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164 勝者なき戦い
しおりを挟む風と火の輪舞の高火力による、海の狂母のこんがり姿焼きが着々と仕上がっていく。
さりとて攻撃を仕掛けている調査隊の者らの顔に余裕はない。
むしろ焼けるほどに苦悶の表情にて、額から脂汗がだらだら流れている。
全力にて魔法を放ち、かつ仲間たちとチカラ合わせる繊細な魔力操作もさることながら、ジャニスら獣人たちを苦しめているのは、アナゴサーンから立ち昇る臭気である。
優れた嗅覚が仇となる。
風上の者はまだマシだが、運悪く風下にて配置についた者は地獄だ。涙目にて吐き気と懸命に戦いながら、魔力を絞り出さねばならぬ。
我慢のかいあってか、いつしか絶叫も聞こえなくなっていた。
アナゴサーンは沈黙する。
さすがに息絶えたかと、枝垂も安堵して胸を撫で下ろしつつ「おえっ」
するとこれに釣られて、みんなも「うっぷ」
だが――次の瞬間のことであった。
沈黙していたはずのアナゴサーンがブルブルと大きく身を震わせ、くねらせる。
てっきり最期の痙攣かとおもわれたが、じつは違う。
身を震わせるほどに、ぷるぷるした半透明のモノが体内からドバっと溢れ出す。
粘液だ!
アナゴサーンのヌメヌメ攻撃。
こちらの一瞬の気の緩みを突いては、起死回生の一手を打つ。
小さな稚魚ですら屈強な兵士の剣撃を鈍らせるほどのヌメヌメを放つ。
それが大きな母体となれば、その量は尋常ではなかった。
しかもたちまち炎がかき消されてしまう。ネトネトした性質が空気を遮断するらしく、燃焼を阻害する。
さらに最悪だったのが……
ビチャ! ボタッ! ベタリ! バサッ! ドロリ!
激しく回る竜巻から粘液が四方八方に飛び散り、降り注いできたから、さぁ、たいへん!
「うわーっ!」「ぎゃーっ!」「くさっ!」「うげっ!」「ひぃ!」「いやーっ!」「こっちくんな!」「げっ!」「くっついた!」「すべる!」「おっふ!」「気持ち悪い!」「おえっ!」
臭い粘液の無差別攻撃が炸裂し、調査隊のみなは甲板上を逃げ惑う。
うっかり頭からかぶったりしたら大惨事だ。
ちなみに枝垂は速攻で喰らった、それも連弾にて。慌てて飛梅さんが身を呈して庇ってくれたけれども、すでに後の祭りである。
肌に染み入るかのごとく、体中の穴という穴から体内へ侵入してくる臭気。
本能が拒絶する、生理的に無理!
怖気づき、全身の肌が粟立ち、毛がピンと逆立つ。
あまりの臭さと不快さにて、ついに精神が先にギブアップ。
視界が暗くなっていく。
枝垂は「きゅう」と目を回し失神した。
☆
じゃぶじゃぶ、じゃぶじゃぶ。
ごしごし、ごしごし。
洗濯をする音で枝垂は気がついた。
瞼をあけたら見知らぬ天井だった。
シャワーがあり、浴槽があり……
どうやらここはタンカーの艦橋の居住区にあった、浴室のようである。
でもって、洗われていたのは枝垂自身にて、洗っていたのは飛梅さんであった。
現在、星クズの勇者はユニットバスの中で洗剤の泡まみれとなっている。
どうやら気を失っているうちに、アナゴサーンとの戦いは終わったようだ。
でもって、粘液まみれの酷い有り様にて、タンカーのお風呂を借りたと。貯水タンクに真水が残っていたおかげで、シャワーも浴びれるという次第。
まぁ、それはさておき――
「クンクン……ねえ、飛梅さん、これってボディソープとか石鹸じゃなくて、洗濯用の洗剤じゃないかな?」
しかも粉の洗剤。
えっ、頑固なネトネト汚れなもので、アレじゃ落ちなかったからだって。
へえ、なるほど。
いちおう納得するも、肌荒れがちょっと心配な枝垂なのであった。
ジャニスたちもみなシャワーを借りたという。
けれども、それでも臭いが完全に落ちた気がしない。
互いに鼻を寄せてはクンクンとチェックをしてみたものの、みな「どうかなぁ」と小首を傾げるばかり。
すっかり鼻がバカになっているせいで、わからないのだ。
だからタンカーの周辺域にて待機してもらっていた漁船の船員らにも確認してもらったのだけれども、海の男たちはもともと臭気への耐性が強い。いちいち磯や魚、汗などのニオイに反応していては仕事にならない。
よって、「そうか? べつに気にならないが……」とのことだが、鵜呑みにしないほうがいいかもしれない。
……にしても、勝者なき戦いであった。
ジャニスをはじめとする隊員らは、「二度とアナゴサーンとだけは戦いたくない」とげんなりしており、ぐったり疲労困憊だ。
だが、まだ仕事が残っている。
すっかり粘液まみれとなった甲板の清掃と、黒焦げとなったアナゴサーンの死体の処分だ。
死体の方が漁船に頼んで、沖の方に捨ててもらうことになるだろう。
掃除の方は、このままではとてもではないが港に曳航できないから。
「さいわい掃除道具は揃っているし、ちゃっちゃと済ませて帰島しよう。あんまりグズグズしていたらエレン姫さまが焦れて、突撃してきかねんからな」
ジャニスはパンパンと手を打ち鳴らす。
それを合図として、隊員たちは重い腰をあげた。
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