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其の四百二十 狐侍、ただいま逃亡中。八日目
しおりを挟む頭数が増えれば、それだけ分け前が減る。
さりとて欲しい千両首……。
だがひとりで江戸市中を逃げ回る獲物を追うのは難儀だ。
ゆえに、いずれは徒党を組む連中があらわれるであろうと、藤士郎も予想はしていたが、おもいのほか、その動きが早い。
「それだけ焦っているということ。競争が激化しているということか……」
つぶやきつつ藤士郎は素早く視線を走らせては、状況を確認する。
敵勢は二十四、うち弓がふたりにて、槍持ちもひとりいる。
乱戦になれば弓はどうとでもなる。だが、問題は槍だ。かつては戦場の主役であった槍も、太平の世とともに廃れた。
いや、武芸そのものは脈々と受け継がれてきたが、活躍の場が激減したことと、持ち運ぶのに邪魔になるので、自然と刀にその地位を取って代わられてひさしい。
なのにわざわざ持ち出すということは、それだけ槍の腕に自信があるということ。
さすがに武仙候と呼ばれる大槻兼山ほどではないにしても、警戒するべきであろう。
それ以外の牢人者どもは、たぶん問題なかろう。
なにせ――。
「ははは、もう逃げられんぞ。おとなしく、その首を差し出せ」
白刃を手に、近づいてきたのは牢人者のうちのひとり。
一番槍の功を焦ったか、あるいは抜け駆けを狙ったか。
どちらにしろあまりにも不用心にて、なにより敵を前にして無駄口を叩いている時点で論外である。
詰め寄られて、狐侍はあとずさりにて一瞬怯んだかのような仕草をする。
ゆえに相手はさらに距離を詰めるべく踏み出そうとするも、その足が地面に着くよりも先に狐侍は大きく前へと。
片足が浮いた状態の相手は、とっさに反応できず。
そこをすかさず狐侍の小太刀が閃く。
切っ先が首筋を切り裂き、鮮血が勢いよく噴き出す。
斬られた当人は何が何やら、呆然と立ち尽くすばかり。
近くにいた敵勢の者らは、「うわっ」と驚き血を避けようとする。
これにより生じたのは、わずかな混乱。
でも、狐侍にはそれで充分であった。
みなの視線が血潮に集まっている隙に、身を低くして疾駆しては、次々と切り刻むのは間合いに入り込んだ敵の手首や足首である。
深く、肉を断つ必要はない。一寸ほどで充分だ。それだけで刀は握れなくなり、ろくに動けなくなる。
五人を立て続けに斬った狐侍は、ここでいったん空を切る。
ひゅん、ひと振りにて刀身についた血を払った。
だがそれすらも、次の攻撃への布石――血飛沫を浴びた者らは、とっさに目を閉じたり、顔をそむけたり。
そこへ狐侍が迫る。
瞬く間に七人が倒された。
敵勢が動揺するさなかのこと。
「ええい、邪魔だ、どけっ! それがしが仕留める」
叫んだのは弓持ちであった。襲撃の最初に火矢を射ち込んだ者だ。
狐侍と射手、互いの距離はこの時点で五間ほどしかない。すでに弦を引き絞っており、あとは矢を放つだけ。
かなりの至近距離にて、これは避けられない。
そう判断した狐侍は、怪我を負って呻いている者のうちのひとりの襟首を掴むなり、これを引き寄せ盾とした。
「ぎゃっ」
胸元に矢が突き立ち、盾にされた者が絶叫する。
と、ほぼ同時に、もうひとつ「ぎゃっ」
声をあげたのは、たったいま矢を放った射手であった。
その腹には脇差が突き刺さっている。
放ったのは狐侍である。盾にした者の腰にあった得物を拝借した。
これで仕留めたのは八人となった。
狐侍は額の汗を拭い、「ふぅ」とひと息つく。
「これでようやく三分の一かい。やれやれ、今夜は長くなりそうだ」
そのつぶやきが終わるやいやな、「きぃえぇぇぇい!」と突き込まれたのは槍の穂先であった。
鋭く、かつ存分に気合いの乗った刺突。
不甲斐ない味方に業を煮やして、ついに槍持ちが動きだす。
けれども、武仙候や、これまでに対峙してきた強敵たちに比べると、やや物足りない。
狐侍は小太刀にて向かってきた穂先を打ち払い、長柄に沿ってするりと敵に近づいていく。
小太刀の切っ先が跳ね、槍遣いの左の親指がぽとり、地面に落ちた。
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