狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百四十 狐侍、ただいま逃亡中。二十二日目 窮奇と橈骨

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 狐侍が金碧障壁画の迷宮に引きずり込まれ、月遙と対峙していた頃。
 外では美小姓に扮した橈骨と、窮奇こと銅鑼が相まみえていた。
 すでに猫の姿から有翼の黒銀虎へとなり、正体をあらわしている銅鑼に対して、橈骨はいまだ人の身に化けたまま。にやにやのし通しにて、その表情が銅鑼をいっそういら立たせる。安い挑発だとはわかっていても、銅鑼は己が内に湧き起こる怒りを抑えきれない。瞼の裏にありありと甦る記憶、過去の後悔、因縁の数々が銅鑼を駆り立てる。

 美小姓が暗い廊下を滑るようにすーっと動く。闇に溶けるかのようにして、奥へ奥へとさがっていく。
 銅鑼はこれを追いかける。
 が――走れども走れども、両者の距離はちっとも縮まらず。
 ばかりか、長い廊下がいつの間にやら、暗い隧道(すいどう)へと変わっていた。
 視界の先、闇の奥底にて美小姓の白い顔がありありと浮き立っている。

「ふはははははは……」

 美小姓の異様に赤い唇が歪み、嘲笑が木霊する。
 いまいましそうに銅鑼が舌打ちをしたところで、ふわりと鼻先をかすめたのはある匂いであった。

「これは……潮の香り?」

 唐突に闇を抜けた。
 隧道が終わり視界が開ける。
 急に足下が失せたもので、銅鑼は「おわっ」と両翼を広げ、落ちるのをまぬがれた。
 眼下に広がるのは夜の海原――見上げれば怖いぐらいに星々がぎらついていた。彼方に目を凝らせば三浦半島と上総国(かずさのくに)が見える――ここは江戸前の海だ!

  ◇

 波穏やかな暗い海の上に美小姓が立っている。

「こんなところに連れ出しやがって、いったいどういうつもりだ!」

 銅鑼が金色の瞳にてギロリとねめつければ、美小姓は芝居がかった仕草にて肩をすくめる。

「おやおや、ずいぶんな言い草だ。気を利かせてわざわざ場所を変えてやったというのに。考えてもみろよ、窮奇。もしもあそこでおれとおまえがぶつかっていたら、どうなったとおもう?
 千曲屋のあった界隈は吹き飛んで、江戸はたちまち火の海よ。そうなったらかつての鎬京(こうけい)の都どころの騒ぎではとても済まぬぞ。
 なにせこの地は火との相性が良くて燃えやすいからなぁ。『火事と喧嘩は江戸の華』とはよく云ったもんだ」

 江戸では身分により明確な住み分けがなされている。
 じつは武士が七割近い土地を占有し、残りを寺社と町人らが分けあって暮らしていた。
 だが江戸でもっとも数が多いのは町人である。
 町人らは限られた土地内にてひしめいていた。そのため狭い地域に住居が密集しており、ひとたび火事になれば延焼が起きる。風向き次第では、それが燎原の火のごとく盛大に燃え広がる。

 大妖同士がそんな場所でぶつかれば、どうなるのかなんて言わずもがな。
 だから、戦いの場を海の上に移したというのが橈骨の言い分だ。
 しかし銅鑼はこれを聞いて「へっ、いけしゃあしゃあと恩着せがましい」と鼻で笑った。

「けっ、おまえがそんな殊勝なたまかよ。おおかた楽しみはあとにとっておこうとか、そんな了見だろう。ちがうか?」

 これに美小姓はくつくつ肩をふるわせ、ぺろりと舌を出しては「おや、ばれたか」とおどけ、にゅうっと目尻を下げては口の端を歪める。その笑みのなんと邪悪なことか。
 けれども次の瞬間のことであった。
 その笑みがずばっと切り裂かれる。
 やったのは一枚の羽根、銅鑼の翼より放たれたものだ。羽根が薄い刃となりて美小姓の顔面へと襲いかかる。

 無惨に破れた美小姓の面の皮。
 その奥から見え隠れしているのは人外の様相。

 みちり……みちり……みちり……。

 音を立て皮膚どころか肉をも裂けていき、美小姓の姿がみるみる壊れていく。
 それとともに強い妖気が溢れ出した。

 その異形……、容姿はどことなく虎に似ている。けれども体毛が長く、濡れた女の髪のように不気味にうねうね波打っていた。
 首から先には人の顔が張りついているものの、それは醜怪極まりなく、この上なく観る者の神経を逆撫でする。
 四肢は虎のごとく逞しく雄々しい。
 口元は締まりのない豚のようでありながら、猪のごとき牙が生えている。
 尾がかなり長い、大蛇のごとくうねっている。
 全身から禍々しくも猛々しい気焔が立ち昇っている。
 荒ぶる怪獣「橈骨」が、ついにその本性を曝け出した。


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