狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百二十二 狐侍、ただいま逃亡中。十三日目 前編

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 浅草寺界隈を横目に、さらに隅田川をのぼっていくと、町の喧騒が遠のき寂しい場所にでる。
 小塚原の仕置き所――刑場のある処だ。
 江戸の刑場といえば、南の鈴ヶ森、北の小塚原と云われるほどに有名にて、数多の罪人たちが怨嗟を吐きながら命を落としてきた。
 累々と積み重ねられる死。
 だからなのか、この地を骨ヶ原なんぞと呼ぶ者もいる。
 小塚原の刑場では、打ち首獄門のみならず、磔(はりつけ)に火刑などが実施される。
 ばかりか腑分けに試し斬りなども行われる。
 死体はだいたいが野ざらし、よくて土を簡単にかぶせる程度にてきちんと埋葬されることはない。
 そのため夏場になると辺り一帯に腐臭が漂い、臭いにつられて集まる野犬や鴉(からす)に鼬(いたち)などがあちこちをほじくり返しては死体を食い散らかすもので、まるで地獄のような有り様であったという。

 だが、近頃ではそこまで酷くはない。
 あいかわらず陰気で不気味な土地だが、さすがに見かねた弟誉義観(ていよぎかん)なる僧侶が刑場隣にお堂を建てて供養を始めたのを皮切りにして、それなりに供養がされるようになった。
 とはいえ、この地に染みついた死の気配を払拭するには至らず。独特の雰囲気を醸し出し続けている。

 そんな界隈を頻繁に行き来しては、例の義手の女が北の千住大橋を渡っているという。
 このことを掴んできたのは高祢太夫の意を受けて、千曲屋を見張っている者のうちのひとりであった。
 話を聞いた藤士郎は、すぐにこれを罠――義手の女の誘いだと看破する。
 義手の女はかなり目立つ容姿をしており、ただ町中を歩くだけでも話題になるほど。
 そんなのが、わざわざ寂しい場所をうろついている。
 あまりにもあからさまであろう。

(とはいえ好機であることも事実……)

 現在は高祢太夫の庇護の下、吉原は大黒屋に匿われているが、さすがにこのままやり過ごせるなんぞという甘い考えは、藤士郎も持っていない。じきに風向きがかわって、ここにも居られなくなるだろう。
 となれば、いっそのこと自分から風を吹かせた方がいい。どのみち流れに身を任せるしかないのであれば、せめて飛び込む時機は自分で決めるべきであろう。さすれば気構えが段違いにて、覚悟を持って事態に挑める。
 悩んだ末に藤士郎はあえて義手の女の誘いに乗ることにした。

  ◇

 奥州は日光道中の江戸の玄関口ともいえる場所が千十大橋だ。
 その橋の下のたもとに、編み笠を目深にかぶった藤士郎の姿があった。
 吉原から小舟で隅田川を遡り、ここまでやってきた。

 時刻は昼八つにて、お天道さまが真上を少しばかり過ぎた頃。
 義手の女に接触するのであれば、帰路の人気(ひとけ)の少ない夕刻を狙うほうが確実なのであろうが、それだとたぶん先方にも読まれている。
 だからこそ裏をかく。朝駆けならぬ昼駆けを敢行する。
 日中の千住大橋は人の往来が盛んだ。周囲に人の目がある以上、双方ともにあまりめったなことは出来ないはず。
 人混みにまぎれていっきに距離をつめて、銅鑼が閉じ込められているという箱を奪う。
 義手の女がいつもこれ見よがしに箱を持ち歩いているのは、すでに確認ずみにて。

 目を閉じ、藤士郎が心を鎮めて精神統一をしていると、そこに音もなく近づく男がいた。高祢太夫の命を受けて、藤士郎に協力してくれている者たちのうちのひとりである。

「九坂さま、女がきやした。じきに小塚原を抜けやす」

 藤士郎は瞼をあけてうなづく。

「わかった。では手配通りに頼む」
「へい、では」

 男は来た時と同様に音もなく去っていった。
 再びひとりとなったところで、藤士郎は腰の小太刀の状態を確認する。
 逃亡中に戦いが続いたもので切れ味が幾分落ちていたが、それも大黒屋に匿われているうちに研ぎを受けられたので、すでに解消されている。
 抜いて軽くひと振り、感触を確かめてから鞘へと戻す。
 襲撃の手順は簡単だ。
 女が橋の真ん中あたりに来たところで、橋の両側を手勢で塞ぎ袋の鼠にする。あとはひと息に距離を詰めて女に当て身を食らわせ、駕籠に押し込めて運び去るばかり。
 人攫いを生業としている連中がよくやる手だ。人混みは必ずしも安全とは限らない。あれでけっこう死角が多い。心の間隙も生じやすく、それだけつけ入りやすい。
 あまり褒められたことではないが、今回はそれを真似させてもらう。

「さてと、そろそろ行くか」

 腰をあげかけた藤士郎、そこで目についたのが足下に落ちていた小石である。
 浮かしかけた腰を戻し、藤士郎は小石を三つばかり拾って懐にねじ込んだ。いざという時の投擲用だ。棒手裏剣などは扱いやすい反面、見かけよりもずっと重たいし、形が整っている分だけ、じつは刀ではじきやすいのだ。
 その点、不揃いの石は投げるのにこつがいるものの、防ぎにくい。受けたときの衝撃はおもいのほかに大きく、当たり所によっては死ぬこともある。こと実戦では石礫は侮れない。なにより元手がただなのがありがたい。
 すっくと立ち上がった藤士郎は、橋の上へと向かって歩き出した。


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