狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
449 / 483

其の四百四十九 狐侍、ただいま逃亡中。二十二日目 駆ける

しおりを挟む
 
 おみつの身に危険が迫っている。
 血相を変えた藤士郎が、光差す方へと駆けていく。
 足下をのびた一本の光線に導かれ、向かった先には小さな丸鏡があった。鏡面が眩いばかりに輝いている。
 銅鑼はそこへ飛び込めと言うけれど、とてもではないが自身と大きさが釣り合わない。長身痩躯をいくら縮めたところで、頭の先ほどしか入れそうにないのだが……。

「ええいっ、ままよ!」

 藤士郎は意を決し、鏡へと目がけて突っ込んだ。
 すると不思議なことに、小さな鏡の中へとするする己の身が吸い込まれていくではないか!
 珍奇な現象に理解が追いつかない。頭が混乱する。
 かとおもえば――。

 景色が一変した。

 鏡の世界がふつりと消えた。
 かわりに鼻孔をくすぐったのは馴染みの水の匂い。
 頬を撫でるのは隅田川沿いの江戸の風である。
 この地で産湯を浸かり生まれ育った身だからこそ、藤士郎にはすぐにわかった。
 ちらりと左方向に目をやれば、雷門に宝蔵門、聖観世音菩薩像を祀る大本堂、奥山や五重の塔などの姿がある――ここは浅草だ。

 けれども次の瞬間のことである。
 がくんと視界が下がった。かとおもえば、その身が落下をはじめたもので藤士郎は「げっ!」

 こちらとあちらを結ぶ饕餮の移動鏡。
 抜けた先はなんと空の上!
 いきなり宙に放り出されたもので藤士郎は慌てる。
 でも、落下はすぐに止まった。
 銅鑼だ。でっぷり猫の姿から本来の有翼の黒銀虎の姿へと変わっては、藤士郎のうしろ襟をひょいとくわえて翼をばさり。

 まるで親猫が子猫を運ぶかのようにして、銅鑼は今戸橋の上空を飛び、隅田川を越える。
 対岸へとついたところで、進路を北へ。
 そのまま川沿いをさかのぼり、鐘ヶ淵へと向かう。
 だがしかし、ここで急に飛ぶ勢いが落ちた。高度も下がっている。
 らしくない……。
 いつもの銅鑼であれば、この程度の距離なんぞはひとっ飛びである。
 訝しんだ藤士郎がどうにか首を捻って、銅鑼に目をやれば、その原因がすぐにわかった。

 黒銀虎は全身に傷を負っており、自慢の翼もぼろぼろ。ところどころ羽根が焦げたり、抜け落ちたりしており、破れ傘のようだ。肩を上下させており、息をするのも苦しそう。
 かつて見たことのない姿であった。
 いつもひょうひょうとしては、立ちはだかる難事をするりとあしらってきた大妖・窮奇が、そんな姿を晒している。
 それすなわち、それだけ凄まじい戦いを経て、ここにいるということ。

「ど、銅鑼……」

 大丈夫なのかい?
 そう言葉をかけようとした藤士郎であったが、銅鑼にじろりとにらまれて黙り込むしかなった。

  ◇

 饕餮と銅鑼のがんばりもあって、ついに先を飛ぶ人面妖火の背を捉えた。
 このままいけば、どうにか鐘ヶ淵の手前で追いつける。
 かとおもわれたのだけれども、せっかく縮まった距離がじょじょに開き始めた。
 飛行速度がみるみる落ちていく。苦しいのを我慢し、銅鑼は意地だけで飛んでいたものの、いよいよ体のほうがいけなくなってきたらしい。
 そしてついに高度を維持できなくなって、なかば不時着するかのようにして地面へと降りた。

「ぐっ、ここまでか……。先に行け藤士郎! おれは少し休んでから向かう」
「わかった」

 疲労困憊にて倒れ込んだ銅鑼を残し、藤士郎は駆け出した。向かうは鐘ヶ淵の川沿いにある雑木林の中に建つ一軒家だ。

 目指す場所の周辺には民家の姿はない。
 世俗から離れており、とても閑静なところ。
 あの一軒家はもとからいわくつきの家にて、それが焚書の術に使用されてからは、一帯に充ちる妖気がより濃さを増した。
 そのためなのか、日中でもどこか薄ら寒い気配が漂うようになり、寄りつく者がますます減ってしまったという。

(おみつちゃん……どうか無事でいておくれ)

 泡沫のごとく浮いてくる不吉な想像を振り払い、藤士郎は懸命に手足を動かす。
 矢となり駆けて、ついに雑木林の中へと入った。
 あとは林の小路(こみち)を通り抜けるだけ。
 しかしあとほんの少しというところで、前方から女の悲鳴があがった。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

散らない桜

戸影絵麻
歴史・時代
 終戦直後。三流新聞社の記者、春野うずらのもとにもちこまれたのは、特攻兵の遺した奇妙な手記だった。

武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり

もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。 海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。 無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。

処理中です...