狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百五十 狐侍、ただいま逃亡中。二十二日目 狐侍と炎馬

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「きゃあぁぁぁーっ」

 絹を裂くような若い娘の悲鳴が夜の雑木林に響く。
 耳にした瞬間、駆ける藤士郎は全身の血が凍りつくような感覚に見舞われて、おもわず足が止まりそうになった。けれども、ここで立ち止まるわけにはいかない。ぐっと丹田に力を込めて無理にでも前へと出る。

 藤士郎は林の小路を抜けた。
 飛び出したとたんに目に入ってきたのは、ぱちりぱちりと爆ぜては舞い散る大量の火の粉――くだんの家が燃えている!

「おみつちゃん! おみつちゃん!」

 名を叫び彼女の姿を探す藤士郎、その耳に聞こえてきたのは怒号と喧騒であった。
 そこで遅まきながら藤士郎は思い出した。この家にいたのはおみつだけではなかったことを。
 藤士郎が彼女の世話を受けて療養していたとき、市中との繋ぎ役として猫又や河童らが出入りしていた。なかには家の警護を担っていた者もいて、そのうちの幾人かが残ってくれていたようだ。
 騒ぎは炎を越えた先、家の裏側の方から聞こえてくる。藤士郎はすぐさま、そちらへと向かった。

 迂回している途中、折れた心張り棒と地面に倒れている若い男を見つけた。
 誰かとおもえば顔馴染み猫又の心助(しんすけ)であった。心助は深川の置屋である大戸屋に席をおき、芸者たちの身の回りの世話をする男衆のうちのひとり。彼とはいろいろあった間柄にて、心助は藤士郎に恩義を感じていた。ゆえに繋ぎ役も率先して引き受けてくれていたのだけれども……。

「心助、大丈夫か」

 誰にやられたのかなんて、訊ねるまでもなかろう。きっとあの人面妖火の仕業だ。
 駆け寄り声をかけた藤士郎に、「うぅ」と苦悶にてうずくまっている心助は言った。

「あっしは平気です、旦那。それよりもおみつさんを」
「すまない、あとでかならず助ける。それまで無理をするなよ」

 藤士郎は倒れた心助を残し、ひとり先へと。
 そうして家の裏側に駆けつけた藤士郎が目にしたのは、形を変えた人面妖火とこれに対峙する三人の河童たちの姿であった。
 人面妖火は、焔の姿ではなくて馬のような形になっている。ただし、首から上には醜怪な人の顔がのっていた。
 燃え盛る人面炎馬が暴れており、さお立ちとなっては勢いよく前足を振り下ろす。

 真っ赤に燃える馬の灼熱の蹄。
 慌ててこれを避けた河童たちが、蹄を地面に打ちつけたさいに生じる熱波に煽られ「うわぁ」と倒けつ転びつ(こけつまろびつ)。
 水妖と火妖、相性最悪にて、しかも相手はただの火ではないから、さしもの腕っぷし自慢の河童たちも迂闊に近寄れない。
 かとおもえば、馬首をめぐらせては急に後ろ脚が跳ね上がる。
 蹴りが空を切る。
 ぶわっと噴出した炎が宙に赤い三日月を描いたとおもったら、河童のうちのひとりが「ぎゃっ」と吹き飛んだ。
 とっさに蹄の直撃こそかわしたものの、派生した炎に炙られたせいである。

 河童たちが懸命になっては守っていたのは、おみつであった。
 だがそのおみつはうつ伏せにてぐったりしているではないか!
 左の肩から肘のあたりにかけて着物が焼け焦げている。どうやら襲撃を受けて負傷してしまったらしい。

 その姿をまのあたりにするなり、どくんと心の臓が大きく跳ねた。
 血が沸き立つ。気が高ぶるのを抑えられない。
 かつてない怒りを覚えた藤士郎は突き動かされる。我知らず吠えては小太刀を抜き、忌むべき敵へと目がけて猛進する。

  ◇

 狐侍と人面炎馬との戦い。
 人面炎馬が河童らとおみつの方にばかり気をとられているうちに、いきなり横合いから飛び出した狐侍の小太刀が閃く。
 怒りに我を忘れているとはいえ、身に染みついた武はぶれない。
 刃がみごとに首を捉えて、これを両断する。

 斬っ!

 不意打ちが決まった。
 だがしかし――。

 ぽとりと馬首が落ちることはなく、にやにやしながらくっついては、すぐに元に戻ってしまった。
 実体をともなわない怪炎の身ゆえに、斬れない?
 一方で相手の方は火にてこちらを焼くこともできれば、熱波で炙ることもでき、なおかつ蹄で踏みつけることもできる。
 なんたる不条理! なんたる理不尽!
 唯一の攻め手である小太刀を封じられた狐侍は人面炎馬をにらみ、ぎりりと奥歯を噛みしめる
 人面炎馬が、にぃと厭らしい笑みを浮かべた。


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