狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百八十 再生の刻

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 仙桃を食べた天魔王がめったやたらと腕を振り回しては暴れる。体が傷つくのもかまわずに、狂ったように激しく己が喉や胸を掻きむしる。そのたびに六枚の翼も暴れては風を吹かせ、ついには火口内に竜巻が起きた。
 ここはすり鉢の底のような場所だ、身を隠せるところがない。
 だから銅鑼はおみつを背にのせるなり、斜面を駆けのぼった。留まっていては危うい。いったん離脱する。周縁の山稜へと移動しては、安全な場所から様子を見守ることにする。

 ばさばさと風がうなり、行き場のない風たちは互いにぶつかり合う。
 火口内はじきに嵐となった。
 嵐の奥からは絶叫にも似た声がずっと聞こえており、浅間山の山頂一帯に木霊していた。

 ――嵐は四半刻ほども続いたであろうか。

 まず声が聞こえなくなった。
 続いて嵐がじょじょに弱くなっていったとおもったら、唐突に風がやんだ。
 凪(なぎ)が訪れる。
 その中心に天魔王がぼんやりと虚空を仰いでは立っている。

 翼が三枚ほど千切れて失せていた。
 姿はいまだ異形のそれであり、人間にはほど遠い。
 食べさせた桃の量が足りなかったか、あるいはすでに手遅れであったのか。
 銅鑼とおみつが固唾を飲んで見守っていると、やにわに天魔王が両手を己の胸へと突き入れる。
 まるで固く閉じた観音扉をこじ開けるかのようにして、胸襟を開いていく。

 ぶちり、ぶちり、ぼきり、ぐきり、めきり、みしみしみしみし……

 滴る大量の黒い血、体表を覆う鱗がはがれ、奥にある緑の皮膚も破れ、赤い肉が裂け、白い骨のみならず、臓物までもがあらわとなる。
 自分で自分の身を壊す。
 武士の切腹とは似て非なる行為。
 凄惨かつおぞましい光景、あまりの痛々しさに気丈なおみつもたまらず顔をそむけた。しかし銅鑼はただの一瞬たりとも目をそらさず、凝っと見つめ続ける。

 すると銅鑼の視線の先にてあらわれたのは、一本の腕であった。
 ひょろりと長くて青白いくせして、手には剣だこと筆だこがたんとある。
 それは銅鑼のよく見知った、貧乏道場の主のもの……

 銅鑼はおみつをその場に残し、ひとり斜面を駆け降りた。
 土煙をあげながら勢いのままに天魔王へと駆け寄ると、胸から生えた腕をくわえるなり、力任せにこれを引っこ抜く。

 ずるり――

 天魔王の身の内より出てきたのは長身痩躯であった。
 藤士郎だ、藤士郎がついに帰ってきた!

 常世仙桃・意富加牟豆美は大いなる神の霊威を宿しており、その霊験はあらたか。黄泉の国の軍勢をも退け、いかなる邪気をも払う。
 とはいえ、さすがにひと口だけでは量が足りなかったらしい。
 そのせいで天魔王を完全に滅するには至らず。体内において邪と聖、陰と陽、妖と人とを分離するのに留まったようだ。
 相反して、けっして相容れぬもの。
 それは劇物にも等しい。痛い、苦しい、体内に残していては、どんどん蝕まれていく。
 だから天魔王は邪魔な一切合切を、外へと吐き出し捨てようとしていたのである。
 銅鑼はそれを横合いから掻っ攫った。

 奪還された藤士郎は、まるで産まれたての赤子のように、ぬるりとした薄い膜――羊膜に包まれていた。
 銅鑼が爪を立て、外から膜を破るも、藤士郎はぐったりしたまま動かない。
 そこで「おら、いつまでのんびり寝ていやがるんだ、とっとと起きろ、藤士郎!」と、二三発頬をひっぱたけば、「うう~ん」とついに目を覚ました。


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