狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百三十三 狐侍、ただいま逃亡中。二十二日目 分断

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 表の喧騒がいっそうの激しさとなっては、じょじょに近づいてくる。
 外のことなんぞは知らんとばかりに、堅く戸を閉ざしていた千曲屋であったが、いかに日ノ本有数の札差であろうとも、しょせんは商家である。砦や城とは造りが違う。蔵の金目当ての盗賊らを突っぱねることは出来ても、猛る多勢を防ぐことはかなわず。

 千曲屋の表戸がひしゃげて破られた。
 突っ込んできたのは大八車であった。背には天水桶の姿がある。天水桶は町中の道端に置かれている防火水槽だ。大きな桶の中には雨水がたっぷり入っており、そのせいでかなりの重量となっている。
 そんな大八車を屈強な男たちが力を合わせて押しては、勢いのままにぶち当たったのだから、商家の木戸程度ではとても耐えられない。

 店側とて備えを何もしていなかったわけじゃない。むざむざ侵入を許すものかと、千曲屋の警護を率いている者の指示により、内側にて即席の防塁を作っていた。
 だが、大八車はそれをも突き崩す。
 同時に積んであった天水桶が転げ落ち、中身をざぶんと景気よく周囲にぶちまける。
 天水桶の天水とは雨水のこと。自然に貯まるにまかせていた水は少々臭う。
 店側の者らが一瞬怯んだ隙に、大八車の陰から素早く店内に入った者が、くぐり戸の心張り棒をはずした。

 歓声があがった。
 狐面の男たちが次々と踏み込んでくる。
 させじと千曲屋の用心棒たちが立ち塞がっては、どうにかして押し返そうとするも、入ってくる方が数も勢いもあっては、ままならず。
 そうしている間にも、まるで傷口をこじ開けるかのようにして、次々と表戸がはずされていく。
 これにより情勢がいっきに傾き、狐面組が俄然有利になるかとおもわれたが、そうはならない。

 屋外での争いが屋内へと移行したことで、動きに枷がついた。せっかくの数の利が活かせない。とたんに勢いも鈍る。
 不自由な中にて前方を千曲屋の用心棒どもに塞がれた。店の奥より応援も駆けつけてくる。地の利にて守勢が踏みとどまり盛り返す。
 一方で攻勢がまごまごしているうちにも、後続がじゃんじゃん入り込んでくる。

「もう、これ以上は無理だ! 入って来るなっ」

 誰ぞが警告を発したものの、みんな興奮してすっかり頭に血が昇っているから、ろくに言うことを聞きやしない。虚しく怒号にてかき消されてしまう。
 そのせいで人の流れが完全に滞ってしまった。
 神田祭の大神輿の渡御のごとき、押し合いへし合い。
 敵味方が密接しては入り交じる。互いの距離があまりにも近すぎて、白刃を閃かしては同士討ちになりかねない。どうにも危なっかしい。こうなるとろくに得物を振れやしない。
 ひっきょう素手で殴り合うことになった。
 そのせいで事態は泥試合の様相を呈していく……。

  ◇

 店表の騒ぎをよそに、中庭へと降り立ったのは藤士郎と銅鑼である。
 つい先ほどまでここにも見張りの者がいたのだが、応援に借り出されてしまった。それだけあちらの状況が切羽詰まっているということ。
 いい塩梅にみなの目があちらに集まっており、奥の警備が手薄となった。藤士郎たちはしめしめとほくそ笑む。
 だからとて、すぐには踏み込まない。
 庭木の根元にてしゃがみ込み、じっと周囲の様子を伺う。
 問題はなさそうである。そこで中庭を横切り縁側へと近づく。

 長くのびた縁側……。
 さすがは大店だ。よく磨き込まれており、暗がりの中でもぼんやり艶めき、まるで揺らめく夜の川面のよう。
 縁側に向かって左側が店表にて、こちらからは喧騒が聞こえてくる。左馬之助たちはよほど派手に暴れているらしい。
 比べて右側のなんと静かなことか、まるで水を打ったかのようだ。
 不気味な静寂であった。
 そのくせ空気が妙にねっとりしており重い。厭な緊張感が漂っている。
 息を潜めているというよりも、まるで何かに怯えて息を殺しているかのよう。

 だが、いつまでも臆しているわけにはいかない。
 藤士郎と銅鑼はうなづき合うと、意を決して縁側へとあがった。
 進むはもちろん右奥である。

 そろり、そろり、足音を立てぬように気を使いながら暗い廊下を慎重に歩く。
 ときおり立ち止まっては、廊下の両脇に連なる障子越しに耳をすましてみるも、人の気配は微塵も感じられない。
 いや、それどころか人が暮らしている痕跡すらもが、極めて希薄だ。
 千曲屋は大店だ。つねに大勢の者らが詰めているはず。
 なのにこれはいったい……。

 その時のことであった。
 不意にすぐ脇の障子戸が開いたとおもったら、いきなり白い腕がのびてきて、藤士郎の左腕へと絡みつく。
 むんずと掴むのではなくて、まるで親しい男女が腕を組むかのような柔らかな仕草――だというのに堅い感触――そのくせ妙に引く力が強い。
 瞬間、藤士郎は困惑した。
 すぐにはっとして振りほどこうとするも間に合わず。
 問答無用にて引きずり込まれてしまう。
 異変に気づいた銅鑼が慌てて駆け寄ろうとするも、その鼻先にて障子戸はぴしゃりと閉じてしまった。


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