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其の四百六十九 どら息子
しおりを挟む浅間山の頂上近くには、ぱっと見にはわからない岩棚がある。
灰を被っており周囲の景色に埋没しているが、これが屋根となって下にはちょっとした空洞があった。
身をひそめるにはちょうどいい場所だ。
だからそこにおみつの身を隠す。
とはいえ有象無象の妖どもを惹きつける仙桃を持ったおみつを、そのまま残せばかっこうの餌食となるばかり。
そこでおみつは持ち込んだ荷をほどく。
仙桃を納めた木箱とは別の旅行李の中には、巌然和尚から持たされた御札や杭などの道具類が隙間なく詰まっている。それらすべてに巌然の法力がたっぷり込められており、これらで結界をこさえれば木っ端の妖風情が相手ならば、問題なくしのげるであろう。
それに藤士郎の愛刀であった小太刀の烏丸(からすまる)もちゃんと持ってきた。
なにやら妙な気配を漂わしている鳥丸……どうやら藤士郎の身の変化の余波を受けているらしいのだが、いまのところ悪い気配はないのでいっしょに連れてきた。これが守り刀となり、おみつの身を守ることであろう。
加えて迷い家で授けられた不思議な帯もあるから、きっと大丈夫。
「……と安心させてやりたいところだが、正直なところは、おれにもわからん。
いまの藤士郎――天魔王に成りかけのあいつはかなり手強い。それを倒すのではなくて、取り押さえる必要がある分だけ、こちらに不利だ。
ひと当てしてみねえとなんとも言えないが、相当に厳しく、そして激しい戦いになるだろう。
もしかしたら、そのせいで浅間山がへそを曲げかねん。
だから、その時には……」
銅鑼はじっとおみつの目を見つめて言った。
「その時にはおみつ、おまえが仙桃を喰え。そうすれば死ぬことはなかろう」と。
古代の大陸は中原にて、おおいに悪名を轟かした四凶が一角、大妖・窮奇と天魔王との戦い。
影響で浅間山がいつどかんと噴火してもおかしくはない。
そうなればいかに巌然の結界とて、防ぎ切れはしないだろう。
だからこそ銅鑼はいざともなれば、我が身を優先しろと告げた。
が、ついにおみつがうなづくことはなかった。
◇
おみつに見送られて銅鑼は出陣する。
空には暗雲が垂れ込め、雷鳴が轟いていた。
じきに雨も降り出すかもしれない。
「ふん、天候を操るか……藤士郎のくせに生意気な」
銅鑼は鼻を鳴らす。
眷属である風雲雷鬼(ふううんらいき)を招来し、天候を左右するのは銅鑼の得意とするところ。
もっともその風雲雷鬼は、ただいま療養中である。
橈骨の眷属である炎羅童鬼(えんらどうき)との戦いで、ひどく消耗し傷ついてしまった。当分は呼び出すことはできないだろう。
火口上空へと舞い戻った有翼の黒銀虎は、ほんの少しだけ目を閉じては過去へと想いを馳せる。
藤士郎が母志乃のお腹に宿るよりもずっと前から、銅鑼は九坂家の居候をしていた。
あの家の連中は根がおおらかなのか、化け猫だなんぞととくに騒ぐこともなく、ただあるがままにでっぷり猫の存在を受け入れていた。
反面、世渡りがたいそう下手だ。剣の実力はあれどもそれをうまく活かせない。
そのくせ門下生もいない道場を抱えての貧乏暮らしが、妙に板についているというか馴染んでいるというか……。
先代も、先々代もそんな感じにて仕官にはとんと縁がなく、それはいまの当主である藤士郎も同じこと。
武士なのに武士らしい生き方が苦手、おそらく性に合わないのだろう。
これは九坂家の血筋みたいなものだ。
だったらいっそのこと思い切って剣を捨てればいいものを、それは出来ない。伯天流の看板を下ろせない。
難儀な者たちでもある。
だが、そんな九坂家が銅鑼には居心地が良かった。
自分でもよくわからないけれども、おそらく馬が合ったのであろう。
気づけば江戸の水にもすっかり馴染んでしまっていた。
土地柄なのか、江戸にはみなを惹きつける何かがあって、一度、この味を知ってしまうと忘れられなくなるというが、それは本当らしい。
藤士郎が産まれた日のことを思い出した。
小さな赤子は元気よく泣いていた。あんまりにもぎゃん泣きするもので、銅鑼が慰めてやろうと顔を近づけたら、髭を掴まれておもいきり引っ張られたっけか。
それがすくすく育ち、いつの間にやら立派かどうかは小首を傾げるものの、いっぱしの跡取りとなって道場の看板を背負っていた。
ずっとそばで見守ってきた。
よもや、そんな相手と本気で一戦交えることになろうとは……。
かっと目を見開き眼下を睥睨しては、銅鑼が一喝する。
「このどら息子め、無茶をやったあげくに、みなに心配をかけたばかりか、いらぬ手間をかけさせやがって。その間抜け面を張り倒してやるから、とっとと出てこい!」
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