10 / 29
その十 娘ひとり
しおりを挟む父である山部無我が亡くなったのは、わたしが十七になるかならぬかの頃。
近頃、めっきり老け込んだなぁと思っていたら、風邪をこじらせてあっさり逝った。
死ぬ間際、枕元にてわたしが「婿でもとろうか」とたずねるも、父は「無用」とだけしか言わなかった。そしてこれが父の最期の言葉ともなる。
どうやら父としては、すでに山部家の悲願はわたしという存在を完成させたことで、果たしたとの想いであったらしい。
なんと身勝手なことであろうか。
しかしこんな家系を後世に残さなくていいと言われたのは、正直ありがたい。
いろいろとろくでもない男ではあったが、最期の最期になって娘の重荷をひとつ、あの世へと持って行ってくれた。
そのことだけには感謝してもいい。
父の葬儀や家督の相続、仕事の引継ぎなど全般のことは、すべて荻原丘隅さまと山脇正行さまが引き受けて下さったので、ひょうし抜けするぐらいに滞りなく済む。
こうしてわたしは女の身でありながら、男役を演じることで晴れて山部家当主となったのである。
とはいっても、わたしの日常はなんら変わらない。
斬る、喰う、寝るだけ。
◇
父の跡をついで御為御用をつとめるようになった当初こそは、周囲より「あんな細腕で大丈夫なのか」「まるで役者のようではないか」などと心配されていたが、そのような声も実際に仕事をこなすうちに、自然と消えていった。
そんなある日のこと。
若輩者の身であるわたしは、上役の腰物奉行から呼び出しをうける。
何ごとか仕事に不備でもあったか、あるいは我が身の正体が早々にバレてしまったのか。
とにもかくにも押っ取り刀にて、わたしは荻原丘隅さまの屋敷へと向かった。
◇
「岩竜を知っているか」
通された座敷にて、挨拶もそこそこに荻原さまからそのようなことをたずねられるも、わたしは首をひねる。はて?
「やれやれ、あいかわらずおぬしは世事に疎いのぉ」
わたしの反応に、ややあきれた表情を浮かべる萩原さま。鶴のごとき痩身が、ちょっと鷺っぽくなった。
ため息まじりに一枚の瓦版紙を差し出される。
寺の門前にある仁王像もかくやという大男が、街中で火消しどもや役人らを相手どっての、大立ち回りをしている絵。
扇情的な文面にて書かれてあったのは、岩竜なる角力とり崩れの無頼漢ぶり。
もとはさる大名家のお抱えであったのだが、生来の乱暴な気質が災いして、幾度も問題を起こし、ついには放逐される。
以降は、義経の鵯越え(ひよどりごえ)の逆落としのごとき勢いにての、見事なまでの転落人生。
呑む、打つ、暴れるだけでは飽き足らず、腕力をちらつかせてのゆすりたかり、婦女子に乱暴狼藉とやりたい放題。
あげくには酒屋に押し入って、夜通し居座っては呑みつづけて、その店にあった樽をすべて空にしてしまったというからおどろきだ。
とんだ底なしにて、うわばみどころの話ではない。こういうのを鯨飲と言うのであろう。
だが、しこたま呑んですっかりご機嫌となり、ぐーすかと高いびきをしているうちに、ついに御用となったというから、なんとも間抜けな話である。
「して、萩原さま。この岩竜がどうかされましたか」
「ふむ。じつは少々困っておってな」
聞けば、とっ捕まった岩竜。
罪状数多にて反省の色もなく、情状酌量の余地もなし。
仮にも一時期は大名家に属していた身ゆえに、そちらにも念のためにお伺いを立てたのだが、けんもほろろ。「当方の預かり知らぬこと。いかようにも」とピシャリ。かえって筋を通した町奉行の方が、お叱りを受ける始末。
どうやら在籍中によっぽどの悪さを仕出かしたのであろう。
そんな人物であるがゆえに、助命歎願をしたためた文の一通も届かず、早々に死罪にて打ち首獄門と決まった。
が、ここですっかり弱ってしまったのが、討役の当番同心である。
「拙者ごときの腕ではとてもとても」
同心が尻込みしたのもしようがない。
なにせ岩竜は、七尺にもおよぼうかという巨漢にて、その肉体は岩のごとく筋骨隆々。首もまた逞しい。その辺の女子の腰よりもなお太い。おそらくは芯にてこれを支える骨も相当なものであろう。
それを一刀のもとに落とすのは、かなりの技量を必要とする。
しかし……。
「ならば刀をやめて鋸(のこぎり)でも使えばいいでしょうに」
大きな鋸にてギコギコやれば、丸太だって両断できる。
その要領にて行われる鋸挽き(のこぎりびき)なる刑は存在している。
だからわたしがそう助言するも、萩原さまは首を小さくふった。
「アレはいかん。すっかり形骸化しておるし、主人殺しにのみ適応されるものだ。なにより残酷が過ぎる」
散々に人の首を刎ね、遺体を切り刻み、磔にて槍で串刺しにされるところを見てきたというのに。
妙な仏心を起こすものだと、わたしがふしぎがっていたら、「ほかにも事情がある」と萩原さまは苦虫を噛み潰したような顔をする。
◇
岩竜、牢の中にてわりとおとなしくしていたものの、ある夜更けのことである。
とつぜん大音声にて口上を述べる。
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは岩竜。世に産まれ角力にて立身を志すもかなわず、ついには虜となったは不甲斐なき身。しかし我にもまだ幾許かの意地がある。ゆえに最期にひと勝負といこうではないか。武士の矜持と悪童の意地、見事、この首、散らせるものならば散らせてみよ」
