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其の四百四十二 狐侍、ただいま逃亡中。二十二日目 四凶激突!中編
しおりを挟む橈骨の吐いた青白い炎により、一瞬にして海原が氷原へと変わった。
次々とあらわれる氷山たちが、海面近くを飛ぶ銅鑼を突きあげんとする。
されど銅鑼はそのまま突進を続ける。上へと逃げれば、そこを橈骨に狙われるからだ。
両翼にて風を受け、ときに風をねじ伏せ、黒銀虎が宙を疾駆する。
進路を塞ぐ氷山を右へ左へと躱しながら、銅鑼は行く。
だが、その前方にひと際大きな氷山があらわれた!
壁のごとくそびえ立つ氷山、これに対して銅鑼は――。
「押してまかり通る!」
黒銀虎が猛り、振るったのは両前足の爪。
とたんに見えない風刃が氷山の表面を深々と抉った。
虎の足には四本の爪と一本のかぎ爪がある。うち、かぎ爪は補助的な役割りを担うので、主に使われるのは四本の方だ。攻撃時もまたしかり。
左右の前足が同時に振るわれたので――四と四、合計で八本の線が格子状に刻まれる。
けれども、硬くて大きな氷はぶ厚く、破るまでには至らない。氷山はいまだ健在。
このまま突っ込んだら、ぶつかる!
かとおもわれた矢先のこと、銅鑼が咆哮をあげた。
「ぐぅおぉぉぉぉぉぉおぉぉぉん」
洞窟の奥で雄叫びをあげたかのような、低く少しくぐもった声。
腹の底に響くそれが大気をびりびりと震わす。
すると音が波となり、氷山をも震わせ、みるみる広がっていくのは先ほど銅鑼が刻んだ爪痕である。
爪痕が深い割れ目となり、これを中心にして四方八方へとひびが入っては、亀裂が走る。
それは深部にまで到達し、なおも内部を浸蝕する力に耐えかねて氷山は瓦解した。
がらがらと崩れていく氷山。
降るように落ちてくる氷片を物ともせず、銅鑼は突き進む。
これにぎょっとしたのは橈骨だ。
てっきり氷山を迂回するなりして、自分の方へと向かってくるはず、その鼻づらにたっぷり呪を込めた黒炎を浴びせかけてやろうと待ちかまえていたところが、当てがはずれた。
「なんだとっ!」
あまりの傍若無人っぷりに、橈骨は大きく目を見開く。
そんな橈骨を銅鑼はせせら笑う。
「呆けたか、橈骨? このおれが何者かを忘れたか? おれこそは窮奇、天上天下、唯我独尊な化け物ぞ」
有翼の虎にて、正義を嘲笑い、誠実を踏みにじり、悪を尊ぶも、わずかにでも意に添わねばたちまちへそを曲げてそれを蹂躙する大妖。
世の理を鼻で笑い、着の身着のまま、気の向くままに、悠久の刻を生きる……それが窮奇である。
すっかり江戸の水に馴染んで、ここのところはおとなしくしているが、それはあくまで仮初の姿に過ぎない。その本性は歩く災禍である。
にへらと笑い、牙を剥く災禍。
ふたつの雄叫びが重なった。
橈骨と銅鑼がふたたび接敵しては、正面より激突する。
火を噴く橈骨、あらゆるものを腐蝕する黒炎を周囲に展開しては、銅鑼を迎え討とうとするも、その黒炎の壁がいきなり両断された。
銅鑼の仕業だ。爪による一閃、風の刃が黒炎を切り裂き、侵入路をこじ開ける。
勢いもそのままに迫る銅鑼。
させじと橈骨は火球にて狙い撃つも、そのことごくが当たらない。はじかれ、ねじ伏せられ、避けられる。
銅鑼は止まらない、止められない。
もはや衝突は不可避。
そう判断した橈骨の身が瞬時に紅蓮に包まれた。荒ぶる怪獣が太陽のごとき熱と輝きを帯びる。灼熱にていっそう凶悪になった牙でもって、向かってくる銅鑼を串刺しにせんとする。
炎と風がぶつかり、竜巻が起きた。
その中をくるくると舞い上がっていたのは、折れた橈骨の左の牙。
最初の衝突のときにひびが入っていた箇所を、銅鑼の爪が精確になぞっての痛打を加えたがゆえの結果であった。
だが、それだけではすまない。
「がぁ」
苦悶の声にて、橈骨の身がぐらりと傾ぐ。
その左脇腹には、爪跡が刻まれていた。
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