御様御用、白雪

月芝

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その十五 火車

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 火車。
 地獄からの使者だとも、悪行を重ねた骸を奪い、これを喰らうともいわれている妖。

 関八州を荒らしまわり、江戸市中でも火付け外道働きにて、世間をおおいに騒がしていた凶賊。
 あまりの凄まじさと、その苛烈ぶりにて、彼女が通ったあとには何も残らないことから「火車」との異名を持つ女凶賊が、ついに捕まった。
 いかに多数の部下を従える大盗賊とて、いささか乱暴狼藉がすぎたのだ。
 以前より、躍起になって捕縛に動いていた火付け盗賊改めが、北と南の町奉行のみならず、寺社奉行にまで声をかけての大捕り物。
 縄張り意識が強く、なにかと張りあい、面子を重んじる彼らにとっては異例なことである。
 それだけ多方面に渡って被害が甚大にて、上からも下からもせっつかれていたということ。
 同心や町方らが総出にての水も漏らさぬ包囲網を敷かれては、さしもの女凶賊もついに追い詰められてしまう。
 次々と捕らわれたり、討ちとられたりする賊の仲間たち。
 各地にあった隠れ家にも探索の手はおよび、しらみ潰しにされていった。
 包囲網が真綿で首を絞めるがごとく、じりじりと狭まってゆく。
 いっそのこと江戸を離れて上方なり、なんなら九州にでも逃げてしまえばよかったものを、火車はなぜだかそれをしなかった。
 ひたすらに江戸に留まり続けては、悪事を重ね続ける。

 最後の舞台となったのは、夕暮れ時の両国橋。
 片肌脱ぎにて勇ましくも、多勢を相手にしての大立ちまわり。
 これを大勢の野次馬たちが目撃したわけだが、その場に集った者たちみんなが目を見開いたのは、ついにお縄となって火車の覆面を剥がされたとき。
 陶磁器を思わせる白い肌。
 名立たる書家が筆を走らせたのかと思われるほどの柳眉。
 通った鼻筋の描く曲線のなんと優雅なことか。
 切れ長の瞳は、やや野趣が溢れ眼光鋭いものの、双眸は妖しくも艶めかしい。
 口元に塗られた紅の赤さが梅の盛りのようであり、これらを受け止める器となる顔の輪郭もまた絶妙にて、いかなる人形師の腕も遠くおよぶまい。
 あらわれた美貌が夕陽を受けて、降臨された弁天さまか菩薩もかくや。神々しくさえもあった。
 あまりの美しさに、その場にいたすべての者が息を呑み、現場はまるで時が止まったかのようであったという。

  ◇

 絶世の美貌を誇る女凶賊「火車」の名は、竜胆(りんどう)といった。
 竜胆は秋に咲く青紫のかわいらしい花。桔梗に似ているが、薬の材料になるから疫病草(えやみぐさ)なんぞと古くから呼ばれてもいる。
 わたしは彼女の名を瓦版にて知ったものの、あくまで当人が名乗っているだけにて、生まれや育ちなどの経歴その他は、一切不明のまま。
 が、それがまた整った容姿とあいまって神秘性を増し、いっそう彼女の魅力を引き立てる。
 なにせあれほどの大捕り物であり、また捕まった凶賊がとびきりの美人ともなれば、世間が騒がぬわけがない。
 瓦版屋たちは連日新しいものを刷っては盛大にバラまいているし、版元らも新作の浮世絵を競うように絵師らに描かせては、それらを買い求める老若男女がこぞって店先に群がってもいるという。
 真偽のほどは定かではないが、各役所には竜胆の助命歎願を求める文や差し入れなどが殺到しているんだとか。
 なかには有力な大名家からも、内々に「身柄を引き取りたい」との申し出もあるというから、本当であればあきれるばかりである。
 まぁ、なんにせよおかげでここのところ、江戸はとっても賑わっている。
 やたらと綱紀粛正(もうきしゅくせい)と奢侈禁止(しゃしきんし)にて、やれ「贅沢をするな」と口やかましく、絞るばかりでちっとも景気を回復できない幕府よりも、とっ捕まった女盗賊の方がよほど社会に貢献しているという、この皮肉。
 やったことの善し悪しはべつにして、いささか苦味が強いものの、世間にとっては案外良薬の類であったのかもしれん。
 なんぞと考えていたわたしだが、よもや己がこの女凶賊とかかわることになろうとは、夢にも思わなかった。

 ある日のこと。
 いつものように刑場に出向いて仕事をこなした帰り際。
 牢屋奉行の山脇正行さまから直接声をかけられる。
 ある程度には気安い間柄とて、いつもは使いを寄越してだというのに、これはとても珍しい。
 で、連れ出されたのは山脇さまが贔屓にしている料亭。
 そこの離れにて鯉の洗いの梅肉添えなんぞを馳走になりつつ、要請されたのが例の女凶賊の首を刎ねる仕事。
 しかしわたしは首をひねる。
 なぜなら凶状からして、火炙りの刑か、あるいは市中引き回しにて磔獄門あたりが妥当であったからである。

「いろいろと仔細があってな」

 山脇さまは短い首をいっそう縮めて、顎にうっすらと生えた無精ひげをさすりながら、その事情というものを説明してくれた。

  ◇

 両国橋にてとっ捕まった「火車」こと竜胆なる女盗賊。
 捕まったあとは、意外にも殊勝なる態度。物静かにて問われるままに答え、淡々と詮議に応じる。
 おかげでまだ捕まっていない仲間のみならず、他の盗賊一味やらも面白いように釣れて、芋ずる式に捕らえられてゆく。
 盗人宿や隠れ家もどんどん検挙され、あちらこちらに隠してあった金銀財宝なんかも続々と押収。あまりの量の多さに処理が追いつかず、役所の保管蔵に入りきらないほど。
 それこそ向こう数十年分の手柄にも匹敵するほどの未曾有の大成果。
 こうなると、これをもたらした竜胆に「幾分かの酌量を」となるのが人情というもの。

「なにか望みはないか。さすがに助命はならぬが、それ以外ならば……」

 この申し出にうやうやしく両手をついた竜胆、こう答えた。

「さすれば、せめて最期は自分で選びとうございます。つきましては斬首にて、お相手は山部三成さまにお願いしとうございます」

 移ろいやすい世の中にて、流行り廃りがつね。
 すでに岩竜と武士との意地を賭けた首合戦の記憶も遠い彼方。
 その一件を覚えている者はあれども、女凶賊からじきじきに名指しされた首切り役人のことをすぐに思い出せる者は、その場にはいなかった。

  ◇

「まぁ、それで調べてみたら『おぉ! あの岩竜の首を刎ねた若武者か』となってなぁ。後見人であるわしのところに話がまわってきたという仕儀だ」
「なるほど……、そういうわけでしたか。しかし、よろしいのですか? あれほどの大捕り物にて得た相手を、わたしごとき若輩の身が斬ってしまっても」

 そうたずねたら、ポンと自分の膝を叩いて我が意を得たりと山脇さま。

「そこよ! じつはそれゆえに、こたびの話は渡りに舟でもあったのだ」

 あの大捕り物には、火付け盗賊改め、北と南の町奉行、寺社奉行が手勢を率いて参加した。
 各々が出し惜しみをせずに注力したがゆえに、手柄とてきちんと四等分ということで話はついていたのだが、問題となったのが実益ではない部分。
 実態はともかく最期を飾ったものが、まちがいなく後世に華々しい栄誉を残す。
 特に名を重んじる武士にとって、これは看過できることではない。
 今回の場合は刑の執行がこれに相当する。
 江戸中が注目しているといっても過言ではない、一世一代の晴れ舞台。
 ふつうであれば、最初に恥も外聞もかなぐり捨てて大捕り物の話を持ちかけた、火付け盗賊改めあたりが仕切るのが妥当なのだが、これに他が異を唱えた。
 しかも各々に後ろ盾がついたものだから、話がいっそうややこしく。
 雲行きが怪しくなり、一転して権力闘争の様相をていすることになる。
 いっそのこと老中方なり、将軍さまなりが、スパッと決めてくれればいいものを、それが出来ないのが政の中枢の難儀なところ。
 あちらを立てればこちらが立たず。水面下での綱引きも激しさを増すばかり。
 もめていたところに竜胆本人が例の願いを申し出た。
 名指しされた山部三成は、故人である元腰物奉行の荻原丘隅、現牢屋奉行の山脇正行を後見としているが、御様御用の末席ゆえに、少々特殊な立場にてなんらしがらみがない。
 以前よりつき合いのある火付け盗賊改めと町奉行たちは、これ以上いがみ合って醜態をさらし、世間の騒ぎを助長して笑い者になるよりかはと賛同。情勢ここに極まったと悟った寺社奉行もこれに従った。
 かくして処刑の当日には、各々から検分役を派遣し、刑はあくまで合同で執り行うという体裁を整え、美貌の女凶賊「火車」こと竜胆は、彼女の望み通りに市中引き回しの上にて、獄門とあいなった。

 なお、すでに決定事項につき、わたしに拒否権はないとのこと。
 もっともべつに断るつもりもないが。
 ただ、またぞろ世間の好機の目にさらされるのだけは、ちょっといやであった。


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