15 / 29
その十五 火車
しおりを挟む火車。
地獄からの使者だとも、悪行を重ねた骸を奪い、これを喰らうともいわれている妖。
関八州を荒らしまわり、江戸市中でも火付け外道働きにて、世間をおおいに騒がしていた凶賊。
あまりの凄まじさと、その苛烈ぶりにて、彼女が通ったあとには何も残らないことから「火車」との異名を持つ女凶賊が、ついに捕まった。
いかに多数の部下を従える大盗賊とて、いささか乱暴狼藉がすぎたのだ。
以前より、躍起になって捕縛に動いていた火付け盗賊改めが、北と南の町奉行のみならず、寺社奉行にまで声をかけての大捕り物。
縄張り意識が強く、なにかと張りあい、面子を重んじる彼らにとっては異例なことである。
それだけ多方面に渡って被害が甚大にて、上からも下からもせっつかれていたということ。
同心や町方らが総出にての水も漏らさぬ包囲網を敷かれては、さしもの女凶賊もついに追い詰められてしまう。
次々と捕らわれたり、討ちとられたりする賊の仲間たち。
各地にあった隠れ家にも探索の手はおよび、しらみ潰しにされていった。
包囲網が真綿で首を絞めるがごとく、じりじりと狭まってゆく。
いっそのこと江戸を離れて上方なり、なんなら九州にでも逃げてしまえばよかったものを、火車はなぜだかそれをしなかった。
ひたすらに江戸に留まり続けては、悪事を重ね続ける。
最後の舞台となったのは、夕暮れ時の両国橋。
片肌脱ぎにて勇ましくも、多勢を相手にしての大立ちまわり。
これを大勢の野次馬たちが目撃したわけだが、その場に集った者たちみんなが目を見開いたのは、ついにお縄となって火車の覆面を剥がされたとき。
陶磁器を思わせる白い肌。
名立たる書家が筆を走らせたのかと思われるほどの柳眉。
通った鼻筋の描く曲線のなんと優雅なことか。
切れ長の瞳は、やや野趣が溢れ眼光鋭いものの、双眸は妖しくも艶めかしい。
口元に塗られた紅の赤さが梅の盛りのようであり、これらを受け止める器となる顔の輪郭もまた絶妙にて、いかなる人形師の腕も遠くおよぶまい。
あらわれた美貌が夕陽を受けて、降臨された弁天さまか菩薩もかくや。神々しくさえもあった。
あまりの美しさに、その場にいたすべての者が息を呑み、現場はまるで時が止まったかのようであったという。
◇
絶世の美貌を誇る女凶賊「火車」の名は、竜胆(りんどう)といった。
竜胆は秋に咲く青紫のかわいらしい花。桔梗に似ているが、薬の材料になるから疫病草(えやみぐさ)なんぞと古くから呼ばれてもいる。
わたしは彼女の名を瓦版にて知ったものの、あくまで当人が名乗っているだけにて、生まれや育ちなどの経歴その他は、一切不明のまま。
が、それがまた整った容姿とあいまって神秘性を増し、いっそう彼女の魅力を引き立てる。
なにせあれほどの大捕り物であり、また捕まった凶賊がとびきりの美人ともなれば、世間が騒がぬわけがない。
瓦版屋たちは連日新しいものを刷っては盛大にバラまいているし、版元らも新作の浮世絵を競うように絵師らに描かせては、それらを買い求める老若男女がこぞって店先に群がってもいるという。
真偽のほどは定かではないが、各役所には竜胆の助命歎願を求める文や差し入れなどが殺到しているんだとか。
なかには有力な大名家からも、内々に「身柄を引き取りたい」との申し出もあるというから、本当であればあきれるばかりである。
まぁ、なんにせよおかげでここのところ、江戸はとっても賑わっている。
やたらと綱紀粛正(もうきしゅくせい)と奢侈禁止(しゃしきんし)にて、やれ「贅沢をするな」と口やかましく、絞るばかりでちっとも景気を回復できない幕府よりも、とっ捕まった女盗賊の方がよほど社会に貢献しているという、この皮肉。
やったことの善し悪しはべつにして、いささか苦味が強いものの、世間にとっては案外良薬の類であったのかもしれん。
なんぞと考えていたわたしだが、よもや己がこの女凶賊とかかわることになろうとは、夢にも思わなかった。
ある日のこと。
いつものように刑場に出向いて仕事をこなした帰り際。
牢屋奉行の山脇正行さまから直接声をかけられる。
ある程度には気安い間柄とて、いつもは使いを寄越してだというのに、これはとても珍しい。
で、連れ出されたのは山脇さまが贔屓にしている料亭。
そこの離れにて鯉の洗いの梅肉添えなんぞを馳走になりつつ、要請されたのが例の女凶賊の首を刎ねる仕事。
しかしわたしは首をひねる。
なぜなら凶状からして、火炙りの刑か、あるいは市中引き回しにて磔獄門あたりが妥当であったからである。
「いろいろと仔細があってな」
山脇さまは短い首をいっそう縮めて、顎にうっすらと生えた無精ひげをさすりながら、その事情というものを説明してくれた。
◇
両国橋にてとっ捕まった「火車」こと竜胆なる女盗賊。
捕まったあとは、意外にも殊勝なる態度。物静かにて問われるままに答え、淡々と詮議に応じる。
おかげでまだ捕まっていない仲間のみならず、他の盗賊一味やらも面白いように釣れて、芋ずる式に捕らえられてゆく。
盗人宿や隠れ家もどんどん検挙され、あちらこちらに隠してあった金銀財宝なんかも続々と押収。あまりの量の多さに処理が追いつかず、役所の保管蔵に入りきらないほど。
それこそ向こう数十年分の手柄にも匹敵するほどの未曾有の大成果。
こうなると、これをもたらした竜胆に「幾分かの酌量を」となるのが人情というもの。
「なにか望みはないか。さすがに助命はならぬが、それ以外ならば……」
この申し出にうやうやしく両手をついた竜胆、こう答えた。
「さすれば、せめて最期は自分で選びとうございます。つきましては斬首にて、お相手は山部三成さまにお願いしとうございます」
移ろいやすい世の中にて、流行り廃りがつね。
すでに岩竜と武士との意地を賭けた首合戦の記憶も遠い彼方。
その一件を覚えている者はあれども、女凶賊からじきじきに名指しされた首切り役人のことをすぐに思い出せる者は、その場にはいなかった。
◇
「まぁ、それで調べてみたら『おぉ! あの岩竜の首を刎ねた若武者か』となってなぁ。後見人であるわしのところに話がまわってきたという仕儀だ」
「なるほど……、そういうわけでしたか。しかし、よろしいのですか? あれほどの大捕り物にて得た相手を、わたしごとき若輩の身が斬ってしまっても」
そうたずねたら、ポンと自分の膝を叩いて我が意を得たりと山脇さま。
「そこよ! じつはそれゆえに、こたびの話は渡りに舟でもあったのだ」
あの大捕り物には、火付け盗賊改め、北と南の町奉行、寺社奉行が手勢を率いて参加した。
各々が出し惜しみをせずに注力したがゆえに、手柄とてきちんと四等分ということで話はついていたのだが、問題となったのが実益ではない部分。
実態はともかく最期を飾ったものが、まちがいなく後世に華々しい栄誉を残す。
特に名を重んじる武士にとって、これは看過できることではない。
今回の場合は刑の執行がこれに相当する。
江戸中が注目しているといっても過言ではない、一世一代の晴れ舞台。
ふつうであれば、最初に恥も外聞もかなぐり捨てて大捕り物の話を持ちかけた、火付け盗賊改めあたりが仕切るのが妥当なのだが、これに他が異を唱えた。
しかも各々に後ろ盾がついたものだから、話がいっそうややこしく。
雲行きが怪しくなり、一転して権力闘争の様相をていすることになる。
いっそのこと老中方なり、将軍さまなりが、スパッと決めてくれればいいものを、それが出来ないのが政の中枢の難儀なところ。
あちらを立てればこちらが立たず。水面下での綱引きも激しさを増すばかり。
もめていたところに竜胆本人が例の願いを申し出た。
名指しされた山部三成は、故人である元腰物奉行の荻原丘隅、現牢屋奉行の山脇正行を後見としているが、御様御用の末席ゆえに、少々特殊な立場にてなんらしがらみがない。
以前よりつき合いのある火付け盗賊改めと町奉行たちは、これ以上いがみ合って醜態をさらし、世間の騒ぎを助長して笑い者になるよりかはと賛同。情勢ここに極まったと悟った寺社奉行もこれに従った。
かくして処刑の当日には、各々から検分役を派遣し、刑はあくまで合同で執り行うという体裁を整え、美貌の女凶賊「火車」こと竜胆は、彼女の望み通りに市中引き回しの上にて、獄門とあいなった。
