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其の四百八十二 天魔王と狐侍
しおりを挟む鳥丸が小太刀の姿へと戻った。
愛刀を手にした藤士郎は、二三度軽く振っては、体の具合と手の中の感触を確かめ、「よし、いい調子だ」と小さくつぶやく。
己の半身――天魔王の半成りと対峙している藤士郎の表情は、とても穏やかであった。
いかに相手が弱体化しているとはいえ、そこいらの妖や人よりもずっともっと強い。
だというのに、不思議と焦りはみじんも湧いてこなかった。
さりとて落ちついているのとはちがう。
心にさざ波ひとつ起こらない凪ともちがう。
ただ、静かなのだ。
清廉なる静謐とでもいおうか。
ある意味、生まれ変わったと言えなくもない藤士郎の目には、すべてが色鮮やかに映っていた。
(あぁ、世界はこんなに美しかったのか……)
藤士郎は感心するばかり。
夜の闇も、雷光が閃く曇天も、癇癪持ちの浅間山も、岩だらけの乾いた景色も、自分の黒い部分――淀みが凝り固まった半身すらもが色を持っている。
何もかもが新鮮であった。それでいて無性に愛おしい。
銅鑼は少しさがったところから、戦いの行方を見守っている。
藤士郎はふり返り山頂周縁に顔を向けた。
視線の先にはおみつの姿があった。
心配でたまらない。いまにも泣き出しそうな顔をしている。なのに胸の前で両の拳をぐっと握ってみせる。無言の応援にて「がんばれ、がんばれ」といっている。
そんなおみつに藤士郎は手を振り、にかっと白い歯をみせた。
天魔王の半成りに藤士郎は向き直ると、背筋をしゃんとのばし小太刀を構えた。
◇
天魔王の半成りと狐侍は、向かい合ったままにて微動だにしない。
けれどもふたりの間では、互いの気迫がぶつかり、目には見えない火花が散っていた。
それにともない周辺の空気がぴんと張り詰め、ひりひりするような焦燥感が充ちていく。
ひたすらに高まる緊張、それがついには火口の外にまで溢れた。
浅間山に一陣の風が吹く。
その瞬間、ふたりは同時に動いた。
小細工無用、真正面からの斬り結び。
――閃っ!
黒と白の線がぶつかり、交差し、すれ違い、そして分かれた。
まばたきにも満たない間に、両雄の立ち位置が入れ替わる。
訪れた静寂……その中で聞こえたのはかすかな鍔鳴り。
ぐらりと傾いだのは天魔王の半成りである。そのままどさりと倒れ、胴から離れた首が脇へと転がった。
これを契機に体の崩壊も早まった。
燃え尽きた灰のごとく、もろく儚くなっては、散り消えてゆく。
恨めしげな目を向けてくる首を、藤士郎はじっと見下ろしている。
ほどなくして頭部も胴体のあとを追い消えていった。
すべてが塵となり、風に飛ばされ、何処かへと……。
その様を藤士郎は最期まで見届けた。
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