草木も眠る丑三つ時ということもあって、カミナリのような岩竜の声は伝馬町の牢屋敷内を駆け巡り、ついには外にまで飛び出して行った。
これに物見高い江戸っ子どもが喰いつかないわけがない。
瓦版屋が面白がってとりあげたものだから、噂はまたたく間に江戸市中の津々浦々にまで広がってしまう。
無頼の徒である岩竜と、威張ってばかりでいけ好かない武士の対決。
もともと二本差しはあまり町民たちから好かれてはいない。
そこに判官贔屓な心情も働いて、異様な盛りあがりを見せることになる。
「……で、引き下がれなくなったと」
「そういうことだ。そして情けないことに、どいつもこいつも、すっかりおよび腰になってしまってな」
悪名高き罪人ゆえに、処刑は江戸の南、東海道沿いにある鈴ヶ森の刑場にて行われる。
あそこでの処刑はつねから公開されており、これを見るためにわざわざ足を運ぶ酔狂な暇人もけっこう多い。
首を斬られるのが岩竜となれば、当日はさぞや大勢の見物客が押し寄せることであろう。
その前でしくじれば、武士の面目丸つぶれどころの話ではない。
いい物笑いの種にて、子々孫々までバカにされ続けることであろう。
気位ばかりが一丁前の最近の武士には、この恥辱、とても耐えられまい。
そしてここまで話を聞いて、そのお鉢が回り回って自分のところに来たということを、わたしは遅まきながら悟る。
山田浅右衛門のところにでも頼めば、すっぱり見事にお役目を果たすのであろうが、なにごとにも万一ということがある。
将軍家にわりと近しい御様御用の筆頭である立場では、たとえ当人が斬りたがっても周囲がこれを許すまい。
「町奉行に泣きつかれましたか」
「まぁな。で、頼めるか」
萩原さまの言葉に、わたしはうやうやしく両手をつき「承り候」と答えた。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
和ませ屋仇討ち始末
志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。
門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。
久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。
父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。
「目に焼き付けてください」
久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。
新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。
「江戸に向かいます」
同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。
父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。
他サイトでも掲載しています
表紙は写真ACより引用しています
R15は保険です
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
幕末群狼伝~時代を駆け抜けた若き長州侍たち
KASPIAN
歴史・時代
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として敢えて正視する者なし、これ我が東行高杉君に非ずや」
明治四十二(一九〇九)年、伊藤博文はこの一文で始まる高杉晋作の碑文を、遂に完成させることに成功した。
晋作のかつての同志である井上馨や山県有朋、そして伊藤博文等が晋作の碑文の作成をすることを決意してから、まる二年の月日が流れていた。
碑文完成の報を聞きつけ、喜びのあまり伊藤の元に駆けつけた井上馨が碑文を全て読み終えると、長年の疑問であった晋作と伊藤の出会いについて尋ねて……
この小説は二十九歳の若さでこの世を去った高杉晋作の短くも濃い人生にスポットライトを当てつつも、久坂玄瑞や吉田松陰、桂小五郎、伊藤博文、吉田稔麿などの長州の志士達、さらには近藤勇や土方歳三といった幕府方の人物の活躍にもスポットをあてた群像劇です!
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
我が二刀、宮本武蔵が末流に非ず
竹尾練路
歴史・時代
大正十五年、学生剣道界に於ける二刀ブームの黎明期。
松山商業高等学校の剣士、森田可夫は二刀研究の名目で押し付けられた己の二刀に思い悩んでいた。
河川敷で赤松の老木を相手に独り稽古を続けていた森田は、ある日奇妙な老人と出会う――
昭和天覧試合に出場した名剣士、森田可夫の修行時代を描いた、剣道歴史浪漫。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
桔梗の花咲く庭
岡智 みみか
歴史・時代
家の都合が優先される結婚において、理想なんてものは、あるわけないと分かってた。そんなものに夢見たことはない。だから恋などするものではないと、自分に言い聞かせてきた。叶う恋などないのなら、しなければいい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる