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0 赤いドラゴン
しおりを挟む見上げた空は鮮やかな青。
流れる雲もどこかのんびりしている。
優しく吹く風は肌に心地よい。
陽射しを受けて目の前の泉がキラキラと光り、森の木々らも枝葉を嬉しそうに揺らす。
とある森の奥にある澄んだ水が湧く泉。
それは自然の芸術が産み出した奇跡の名画。
木も草も水も土も何も特別なモノはない……なのに、それらが絶妙なバランスにて配置された自然の妙技にて、どこか幻想的な印象を見る側に与える。
いつか見た夢のような、あるいは幼い頃に母に読み聞かせてもらった絵本の中のような、懐かしくて嬉しくて、それでいて少し切ない気持にさせられる。
美しくて穏やかな……、それはそれはもう本当に穏やかな風景。
きっとここには妖精たちが住んでいるに違いない。
見る者にそう思わせるような素敵な場所。
《それなのに! それなのにっ!!》
どうしてだろう? オレのすぐ隣には真っ赤なでっかいドラゴンがいらっしゃる。
泉の水辺にある大きな岩の上で日向ぼっこをしていたら、いつの間にやら隣にドラゴン。
ワケがわからなかった。自分がどうしてこんな状況下にいるのかもわからない。まったく気づかなかった。おっさんピンチである。どうしようもないほどのピンチである。
大きなドラゴンの巨大な金色の瞳がギョロリとこちらを一瞥する。
パニックに陥りそうになっていたオレの心は、これだけで鎮静化した。
いや、正しくはオレの心と体はあらゆる活動を放棄した。
呼吸さえ忘れ、じっと固まる。よしんば動けたところでどうしようもない。
何故ならドラゴンとはこの世界の頂点に君臨する超生物だからだ。力が違う。魔力量も魔法の威力も違う。比べるのもおこがましいぐらいに何もかもが桁違いな存在……、それがドラゴン。
体表を覆う鱗は世界最高峰の防御力を誇り、煮えたぎるマグマの中だろうが、水圧のエグい深海の底だろうが構わず突き進む。きっと宇宙空間ですらもスイスイと飛べるに違いない。尻尾のひと薙ぎにて城壁や城を易々と打ち砕く。前足の爪が掠めただけで、ドワーフの名工が丹精込めて作った盾は容易く裂け、翼の羽ばたきが巻き起こす風は、嵐のように周囲を吹き飛ばす。その大きな口と立派な牙については考えたくもない。ブレス一発で山を穿ってトンネルが開通する。ましてや凶悪無比な広域魔法まで行使する。
ぶっちぎりで、この世界の生態系の頂点に君臨する王者。
ちなみにドラゴン退治の物語とか、英雄がドラゴンを従えるとかいうお話は嘘っぱち、完全な妄想の産物である。確かにドラゴンの知能は高いと言われている、意志の疎通だって可能だろうと言われている、でもそれだけだ。
よくよく考えてみて欲しい。
例えば貴方が足元でちょろちょろしている虫と、コミュニケーションを取ろうとするだろうか、まずしないだろう。それどころか気にも留めない。それぐらいドラゴンと他の生物との間には、超えようがない溝が存在しているのである。
そんな存在がすぐ隣にいるというこの状況。
ドラゴンにとっては虫どころかミジンコみたいな存在のオレに、出来ることなんて何もない。
怖いので極力目を合わさないようにしていたら、視界の片隅にてドラゴンという名の山が動いた。
太くて長い首が泉へと伸びる、その動きはとっても滑らか。
どうやらドラゴンは喉を潤すために、ここへと立ち寄ったらしい。
凶悪かつ豪快な見た目に反して水を飲む際に音を一切立てない。貴婦人がスープを飲むかのような完璧な食事マナーである。一瞬、泉へと延びたドラゴンの長い首が、素敵なレディのセクシーなうなじに見えたほどだ。
実際の時間にすればほんの十分ほどの出来事。それでもオレにとっては無限にも等しい、長く苦しい時間であった。まさしくそれは死線であったといえよう。取り乱すことなく、気を失うこともなく、漏らすこともなかった自分を誉めてやりたい。
赤いドラゴンは満足したら、さっさと空へと舞い上がって行った。
こちらを一顧だにすることもなかった。
翼がはためく音もしなければ埃一つ舞い上がらない。
みるみるうちにあの巨体が遠ざかり、やがて点となり空の彼方へと消えてしまった。
オレはそんな様子をぼんやりと見送った。
こうしてオレとドラゴンとの接近遭遇は幕を閉じたのである。
《ドラゴンまじ怖い!!》
気がついたら夕暮れ時になっていた。
世界が茜色に染まり森の陰翳が濃くなっている。水辺の風が心なしか少し冷んやり。じきに夜の帳が降りる。
放心の後、ようやく意識が戻ってくる、でも体はまだ動かない金縛り状態。
起きているときでも金縛りになれるとは吃驚である。
むきになって体を動かそうとするも、手足がオレの要請に応えてくれない。
モゾモゾと奮闘しているうちに、視線だけは動かせることに気がつく。
とりあえず周囲の様子を伺おう。
右を見て、左を見て、上を見て、前を見て、ついでに前の泉も見て、更に水面に薄っすらと映る自分の姿を見て…………うん?
《いやいやいや、そんなはずがない。きっと何かの見間違いだろう》
オレは一旦目を閉じて深呼吸、再び左右上下と同じ動作をなぞる。
最後に視線は水面へと。
しばし沈黙の後、オレは「きゃあ」と乙女ちっくな悲鳴を上げた。
水面に映るは、ひと抱えほどもある大きさの塊、謎の物体エックス。
おっさんは酷く混乱した。
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