にゃあ、完全にお手上げ状態である。
オレはスライムの体の動かし方なんて知らない。
前世の記憶を思い出すほどのに、ガツンときたドラゴンとの接近遭遇。
よっぽど衝撃的だったらしく、オレの中のスライムとして生きてきた諸々が、どこかに吹き飛んでしまったみたいだ。もしくは……。
《もしくは前世の記憶に現世の記憶が上書きされた?》
なんにしても酷い話である。
ドラゴン、転生、スライムの三重苦どころか、まさかの動けないというオマケ付き。この世界、おっさんに対して厳しすぎないかい?
打開策を考えるべく、うんうんと頭を捻るオレ。
だがこのときオレは失念していた。ここが森の中だということを。
基本的に野生の存在は夜になると活発に動くモノも多い。
そこかしこに漂い出す怪しい気配、ちらちら見え隠れする不穏な影。そして現在、オレはまったく動けない。
どうやら今夜は長い夜になりそうだと、おっさんはひとりごちる。
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