なお、すでに決定事項につき、わたしに拒否権はないとのこと。
もっともべつに断るつもりもないが。
ただ、またぞろ世間の好機の目にさらされるのだけは、ちょっといやであった。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
藤散華
水城真以
歴史・時代
――藤と梅の下に埋められた、禁忌と、恋と、呪い。
時は平安――左大臣の一の姫・彰子は、父・道長の命令で今上帝の女御となる。顔も知らない夫となった人に焦がれる彰子だが、既に帝には、定子という最愛の妃がいた。
やがて年月は過ぎ、定子の夭折により、帝と彰子の距離は必然的に近づいたように見えたが、彰子は新たな中宮となって数年が経っても懐妊の兆しはなかった。焦燥に駆られた左大臣に、妖しの影が忍び寄る。
非凡な運命に絡め取られた少女の命運は。
和ませ屋仇討ち始末
志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。
門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。
久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。
父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。
「目に焼き付けてください」
久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。
新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。
「江戸に向かいます」
同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。
父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。
他サイトでも掲載しています
表紙は写真ACより引用しています
R15は保険です
夕映え~武田勝頼の妻~
橘 ゆず
歴史・時代
天正十年(1582年)。
甲斐の国、天目山。
織田・徳川連合軍による甲州征伐によって新府を追われた武田勝頼は、起死回生をはかってわずかな家臣とともに岩殿城を目指していた。
そのかたわらには、五年前に相模の北条家から嫁いできた継室、十九歳の佐奈姫の姿があった。
武田勝頼公と、18歳年下の正室、北条夫人の最期の数日を描いたお話です。
コバルトの短編小説大賞「もう一歩」の作品です。
隠密同心艶遊記
Peace
歴史・時代
花のお江戸で巻き起こる、美女を狙った怪事件。
隠密同心・和田総二郎が、女の敵を討ち果たす!
女岡っ引に男装の女剣士、甲賀くノ一を引き連れて、舞うは刀と恋模様!
往年の時代劇テイストたっぷりの、血湧き肉躍る痛快エンタメ時代小説を、ぜひお楽しみください!
信長最後の五日間
石川 武義
歴史・時代
天下統一を目前にしていた信長は、1582年本能寺で明智光秀の謀反により自刃する。
その時、信長の家臣はどのような行動をしたのだろう。
信長の最後の五日間が今始まる。
天狗斬りの乙女
真弓創
歴史・時代
剣豪・柳生宗厳がかつて天狗と一戦交えたとき、刀で巨岩を両断したという。その神業に憧れ、姉の仇討ちのために天狗斬りを会得したいと願う少女がいた。
※なろう、カクヨム、アルファポリス、ノベルアップ+の各サイトに同作を掲載しています。
三賢人の日本史
高鉢 健太
歴史・時代
とある世界線の日本の歴史。
その日本は首都は京都、政庁は江戸。幕末を迎えた日本は幕府が勝利し、中央集権化に成功する。薩摩?長州?負け組ですね。
なぜそうなったのだろうか。
※小説家になろうで掲載した作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる