狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百二十七 狐侍、ただいま逃亡中。十五日目

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 千住大橋での攻防では、まんまと月遙にしてやられた藤士郎。
 かろうじて七七日忌箱の奪取には成功するも、藤士郎自身が傷を負い大川に没する。
 溺れかけ、あわや土座衛門となるところを助けてくれたのは、河童たちであった。だが彼らが縄張りとしている水辺にも、すぐに追捕の手がのびてくる。なかには鼻の利く猟犬を連れている者まで混じっており、やっかいであった。これではうかつに陸にあがれない。
 さりとて川の中が安全とは言い難い。千両首目当ての輩が浮かべる小舟が多数にて、目を皿にしてはきょろきょろしている。
 だが、なによりもまず藤士郎の怪我の手当をせねばならぬ。それに彼は人間にて、いつまでも水の中ではどのみち、もたない。

 そこで河童たちが藤士郎を運び込んだのは、鐘ヶ淵の川沿いにある雑木林の中に建つ一軒家であった。
 周囲に民家の姿はなく、世俗から離れており、とても閑静なところ。いかにも風流人などが好みそうな雰囲気である。
 けれども以前より怪異が頻発し、これを恐れて近づく者とてほとんどなく、なかば無人化していることを、河童たちは付近に隠れ住む妖連中から聞き及んでいた。
 ゆえに「ここならば、きっと」と考えた。
 だがしかし、その家は奇しくも藤士郎と縁があるとは河童たちも露知らず。
 じつはその家こそが、かつて火残魔(ひざま)の怪と藤士郎が対峙した場所であったのだ。

 火残魔の怪は、七冊の書物にて封じられしものである。
 もとは山神の使役した何からしいのだが、詳しい正体はわからない。
 この怪はとても強力にて、末代まで祟るようなしろもの。
 そのため七冊の本の中に物語という形で分散封印されていた。この封印術を焚書の術という。
 だが、時の移ろいとともに封印の効力は次第に薄れていく。だから一定の周期で再封印を施す必要があり、その方法というのが写本であった。
 さりとて誰が写してもいいわけではない。並みの者では無事ではすまない。逆にとり殺されてしまう。精根を吸い取られて命が奪われるか、はたまた気狂いになるか。
 筆遣いの達者なのはもとより、心身ともに健やかにて豪胆なる若い男のみが、この試練に挑める。
 藤士郎はこの試練に見事打ち勝ち、再封印を施すことに成功するも、かなり際どいところにて、終わったあとはしばらく寝込むはめになったものである。

 その時の影響か、はたまた山の神の無念の残滓のせいか。
 とにもかくにも、焚書の術を行う場所として使われて以降、この家にはますます人が寄り付かなくなった。
 でも妖連中にとっては、かえって都合がいい。
 自分たちが気軽に使える場所が増えたのだから。
 だからこそ河童たちは人目につかぬここに、藤士郎を運び込んだのだけれども……

「どれ、ではさっそく河童の秘薬にてちょちょいと治してしまおうか。なぁにこれしき傷、あっという間だ」
「いや、ちょっと待て。この者、すでに何度も我らの薬の世話になっていると聞くぞ」
「なんと! では、いささかまずいやもしれぬ」
「だな、下手なことをすると人間ではおれなくなるやもしれん」
「う~ん、しかし困ったな。自慢の薬が使えぬとなると、いささか我らの手に余るぞ」
「これは一度、得子さまにお伺いを立てた方がよかろう」

 かくして治療はいったん中断し、すぐさま藍染川の得子のもとへと使いの者が向かったのだが、そこにたまさか居合わせたのが猫又芸者のちとせとおみつであった。
 藤士郎が撃たれて大川に落ちたと聞いて、矢も楯もたまらずに九坂邸を飛び出し、女たちが向かった先もまた、得子のところであった。
 川のことならば藍染川を統べる河童の姉御に訊いた方がはやいと、ちとせが言ったからである。
 なお、この頃になると、おみつも自分の周囲の者たちが、人間とは違うと薄々勘づいていたが、あえて何も言わなかった。
 おみつとて伊達に知念寺の界隈で商いをしているわけではない。不思議のひとつやふたつに物怖じしていては、あそこではやっていけないのである。茶屋の看板娘は華奢な見た目に反して、随分と胆が据わっていた。
 しかしながら、それが功を奏す。
 火急のときに居合わせた唯一の人間の存在が、藤士郎の救いとなった。
 事情を聞いたおみつは言った。

「でしたら、わたしに行かせてください! わたしが藤士郎さまを助けます」


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