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其の四百四十六 狐侍、ただいま逃亡中。二十二日目 燦爛世界に没す
しおりを挟む大魔鏡が創ったもうひとつの江戸の町、鏡の中の仮初の世界。
饕餮の介入が発覚した!
燃え盛る火輪落星が落ちてくる。
巻き込まれてはたまらない。すぐに逃げなければ……。
怒りと焦りがごちゃまぜの感情を抱え天を仰ぐ。
橈骨は上にばかり気をとられていた。
そこへ有翼の黒銀虎が強襲をかける。銅鑼の渾身の一撃が炸裂する。
十分に速度の乗った突進からの頭突き。
ぐわん!
銅鑼のぶちかましをもろに喰らった橈骨は、かつて味わったことのない重たい衝撃を受けて、一瞬意識が飛んだ。これもまた初めての経験であった。
気持ちが悪い。混乱と混濁とがぐにゃりと絡み合う。やり場のない感情が混ざり、まるで溝(どぶ)の汚泥のよう。
はっと橈骨が意識を取り戻したとき。
自分の身が押し上げられるままに、火輪落星へとずんずん近づいているところであった。
じりじりと身を焦がす熱に、橈骨は慌てる。
「なっ! 窮奇、きさまっ、いったい何を考えている? このままだといっしょに灼け死ぬぞ」
逃げようと橈骨は身をよじりもがく。
だが銅鑼はそれを許さない。かけられた虎爪が深く食い込み、離れない。
「はんっ、てめえと心中なんざ、おれもごめんだね。だから――」
銅鑼が後ろ脚にて宙を思い切り蹴る。とたんにぐんと勢いが増した。それと同時に翼を小さく折り畳む。
身をすぼめることによりぎゅっと濃縮される力、これにより黒銀虎はさらに加速する。
その様は、さながら国崩しの砲弾のよう。
一方で激烈な突き上げによる追い打ちを喰らった橈骨は、かかる風圧と暴力を前にして翻弄されてはされるがまま。
ついに橈骨と銅鑼は火輪落星の中へと突入する。
一面の輝々……そこはすべてを滅する光と炎と熱が支配する、純然たる燦爛世界(さんらんせかい)。
押されるままに灼熱に触れた橈骨が「ぎゃあああああ」と悲鳴をあげた。
けれども銅鑼はちゃっかり橈骨という傘の下にいて、自身は風の鎧をまとい、火と熱を寄せつけない。
とはいえ、それにも限度がある。このままでは、さほど時を置かずして劫火の洗礼を受けることになるであろう。
ゆえに銅鑼は……。
「もうこのへんでいいか。じゃあな、あばよ橈骨」
爪による拘束を外した銅鑼は、くるりと反転するなり「えいやっ」
橈骨をどんっ、思い切り蹴飛ばした。
銅鑼は荒ぶる怪獣の身を踏み台として、いっきに来た道を引き返す。
かくして橈骨は、ひとり超大な火球の中に取り残される形となった。
「おのれ窮奇っ、このままではけっしてすまさんぞーっ!」
橈骨の遠吠えを聞き流しながら、銅鑼はみるみる遠ざかっていく。さっさと火輪落星の中から脱出し、その場を離脱する。
ほどなくして橈骨ごと火輪落星は海に落下し、ふたつめのきのこ雲が出現した。
◇
饕餮の裏世界にて、四凶同士の戦いがいよいよ決しようかという同刻。
表の世界の方でも、そろそろ佳境を迎えつつあった。
千曲屋へと押し寄せた狐面の集団は、ついに店表を制圧し、その勢いのままに奥を次々と陥落させていく。
まるで赤穂浪士に討ち入りをされた吉良邸のごとく、千曲屋内はそこかしこにて剣戟と怒号が飛び交っている。
さなか、どさくさにまぎれて動くのは奉行所の手の者たち。
騒ぎに乗じて、千曲屋がこれまで行ってきた悪事の数々の証拠集めに奔走する。
すると、出るわ出るわのお宝の山。
「よし、これで奴も年貢の納め時だ」
「さしもの千曲屋文左衛門も言い逃れはできまい」
狐面組を率いていた近藤左馬之助と桑名以蔵はほくそ笑む。
が、その時のことであった。
ぷぅんと鼻先をかすめた臭いにふたりは顔を見合わせる。
それは何かが焦げるような、焼けるような臭い。
狐面越しにて気づくのが遅れたが、よくよく見てみれば周囲にはうっすら靄(もや)のようなものが漂っている
「ぬっ、まずいぞ、火が出たようだ」
「まさか千曲屋の野郎、追い詰められて自棄を起こしやがったか」
それを裏打ちするように、ここで聞こえてきたのは「火事だーっ!」という叫び声。
なにやら聞き覚えのある声だとおもったら、藤士郎であった。
奥から、だだだと廊下を踏み鳴らしては駆けてくる。
月遙を倒し、金碧障壁画の迷宮を脱してほっとしたのも束の間、やれやれとへたり込んでいたところで、急に自分の周囲から煙が立ち昇り、火が出たもので藤士郎は「ぎょっ!」
裏世界の影響が表世界にも及んだせい。ふたつの世界は不思議な隧道にて繋がっていたもので、そこから火が噴出したのだ。
しかしそんなこととは藤士郎は露知らず。ただ、一目散に逃げ出した。
みるみる強まっていく臭いと煙に現場は騒然となった。
こうなるともう喧嘩祭りや探索どころではない。
「おもいのほかに火勢が強い? いかん、このままだと煙にまかれるぞ。すぐに逃げろ」
幸いなことに十分な証拠は得られたので、左馬之助は撤退の指図を出す。
これを受けて狐面組の一同は引き揚げていく。そして千曲屋側の者どもも、「これ以上は付き合いきれん」とばかりに我先にと逃げ出した。
が、表へと出たところで待ちかまえていたのは、御用提灯の群れである。
遅ればせながら、ここで奉行所の捕り方が登場し、悪党に加担していた者どもは、抵抗するも次々とお縄にされていく。
じきに千曲屋は完全に炎に包まれた。
手の空いている連中や、駆けつけた火消しらがどうにかしようとするも、あまりの火勢に成す術なし。轟々と燃え盛る炎を、ただぼんやりと眺めていることしかできない。
けれども不思議なことに、その炎は店の敷地内に留まり、ほんのわずかにも隣近所に燃え広がることはなかった。
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