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其の四百三十四 狐侍、ただいま逃亡中。二十二日目 相克
しおりを挟む「藤士郎っ!」
銅鑼は障子の向こうへと消えた藤士郎をすぐに追おうとする。
けれども、それはできなかった。
踏み出そうとしたところで、はっとふり返った銅鑼がにらんだのは、暗い廊下の奥だ。
先へと進むほどに闇が凝り固まっている。その一番濃い底よりぷかりと浮かんだのは、白い顔であった。
美しい小姓がにぃと笑う。
大人にはなりきれず、さりとて子どもでもない。
無垢だが、それゆえにどこか危うさが漂う。ふらふらしており、芯が定まっていない。その純真さがかえって不安をかきたてる。
陰と陽、男と女、その枝分かれが始まる寸前の淡い中性的な年頃特有の、不可思議な魅力が劣情を煽る。
かわいい、愛おしい……、そんな感情が湧いてくる。
一方でなぜだか、これを痛めつけたい、無茶苦茶に壊したい、穢したい、そんな嗜虐心がかま首をもたげては、そのような想いを抱く自分に気がついてぞっとする。
己の中にある様々な感情を、勝手に引きずり出されては、ごちゃごちゃにかき混ぜられることの、なんと不快なことか!
銅鑼はかつてないほどの嫌悪を込めて、美小姓の名を口にした。
「やはり、てめえか橈骨……。あいかわらず、反吐が出るほどのいけすかねえ野郎だぜ」
かつて四凶と呼ばれる者たちがいた。
それは遥か古の時代である。広大な中原にて、おおいに名を馳せた大妖らのことだ。
凶徳を好んで行い、けっして友とすべきではない、反道徳的な醜類悪物「渾敦(こんとん)」
知識、財、この世のあらゆるものをひたすら貪り食らう、貪欲を象徴する魔物「饕餮(とうてつ)」
有翼の虎にて、正義を嘲笑い、誠実を踏みにじり、悪を尊ぶも、わずかにでも意に添わねばたちまちへそを曲げてそれを蹂躙する、唯我独尊な化け物「窮奇(きゅうき)」
平和や安穏、天下泰平を何より嫌い、人々の嘆きにうっとり陶酔し、血と死臭に溢れた戦乱の中に吹く殺伐とした風を好物とする、荒ぶる怪獣「橈骨(とうこつ)」
いずれ劣らず。ひとたび降臨すれば世に災いをもたらす者たち。
悠久の刻の流れの中で、四凶はときに反目したり、ときに傍観したり、ときにちょっかいをかけたりかけられたり、本格的にぶつかったりしてきた。
千年以上も昔のことである。
かつて大陸には周と呼ばれる大国があった。三百年ほども君臨していたが、ひょんなことから東西に分かれては、また統一されるという内紛が起こり、これを機に疲弊した国力は戻らず。みるみる衰退していく。
往年の勢いを失った統治下では、二百を越える諸侯が生き残りをかけて、あるいは覇者となる野望を抱き大きく動き出そうとしていた。
後の世に「春秋戦国時代」と呼ばれる激動の乱世を間近に控えた時期である。
そんな時代の片隅で……。
渭水(いすい)流域は鎬京(こうけい)の都が災禍に見舞われた。
都を焼き、一帯を代々守っていた道士の一族を根絶やしにしたのは橈骨であった。この地を襲ったのは、邪魔な結界を取り除くためである。
結界は邪を払い、その地を清め、人心をなだめる働きがある。
これを失ったことによって、いままでせき止めていた諸々が一斉に襲いかかり、溢れ出し、荒廃が燎原の火のごとくたちまち広がって、人倫は失われ戦乱の世が幕を開けることとなった。
諸説あるが、戦乱はじつに五百年以上にも渡って延々と続くことになった。
「橈骨……貴様にはいろいろ訊きたいことがある。今回の悪ふざけはいったいなんだ? またぞろ悪い虫が騒いだか? それにあの人形もだ。わざわざあんなものを造りやがって」
「おやおや、いきなりのご挨拶だな窮奇。ずいぶんとひさしぶりだというのに。その様子だと気に入ってくれたみたいでよかった。わざわざ手間暇をかけて造ったかいがあるというものだ」
人形とは月遙のことである。
古来より死人を生き返らせるという秘法は、いろいろと伝わっている。
死者に飲ませればたちまち生き返るという反魂丹や、焚けば煙の中に死んだ者があらわれるという反魂香、かの西行法師が行ったとされる人骨と砒霜(ひそう)なる秘薬を使った術……。
命はうつろい、儚く脆い。
ゆえに尊いとする一方で、死を厭い生へ執着する。
相克する想いを抱えて人は生きている。
その中でいつしか、求められるようになったのが死者蘇生の方法だ。
が、それは世の理を覆す最大の禁忌にほかならない。
生者と死者の間には三途の川が横たわり、これにより現世と死後の世界は分かたれ、なんぴとも侵すことかなわず。
その絶対の法を曲げることは、世界そのものに反旗を翻すようなもの。許されざる大罪だ。
ゆえに、実際に死人を蘇らせることに成功したものは皆無である。
いくら大妖の橈骨とて不可能のはず。
「それを……てめえ、いったい月遙に何をしやがった!」
全身の毛を逆立て、でっぷり猫の身がみるみる大きくなっていく。本来の姿である有翼の黒銀虎となった。
いきり立つ銅鑼に目を細めたのは、橈骨が化けている美小姓である。ぺろりと舌で己の上唇を舐めては「ふふふ」と笑いつつ、その顔が闇の底へと沈んでいく。
逃がすまいと銅鑼も駆け出し、闇の底へと飛び込んだ。
かくして幾星霜ぶりに、大陸の中原より遠く離れた江戸の地で相まみえた四凶同士の闘いが始まった。
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