狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
420 / 483

其の四百二十 狐侍、ただいま逃亡中。八日目

しおりを挟む
 
 頭数が増えれば、それだけ分け前が減る。
 さりとて欲しい千両首……。
 だがひとりで江戸市中を逃げ回る獲物を追うのは難儀だ。
 ゆえに、いずれは徒党を組む連中があらわれるであろうと、藤士郎も予想はしていたが、おもいのほか、その動きが早い。

「それだけ焦っているということ。競争が激化しているということか……」

 つぶやきつつ藤士郎は素早く視線を走らせては、状況を確認する。
 敵勢は二十四、うち弓がふたりにて、槍持ちもひとりいる。
 乱戦になれば弓はどうとでもなる。だが、問題は槍だ。かつては戦場の主役であった槍も、太平の世とともに廃れた。
 いや、武芸そのものは脈々と受け継がれてきたが、活躍の場が激減したことと、持ち運ぶのに邪魔になるので、自然と刀にその地位を取って代わられてひさしい。
 なのにわざわざ持ち出すということは、それだけ槍の腕に自信があるということ。
 さすがに武仙候と呼ばれる大槻兼山ほどではないにしても、警戒するべきであろう。
 それ以外の牢人者どもは、たぶん問題なかろう。
 なにせ――。

「ははは、もう逃げられんぞ。おとなしく、その首を差し出せ」

 白刃を手に、近づいてきたのは牢人者のうちのひとり。
 一番槍の功を焦ったか、あるいは抜け駆けを狙ったか。
 どちらにしろあまりにも不用心にて、なにより敵を前にして無駄口を叩いている時点で論外である。

 詰め寄られて、狐侍はあとずさりにて一瞬怯んだかのような仕草をする。
 ゆえに相手はさらに距離を詰めるべく踏み出そうとするも、その足が地面に着くよりも先に狐侍は大きく前へと。
 片足が浮いた状態の相手は、とっさに反応できず。
 そこをすかさず狐侍の小太刀が閃く。
 切っ先が首筋を切り裂き、鮮血が勢いよく噴き出す。
 斬られた当人は何が何やら、呆然と立ち尽くすばかり。

 近くにいた敵勢の者らは、「うわっ」と驚き血を避けようとする。
 これにより生じたのは、わずかな混乱。
 でも、狐侍にはそれで充分であった。
 みなの視線が血潮に集まっている隙に、身を低くして疾駆しては、次々と切り刻むのは間合いに入り込んだ敵の手首や足首である。
 深く、肉を断つ必要はない。一寸ほどで充分だ。それだけで刀は握れなくなり、ろくに動けなくなる。

 五人を立て続けに斬った狐侍は、ここでいったん空を切る。
 ひゅん、ひと振りにて刀身についた血を払った。
 だがそれすらも、次の攻撃への布石――血飛沫を浴びた者らは、とっさに目を閉じたり、顔をそむけたり。
 そこへ狐侍が迫る。

 瞬く間に七人が倒された。
 敵勢が動揺するさなかのこと。

「ええい、邪魔だ、どけっ! それがしが仕留める」

 叫んだのは弓持ちであった。襲撃の最初に火矢を射ち込んだ者だ。
 狐侍と射手、互いの距離はこの時点で五間ほどしかない。すでに弦を引き絞っており、あとは矢を放つだけ。
 かなりの至近距離にて、これは避けられない。
 そう判断した狐侍は、怪我を負って呻いている者のうちのひとりの襟首を掴むなり、これを引き寄せ盾とした。

「ぎゃっ」

 胸元に矢が突き立ち、盾にされた者が絶叫する。
 と、ほぼ同時に、もうひとつ「ぎゃっ」
 声をあげたのは、たったいま矢を放った射手であった。
 その腹には脇差が突き刺さっている。
 放ったのは狐侍である。盾にした者の腰にあった得物を拝借した。

 これで仕留めたのは八人となった。
 狐侍は額の汗を拭い、「ふぅ」とひと息つく。

「これでようやく三分の一かい。やれやれ、今夜は長くなりそうだ」

 そのつぶやきが終わるやいやな、「きぃえぇぇぇい!」と突き込まれたのは槍の穂先であった。
 鋭く、かつ存分に気合いの乗った刺突。
 不甲斐ない味方に業を煮やして、ついに槍持ちが動きだす。
 けれども、武仙候や、これまでに対峙してきた強敵たちに比べると、やや物足りない。
 狐侍は小太刀にて向かってきた穂先を打ち払い、長柄に沿ってするりと敵に近づいていく。

 小太刀の切っ先が跳ね、槍遣いの左の親指がぽとり、地面に落ちた。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

散らない桜

戸影絵麻
歴史・時代
 終戦直後。三流新聞社の記者、春野うずらのもとにもちこまれたのは、特攻兵の遺した奇妙な手記だった。

武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり

もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。 海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。 無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

処理中です...