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其の四百八十三 長寿を愛で、人世を言祝ぐ
しおりを挟む犬も歩けば坂に当たる。
というぐらいに、めったやたらと坂に行きあう。
ゆえにいつの頃から八百八坂と云われるようになったのが、江戸の地である。
そんな坂のうちのひとつ――近在の者たちからは「くだん坂」とか「くらやみ坂」なんぞと呼ばれているが、正式な名はない――これをおっちら登った先に、その道場はあった。
門構えは……まぁ、それなりに立派だ。
でも、よくよく見れば全体がちょっと傾いている。おかげで建付けが悪い。門扉はビクともしないもので正門は長らく閉じたまま。
脇にある潜り戸はいちおう使えるけれども、こいつを開けるのにも少しばかりこつがいる。
敷地を囲む土壁には傷みが目立つ。そこかしこに割れ目や穴が開いており、狐狸どころか人も出入りし放題ときたもんだ。
いろいろあって江戸の剣術界から蛇蝎のごとく嫌われている伯天流の道場。
門下生が絶えてひさしいおんぼろ道場にて、めったに訪れる者もなく、いつも閑古鳥が鳴いている。
けれども、その日、その夜ばかりは様子ちがった。
くらやみ坂の入り口から、道沿いに灯されてあったのはたくさんの提灯である。
切った青竹の竿から吊るしたものが、等間隔にずらりと並んでは、まるで祭りの夜のごとき幻想的な雰囲気を醸しだす。
そんな坂を、ひっきりなしに正装をした者や、祝いの品を運ぶ荷駄に大八車が行き来している。
橈骨の起こした乱を発端として、浅間山にまで飛び火した大騒動からはや一年が過ぎようとしていた。
本日は道場にて、九坂藤士郎とおみつとの祝言が執り行われている。
あれからずいぶんと間が開いたのは、ふたりの身分の差のせいだ。
いかにおんぼろ道場主とはいえ藤士郎は士分にて、おみつは町人だ。きちんと結ばれるのには相応の手続きを踏む必要がある。
あくまで形式上だが、おみつをどこぞの武家の養子にして、花嫁修業がてらひとしきり武家の礼儀作法などを学んでから、九坂家に嫁がせるみたいに……。
とはいえ、おみつは茶屋の看板娘にて、老いた祖父と仕事を放り出すわけにはいかない。
どうしたものかと困っているところに、手をさしのべてくれたのは藤士郎の友人である近藤左馬之助の奥方である紗枝であった。
形式の上でだけおみつは近藤家の者となり、働きながら紗枝の指導を受けては、武士の妻の心得を叩き込まれた。
おかげで今日という慶事を迎えることが出来たという次第である。
「高砂や~、この浦舟に帆を上げて~
この浦舟に帆を上げて、月もろともに出潮(いでしお)のぉ……」
祝言の席では定番の高砂(たかさご)を渋い声で朗々と歌いあげているのは、大槻兼山だ。
加賀藩は百万石にその人ありといわれる槍の名手にて、いまは末子の春姫の守役を務めている老人は、藤士郎がついに身を固めるという話を小耳に挟むなり、ぽんと膝を打つ。
「ほうほう、それはめでたい! よし、ではわしが媒酌人を引き受けてやろう」
これに藤士郎は慌てて「いくらなんでも大身の御身におそれおおい」と遠慮したのだが、「なぁに、気にするな。我が藩が受けた恩義に比べれば、この程度のこと造作もない」と押し切られてしまった。
やがて高砂が終わり、ひとしきり作法を済ませ、厳かであった式がそのまま宴席へと移行した。
祝いの席には藤士郎とゆかりのある銀花堂の若だんなや、知念寺の巌然和尚とその弟子の堂傑、おみつの祖父とそちらの親族たち、生駒に梅千代にちとせら猫又芸者ら、藍染川を預かる河童の得子に志乃の弟子である三太、宗吉、お通……他にも裏の竹林に住む狸の一家や、王子稲荷から遣わされた名代、猫嶽からの遣いの者などの姿があった。
祝いの品が方々よりたんと届いており、酒も食べ物にもこと欠かぬ。
人と妖らが入り交じっては、おおいに飲み食いし、陽気に歌い踊ってはやんやと盛りあがっている。
ちなみに藤士郎の母志乃は幽霊の身の上なので、さすがに人前に出るのははばかられるからと遠慮をして、柱の陰からこっそりと祝言の様子を見守っていた。そんな彼女は手鏡を持っており、この鏡はあの世にて官吏を務める夫と通じているもので、鏡越しに父平蔵も息子の晴れ姿を涙ながらに喜んでいた。
九坂家らしいといえばらしい光景だが、これに新郎の藤士郎は「大丈夫かしらん」とずっとはらはらし通しだ。
比べて隣にいる白無垢姿のおみつは落ち着いたもの、「その時はその時ですよ。焦ったってしょうがありません。なるようになります」と微笑む。
そんな新郎新婦に、でっぷり猫の銅鑼は「きしし、藤士郎め、はやくも尻に敷かれていやがる。こりゃあ、先が思いやられるぜ。それに――」
銅鑼の金の目がにぃと細まり、凝っと見つめていたのはおみつのお腹の辺り。
いずれはそこに授かるであろう、ややこの姿を想いつつ。
「藤士郎とおみつ、ともに仙桃を食ったんだ。そんなふたりの子ども……はてさて、どんなのが産まれてくることやら」
霊験あらたかな、あの常世仙桃・意富加牟豆美を、たとえ欠片とはいえ藤士郎は食べた。
成り行きにておみつは桃をかじり、しばし口に含んでいた。果汁などが唾液に混じっては喉の奥へとするりと入り込んでいても、なんらおかしなことではない。
長寿を愛で、人世を言祝ぐ。
大変めでたいことながら、九坂家を取り巻く妖縁奇縁はまだまだ続きそう。
銅鑼は「こいつは当分目が離せそうにねえなぁ」と肩をすくめつつ、こっそりくすねておいた引き出物の菓子である津雲屋の羊羹を、棹ごとがぶり!
―― 狐侍こんこんちき(完) ――
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