455 / 483
其の四百五十五 狐侍、ただいま逃亡中。二十二日目 別離
しおりを挟む炎が轟っと渦を巻いては高らかに舞い上がった。
禍々しい紅蓮が竜巻となり猛りうねる。
焔がいっそうの勢いを持って、天を焦がし地を焼く。
その中心にて嘲笑するのは人面炎馬である。
「かーっ、かっかっかっ……っ?!」
不快な笑い声が突如として止まった。
かとおもえば紅蓮の竜巻の表面を、幾筋もの黒銀色の閃光が走る。
まばたきほどの間のことであった。縦横斜め、無数の線が疾駆しては竜巻をずたずたに切り裂いていく。
それを成したのは黒鉄色の刀身の小太刀を手にした、黒い何か――
斬れないはずの妖炎を斬っていたのは、異形化した狐侍であった。
人面炎馬は四凶が一角、大妖橈骨の残滓である。
だからいろんなものが欠落している。力も下がっているが、その最たるは知能だ。一方で恨みの念のみが膨らんで、元来の破壊衝動や嗜虐心などが色濃く残った。
ようは我慢を知らぬ、幼子のようなもの。
ゆえにいま何が起きているのかがわからない。
それを理解し、どうすればいいのかを考える知性がとうに失せている。
わけがわからず、ただきょとんとするばかり。
その視線が不意にがくんと下がった。
両の前足を膝のあたりで撫で斬りにされたせいだ。
斬られた足がくっつかない?
もとに戻らない!
だから人面炎馬は、またぞろ周囲の炎を吸い込んで再生の糧としようとするも、その時のことであった。
黒銀色の疾風が世界を一閃する。
一帯を埋め尽くしていた炎がまとめて根切りにされて、すべてがふつりとかき消えてしまった。
斬撃により、瞬く間に火が消された。
これではもう復活できない。
大きく目を見開き人面炎馬は驚愕する。
そんな人面炎馬を見下ろすのは赤い瞳――狐侍が冷たく言い放つ。
「逝ね」
振り下ろされた黒銀の刃が、たちまち馬首を切り落とす。
胴体から離れた首が地面へと落ちていく。
そのわずかな間に、光のごとき速さの連撃にて、体の方が細切れにされた。
そして首もまた同じ末路を辿る。
人面炎馬は絶叫をあげる暇(いとま)も与えられずに相果てた。
かくして戦いは終わった。
だが、しかし――。
「がぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁっ」
直後のことである。
現場に響いたのは勝利の雄叫びでもなければ、歓喜の声でもない。
そろそろ長い夜が明けようかという瑠璃色の闇をつんざいたのは、まごうことなき苦痛より発せられたもの。
かちゃりと音を立てたのは、手より零れ落ちた小太刀だ。
両手にて頭を抱えては、立ちながら苦しんでいたのは狐侍である。
◇
はっと気がついた。
おみつは目を覚ます。
彼女を起こしたのは、黒い異形が放つ絶叫である。
まるで地獄のありとあらゆる責め苦を一身に受けているかのような叫び声……でも、どこか切なくて物悲しい心持ちになってくる。耳にしているだけで、自分の胸まで締めつけられているかのよう。
絶叫に混じって「がりがり」と音がする。
それは黒い異形が自身の身を鋭い手の爪で引っ掻いては、激しく掻きむしっている音であった。
まるで全身を覆う漆黒の鱗を剥そうとしているかのようだ。もしくは苦しさのあまりあれを脱ぎたがっているのか。
鱗が剥がれ飛び散り、肉がむき出しとなり抉れ、黒い血が流れる。
なのにすぐに新しいのが生えてくるもので、きりがない。
これにより傷つくのは己の身ばかり。
凄まじい自傷行為をみかねて、猫又の心助や河童らが「旦那、いけねえ」「死んじまうよ」と必死に止めようとするも、邪険に扱われてあっさりはじかれてしまった。
そんな黒い異形を止めたのは、臆することなく「だめっ」と腰に抱きついたおみつであった。
この光景を目の当たりにした時。
おみつはあれこれ考えるよりも先に体が動いていた。
黒い異形の正体が九坂藤士郎とどうしてわかったのかは、自分でもよくわからない。ただ一目見て、そうに違いないと確信する。
遮二無二、涙目で縋りついてくるおみつに、黒い異形は「うぅ」とうめきつつも、暴れるのを止めた。
だからもう大丈夫かと、一同がほっとしたのも束の間のこと。
「それだけはやっちゃ駄目だっ、藤士郎っ!」
怒号にて、横合いから体当たりをしてきたのは有翼の黒銀虎の銅鑼であった。
これにより黒い異形とおみつは引き離される。
いきなりのことにて、おみつには何がなにやら。
でも、すぐにあることに気がついてぞっとした。
自分を守るようにして立つ銅鑼の身に、じわりと朱色が拡がり血が滴り落ちているではないか。
やったのは狐侍であった。
正気と狂気との狭間、人と異形の内なるせめぎ合い、その境界にてどうにか踏みとどまっていた藤士郎の精神が、いよいよ限界を迎えつつあったのだ。
もしもあのまま抱き着いていたら、おみつの身は凶爪により無惨に切り裂かれていたことであろう。
にらみ合う藤士郎と銅鑼。
ふたりの間には約定がある。
『もしも私が本当に戻ってこれなくなって、人としての本分も心も忘れてしまったら、その時には……』
いまこそあの約定を果たす時なのか?
銅鑼が迷っているうちにも、黒い異形が咆哮しながら向かってくる。
背におみつを庇っている以上は避けるわけにはいかない。
だから銅鑼は牙をむき虎爪にて、これに応じる。
が、寸前にて衝突を回避したのは黒い異形であった。
猛然と駆け寄ってきたとおもったら、その勢いのままに銅鑼を飛び越し、たちまち闇の彼方へと走り去ってしまった。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

高槻鈍牛
月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。
表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。
数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。
そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。
あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、
荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。
京から西国へと通じる玄関口。
高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。
あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと!
「信長の首をとってこい」
酒の上での戯言。
なのにこれを真に受けた青年。
とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。
ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。
何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。
気はやさしくて力持ち。
真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。
いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。
そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。
なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!

御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり
もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。
海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。
無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる