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094 海のダメ亭主
しおりを挟む五階建てのビルほどもある、ぶよぶよした生き物。
八本の足をウネウネさせているそれは、大きなタコのような姿をしていた。
でも枝垂の知るタコとは違い、カラダが半透明のクラゲのようで、ところどころがチカチカ明滅している。
「なっ、あれはナムクラーゲンじゃないか! どうしてこんなところに……にしてもなんだい、あのバカでかさは……」
ナシノ女史がとても驚いてる。
理由は、あれが海洋生物だからだ。
ナムクラーゲン――
タコとクラゲを合わせたかのような海の生き物。
その性質は極めて怠惰である。日々を波に揺られて、だらだら過ごすばかり。積極的に狩りをせず、たまさか近寄ってきた獲物を足で絡め捕っては捕食するが、成功するのは三回に一度ぐらいで、狩りはあまり上手くない。
煮ても焼いても食えない。
あまりの脱力っぷり、やる気のなさから、巷ではダメな亭主のことを「このごく潰しのナムクラ野郎が!」なんぞという言い回しがあるほど。
よって海の生き物にしては、危険度はかなり低い。
が、まったくの無害でもない。
なにせ微弱ながらも毒を持つから。
その毒というのもたいしたことはない。ちょっとカラダが痺れる程度である。刺されたところが腫れたり、痒くなったり、痛むこともない。
ただし、刺されるとしばらくの間、著しくやる気が低下するのが困りもの。
ダメっぷりが伝染するのだ。バリバリ働くモーレツな者も、たちまちだらけてぐったりする。
このことからかつてはナムクラーゲンの毒を抽出し、心身のストレスを軽減する薬を作ろうとした試みもあったが、いつのまにやら研究が立ち消えになっていた。
どうやら途中で研究者たちが、毒気に当てられてやる気をすっかり失ってしまったらしい。
まぁ、それはさておき……
ナムクラーゲンは、ふつう全長五メナレほどの大きさしかない。
でも、いま暴れているあれは優に二十メナレはあった。
おそらくは禍獣化した個体なのであろう。
海の禍獣は手強い。
とはいえ元がナムクラーゲンでは、等級はせいぜい青銅級から黒鉄級の間といったところか。脅威度はさほどではないはず。
ナムクラーゲンの禍獣がいつになくやる気をみせて狙っているのは、ハチノヘの巣であった。どうやら彼らが集めた蜜がお目当てらしい。
何かのひょうしに海にはない甘味を知って、すっかり味を占めたか?
もちろん襲われているハチノヘ側とて黙っちゃいない。
ブブ~ンと多勢が巣より飛び出しては、ナムクラーゲンに群がり懸命な抵抗を試みている。
けれども、ぬるぬした体表にはばまれろくに攻撃は通らず、なおかつ毒のせいで向かったはしから、やる気を失ってしまう。
結果、怠けるハチノヘが続出するという体たらく。
それを横目にナムクラーゲンは連立しているハチノヘの巣のひとつに取りつくと、これをちゅうちゅう、蜜を吸いはじめた。
ハチノヘのはちみつは幻のはちみつと呼ばれる最高級品である。中央五ヶ国の王族ですらもがめったに口にすることが出来ない。その希少性から同量の砂金と取引されるほどだ。もちろん、味も香りも栄養も極上である。
そんなシロモノを、さも安酒を呑むかのごとく、グビグビと。
ズズズズズズズズ……
もの凄い吸引音が海底大空洞内に鳴り響く。
吸われている巣がみるみる萎れていく。
一方でナムクラーゲンは高カロリーなハチミツを大量に摂取したことにより、肌が艶々となり、心なしかカラダもちょっと大きくなったような気がする。
ハチノヘたちは成す術なく、周囲をブンブン飛び回っては、これを見ていることしか出来ない。
じきに「シュゴッ」という音がして、ようやくナムクラーゲンが巣より離れた。整然としていたハニカム構造は見る影もなく、あとには絞った雑巾のようにやせ細った無惨な姿があった。
すっかりお腹が膨れて満足したのか、ナムクラーゲンは「げふっ」と甘ったるいゲップを零しては、悠々と去っていく。
一連の出来事を枝垂たちは、ただ呆然と見ていることしかできなかった。
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