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其の四百三十九 狐侍、ただいま逃亡中。二十二日目 傍目八目
しおりを挟む狐侍へと覆いかぶさるようにして襲いかかってきた肉傀儡、その首筋をちょんと切り裂き、動きが鈍くなったところをすかさず蹴り飛ばす。
蹴られた相手はよろけながら別の者へとぶつかり、まとめて転がる。
それらに足をとられて後続の集団がまごついているうちに、狐侍はきびすを返しては、その場を離れた。
取っ手に指をかけ引けば、たんっと小気味よい音を立てて襖が開く。
敷居の滑りがいい。建付けがよい。我が家とは大違いだ。
なんぞとぼやきつつ、狐侍は隣の座敷へと踏み込む。
駆けても駆けても同じ景色、四凶が描かれた地獄絵図が延々と続いている。
金碧障壁画の迷宮内を、肉傀儡の群れから逃げ惑いながら、狐侍は懸命に打開策を模索する。探しているのは迷宮という特殊な結界を成り立たせている大元だ。それさえ壊せば、きっとここから解放されるはず。
「なにか、なにかあるはずなんだよ。なにか見落としているものが……。――っ!」
狐侍の思考を遮ったのは、突如として襖絵の向こうからあらわれた槍である。
穂先が襖絵を突き破り、狐侍を串刺しにせんと迫る。
刺突の直前に、びりり! 紙が裂ける音がしたもので、いち早く気づけた狐侍は身をひねりこれを躱すことができたものの、心中たいそう驚いた。
なぜなら、これまで肉傀儡は素手にて、無造作に向かってくるだけであったからだ。
それがここにきて変化が起きた。
四尺半ほどの短槍を持つ肉傀儡が、目に見えて増えた。
槍の扱いはお粗末のひと言、手にした槍を力任せに真っ直ぐ突き入れてくるだけ。
でも、やっかいなのが相手に感情らしきものが皆無ゆえに、殺気やら攻撃の予兆がまるで感じられないことと、数が揃うと槍衾を形成すること。
それから槍の穂先近くに付けられている、赤い房飾りの存在も無視できない。
大陸の方の槍でたまに見かける花槍だ。
目くらましや返り血で手元が濡れないように、あるいは演舞や祭事に彩りを添えるなどのための工夫らしいのだが、いざ対峙してみるとこれが地味にやりづらい。
視界の中をちらつく赤により、どうにも目が滑る。
例えるのならば釣りの浮きみたいなもの。そちらに目が惹きつけられて、水中にある針の存在が意識の外へと抜けてしまう。
ばかりか錯覚をも誘発するらしく、穂先の間合いを微妙に見誤ることもあるから注意が必要だ。
赤い房飾りがふわふわと宙を遊んでは、いきなり飛んでくる。
それを掻い潜りながら狐侍は逃走を続けている。
目当てのものはいまだ発見できず。
状況はじりじり悪化しており、着実に追い詰められている。
「ない、どこにもない! まずいね。さすがにこのままだと……」
焦りを募らせる狐侍は必死になって考えた。闘いながら、逃げながら、考えに、考えに、考えて、知恵を絞り、写本仕事で蓄えた無駄知識をも動員し、あるいは巌然さまならばどう動くか、などを考えたりもしていると……不意に天啓が降りてきた。
それはとある肉傀儡を仕留めた直後のことであった。
「ふう」
息をつきながら額の汗を拭う。
動かなくなった相手を見下ろし、ふと思ったのだ。
――そういえば、同じものばかりが連なるこの場所で、ふたつだけ異なるものが混じっている。
ひとつは自分自身、狐侍こと九坂藤士郎である。
おそらくはこの迷宮内に囚われた唯一の生身の人間であろう。
そしていまひとつは狐侍が最初に斬った者……月遙だ。
義手を持ち、鉤縄を自在に操る強敵……その正体は妖術を用いる道士である。
けれども奇妙なことに先の闘いのさなか、彼女は妖術の類をひとつも使ってはいなかった。千住大橋ではあれほど大掛かりな目くらましにて、まんまと狐侍を誘き出しては罠にはめたというのにである。
迷宮の維持の方に力を割いているせいかもしれないが、にしても札の一枚も出さず、呪文のひとつも唱えないのは、いささか解せない。
なお月遙の劣化模造品である肉傀儡たち、義手持ちはひとりもお目にかかっていない。
「……月遙は血だまりに沈んでいた。ぴくりともしなかった。命脈を断った手応えはあった。でも、本当にそうか?」
あの時は、いささか気が急いていた。いっこうに結界の術が解けぬことにいら立ち、なおかつあらわれた肉傀儡たちのせいで、きちんと彼女の死を確認していない。
「はっ! もしかして私はとんだ勘違いをしていたんじゃなかろうか」
傍目八目(おかめはちもく)とはよく云ったもの。
近すぎて気づけなかった。距離を置くことで冷静になれた。
であれば、逃げ回ったかいがあったというものであろう。
狐侍はすぐさまきびすを返し、来た道を駆け戻る。
◇
ややこしい金碧障壁画の迷宮内だが、争いの痕跡を辿れば自然と逃走経路をなぞれた。
敵勢をいなしつつ、どうにか元の座敷へと辿り着く。
すると、そこには変わらず月遙が倒れていた。
だがしかし、狐侍はそちらには目もくれず。
足を向けたのは斬り飛ばした義手の方である。
ずっと違和感があった。月遙の義手はつねのものと比べると、あまりにも生々しい。艶めかしく本物と見まがう女人の腕、人形造りの名人による逸品なのだろうと思っていた。
仏像を専門に彫る仏師の中には、観る者が拝まずにはいられないような凄い作品を仕上げる者がいる。
そんな名人らは寝食を忘れ心血を注ぎ「作品に魂を込める」そうな。
逆に「仏作って魂入れず」なんて言葉もある。
では、月遙の義手はどうであろうか?
このことを意識して、改めて眺めてみれば一目瞭然であった。
そう、答えはすぐ目の前にあったのだ。
「こっちが貴女の本体だったんだね? よもや本当に人形の腕に魂を込めているとはおもわなかったよ」
狐侍は切っ先を下に向けて、両手にてしっかり柄を握るなり、思い切り小太刀を床に転がる義手へと突き立てた。
直後に声にならない悲鳴が響き、迷宮全体が震えたとおもったら、そこかしこの空間にひずみや亀裂が生じた。
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