狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百七十八 にわか

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 風もなく、音もなく……。
 万物を縛る大地の力を微塵も感じさせない。
 ふわりと降り立った六枚羽の黒い異形の姿を前にして、銅鑼はぎちりと歯噛みしてはねめつける。

「天……魔王に、なっちまったのか? 藤士郎よぉ」

 銅鑼は不自由な体でどうにかして立ち上がろうとする。
 けれども、その頬を六枚羽のうちの一枚が撫でた。
 瞬間、銅鑼の身が吹き飛ぶ。地面にぶつかっては、盛大に土煙をあげる。蹴鞠のごとくいっかい跳ねてから、ぽとりと落ちてはしばし斜面を転がり、ようやく止まった。
 一撃とも呼べない、ほんの軽く触れただけでこの威力。
 姿形だけでなく、中身も先ほどまでとは別物になっている。
 それでもなお首をあげては「ぐるる」と唸る銅鑼に対して、天魔王はちらりと一瞥をくれただけでそっぽを向いた。
 代わりに足を向けたのはおみつの方である。
 おみつは気を失いぐったりしながらも、仙桃が入った木箱だけは放さず、しっかりと懐に抱いていた。

 自分に仇をなす存在――常世仙桃・意富加牟豆美(おおかむづみ)を滅しようと、天魔王が近づいていく。
 でも、あと少しのところまで近寄ったところで、不意に立ち止まった。
 天魔王はしばし赤い双眸にておみつと木箱を見下ろしてから、おもむろに左手を彼女めがけてかざす。
 とたんに、左腕にぴしりぱしりと小さな稲妻が起こっては、雷光が広げた手の平へと収束していく。直接触れるのを警戒し、おみつごと雷の力で消し去ることにしたのだ。
 人の身でこれを喰らえばひとたまりもない。
 だがしかしそれが放たれることはなかった。

「ぐはっ?!」

 急に血反吐を吐いて苦悶の声を漏らしたのは、いままさにおみつの命を散らそうとしていた天魔王自身にて、その腹からは虎の爪が突き出ていた。
 背後からの強襲、銅鑼による一撃だ。後背は腰の辺りから臍の上近く、臓腑を抉るようにして右前足が深々と突き立てられている。
 だがそれはありえないことだ。
 なぜなら銅鑼の右前足は、雷の槍を受けて爆砕されていたはずなのだから。
 しかし失せたはずの足は、たしかにちゃんと生えていた。

「はははは、どうだ驚いたか藤士郎? 千切れた手足を生やすのなんざぁ、何もてめえだけの専売じゃないんだぜ。斬ろうが刺そうが、叩かれ燃やされすり潰されようが、それでもどっこい生きている。だから人はおれたち妖を『化け物』って呼んで畏れるんだ」

 本来あるべき姿や生きるべき姿から大きく逸脱したもの……それが化け物。
 処や時代、立場や気まぐれにて神にもなれば悪鬼羅刹にもなる。
 そして大妖・窮奇は四凶が一角にて、化け物中の化け物だ。にわか仕込みの黒赤子や天魔王とは年季が違う!
 有翼の黒銀虎が猛り吠え、背後からさらに襲いかかる。
 天魔王の左肩の辺りにがぶり、噛みついた。
 体を覆う固い鱗もなんのその、とたんに牙が食い込み、めきゃりぼきりと肉や骨がひしゃげる音がする。
 天魔王はたまらず悲鳴をあげた。

 天魔王は暴れて、とり憑いた銅鑼を振り払い引き離そうとする。けれども鋭い爪と牙が深々と刺さっておりこれがはずれない。そのせいで暴れるほどに傷口が広がるばかり。
 ならばと天魔王が六枚羽を動かした。
 大蝙蝠のような翼がぐにゃりと変化しては、蛸の足のようになった。その突端には槍の穂先のような漆黒の刃がついている。
 六本の蛸の足が蠢き、ぶすぶすと容赦なく銅鑼の体を突き刺しまくる。
 凄まじい乱撃にて、勢いのあまり貫通しては、自分の身を傷つけることも厭わず。

 だというのに銅鑼は「ははは」と笑っていた。
 耳が千切れようとも、片目を潰されようとも、全身を穴だらけにされては、大量の血が流れようとも、朱に染まりながらも銅鑼は狂ったように笑い続けている。

「はははははは、馬鹿たれめが! さっき教えてやっただろう? この程度じゃあ『本物の化け物』は死なねえんだよ。それにたとえ跡形もなく消しさったところで、おれらは風呂場の黒かびと同じよ。いつの間にやらまたぞろ顔を出す。だがな――」

 険しかった銅鑼の無事な方の目が、ふと優しげなものとなった。視線の先には倒れているおみつの姿がある。

(だがな――しぶとさならば、人間だってたいしたもんなんだぜ)

 銅鑼が心の中でそうつぶやけば、ばっと跳ね起きたのはおみつであった。
 とうに気がついていたのだけれども、あえて死んだふりにてずっと機会をうかがっていたのだ。
 おみつは手早く木箱の封を解き、仙桃を取り出しては、背後の銅鑼にばかり気をとられている天魔王――藤士郎へと飛びかかった。


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