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其の四百八十一 半身
しおりを挟む「うげっ、なんだか体中がべたべたするよ。すんすん……うっ、! ちょっと変なにおいもする」
目を覚ますなり、藤士郎はぼやきしかめっ面となる。
それに対して銅鑼は「おい、いまの状況……どこまで把握している?」と問えば、「あー、だいたいわかってる」と藤士郎は答えた。
黒い異形と成り果ててからも、弱いながらも意識はあった。
だが、まるで全身を鎖でがんじがらめにされては、暗い獄の中につながれたかのようにて、ほとんど動けない。
何も見えず、喉は枯れてうめき声も出せやしない。
それでもかすかに聞こえていたのは、外の狂騒ぶりと、自分の名前を懸命に呼ぶ銅鑼やおみつたちの声であった。
そんな暗闇の獄に、唐突に光明が差した。
かとおもったら、藤士郎の意識を封じていた鎖が千切れたばかりか、格子も破れ、自由になれたという次第。
すべては銅鑼の奮闘とおみつの機転、それから常世仙桃・意富加牟豆美のおかげである。
かくして生還した藤士郎であったが、のんびりそれを喜んでいる暇はない。
なぜなら、まだ天魔王に成り損なった半身が残っている!
体内から異物を解き放ったことで、天魔王の半成りは落ちつきを取り戻しつつあった。
だが、いまやその姿は見る影もない。
胸元は大きく引き裂かれ、どくどくと黒い血が滴っては、自身を染め、足下にて血だまりがじわりじわり広がっている。
六枚の翼のうちの半分が失せており、残りも破れて傷みが目立つ。
首筋から左肩の辺りの肉がごっそり抉れており、腹には風穴が開いている。これは銅鑼の爪と牙を受けたせいだ。
一時は天上の神々すらも圧倒しそうであった覇気はまるで感じられず。垂れ流されるままに妖力を失い、みるみる萎んでいくかのよう。
そのせいであろうか、あれほどの不死身、再生力を誇った肉体がちっとも回復していない。
ばかりか体の縁から、まるで焚き火の灰のようなものがはらりはらりと舞っては、宙にて粉々に砕けて消えていく……。
その姿をにらみつつ銅鑼は「あの野郎……もう壊れはじめていやがる」とつぶやいた。
自壊――天魔王に完全覚醒するのと同時に崩壊が始まる。
天魔王は地上に阿鼻叫喚の地獄を出現させ、破滅をもたらす。
だがあまりにも強大過ぎる力に身がもたないのだ。
滅び……破滅と崩壊の果てに待つのは、虚無である。
肉体はもとより、魂も想いも、何も残らない。
輪廻からもはずれ、未来永劫、転生することもない。
救いもなく、すべてがなかったことにされる。
すべてが消えて、それきりとなる。
だからこそ天魔王はこの世のすべてを憎み、怒りをぶつけ、道ずれにしようとする。
ぼろぼろの状態になっても、その赤い双眸に宿る狂気の情炎だけは失われない。
最期の一瞬まで止まらぬとばかりに、むしろより激しく燃え上がっている。
天魔王の半成りがねめつけているのは、藤士郎であった。
自分で厭い身の内より吐き捨てたもの。陰と陽、対となる存在。
誰よりも近く親しい血肉を分けた分身、分かたれた道のもうひとつ。
だがそれゆえに無性に腹が立つ、妬み嫉みがふつふつと湧いては、強い憎しみを抱かずにはいられない。
近親憎悪や同族嫌悪などという言葉では、とても言いあらわせない複雑な感情がそこにはあった。
でも、それは藤士郎も同じであった。
だから藤士郎は己が半身と向き合い「銅鑼、悪いんだけど、ここから先は私に預けてくれ」と言った。
「へっ、てめえの尻はてめえ拭くってか。まぁ、いいだろう。だが、いまのおまえは無手だぞ。どうするつもりだ」
「あぁ、それなら心配はいらないよ。ほら」
藤士郎が右腕を横にのばせば、そこへばさりと一羽の鴉が舞い降りる。
見事な濡羽色の身には艶があり、尾羽根がぴんと反っている。だが体はさほど大きくない。まだ若い鴉だ。
「やぁ、よくきてくれたね」
藤士郎が指先にて首の後ろを優しく撫でると、鴉は嬉しそうに身を寄せる。
そのやりとりに銅鑼は「やれやれ、ようやく起きたか。主がぼんやりしているせいか、相棒もたいがい寝坊助だな」と金色の目を細めた。
藤士郎の愛刀の小太刀・鳥丸(からすまる)が馳せ参じたところで、いよいよ大一番を迎えることとなった。
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