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其の四百十九 狐侍、ただいま逃亡中。七日目
しおりを挟む月下、河原を走る八つの影――。
追う者と追われる者と。
葦(よし)の生い茂る中を逃げていたのは藤士郎である。
藤士郎は小舟に身を潜めつつ、協力者たちの手を借りて千曲屋や市中の動向を探っていた。
江戸は水の町にて、水路がそこかしこに通されている。大川を中心にして舟の往来が盛んだ。だから小舟を寝床にしている若侍がいたとて、誰も気にしない。
河童たちの支援もあり、おもいのほかに逃亡生活は順調であった。ゆえにこのまま水辺で期日までやり過ごせるかと思われたが、どうやら千両首を追う側にも頭の切れる者がいたらしい。
忽然と消息を絶った獲物、その行方を探すうちに、あまりにも陸に足取りがなさ過ぎて、疑いの目を川に向けたようだ。
水は人々の暮らしに直結しており、水辺にも多くの者たちが住んでいる。
小舟にて客引きをしている夜鷹もいれば、寝床にしている河原者、物乞いの集団、死んだ牛馬の解体を請け負う者、怪しげな芸能に身をやつしている声聞師(しょうもじ)などなど。
彼らは世間からはわりと冷たい目で見られることが多い。
社会から脱落したはみ出し者、非人や賎民なんぞと呼んで露骨に蔑む輩もいる。
それらが肩を寄せ合って、慎ましやかに生きているのが水辺なのだ。
他者から排他的な扱いを受けたがゆえに、同じ境遇の者には優しい。ゆえに口も堅く、外部に情報を漏らさない。
けれども、そうではない者にはとたんに厳しい目を向ける。
まぎれ込んだ異物をけっして歓迎なんぞはしない。
そして残念ながら藤士郎はその異物と見なされた。
『不自然な動きをしている舟がある』
『小舟に住み着いた不審な若者がいる』
そんな声が血眼になって獲物を探す者たちの耳に届くのは、時間の問題であったのだ。
なのに追う者たちが踏み込んでくる直前まで、藤士郎が気づけなかったのは、河原者らとの接触を避け、かつ逃亡生活七日目という節目のせいで慣れが生じていたため。
接触を避けていたのは、彼らを巻き込まないためとの藤士郎なりの配慮であったのだが、どうやら裏目に出たらしい。
逃亡生活、七日目の夜更けのこと、そろそろ子の刻を過ぎ日を跨ごうかという時分だ。
小舟に揺られて寝るのにもすっかり慣れていた藤士郎であったが、ふいに脇に置いてあった小太刀を手にして、瞼を開けた。ゆっくりと上体を起こす。わずかにかけている筵を持ち上げ、舟の縁から外の様子を伺う。
「虫の声が急にやんだ。空気が異様に張り詰めている。これは……っ!」
視線の先の暗がりにて、ぽっと小さな火が浮かぶ。まるで狐火のよう。でも、それが火矢であると気がついたいのは、ひゅんという弦鳴りがしたから。
藤士郎はとっさに伏せて己が身を守る。
とんっ!
小気味よい音が響き、矢が船縁に突き立つ。
とたんに火が暴れ出したのは、矢の鏑(かぶら)の部分にたっぶり油を染み込ませた紙なり布でも結んでいたせいだろう。
火はたちまち筵にも燃え移った。燃え盛る炎、小舟が紅蓮に包まれる。
藤士郎はやむを得ず表に飛び出す。
そこに第二射が飛んでくるも、火矢であったので藤士郎はこれを難なくかわした。頭に荷をくくりつけているせいで、矢の飛ぶ速度はどうしても落ちる。それにせっかく暗がりなのに、火のせいで目立つから対応するのは造作もなく……。
とはいえ背後は川にて、燃える舟が焚き火となり、その身を照らす。
敵勢からは丸見えにて、とんだ背水の陣だ。ここで戦うのはいささか分が悪い。
そう判断した藤士郎は川沿いを上流に向けて駆け出した。
逃がすまいと敵勢も駆け出した。
◇
たっ、たっ、たっ、たっ……。
追いかけてくる足音から、敵が七人組であると藤士郎は断定する。
うちひとりが射手なのであろう。ひとつだけ遅れている最後尾の足音がたぶんそれだ。
七人の襲撃者たちは獲物を逃がすまいと、堤側を並走する組と、尻から追いかける組に分かれて追い込みをかけている。
なかなかの連携かつ執拗にて、藤士郎の足を持ってしても逃げきれない。葦の群れに潜り込むも、いっこうに引き離せない。
なにせ千両首がかかっているから、相手方も必死だ。
こうなればいっそのこと川に飛び込むのも手だが、着物姿のままで夜の川に入るのは躊躇われる。近くに河童がいれば助けてもらえるのだが……。
懸命に駆けながら、藤士郎は打開策を思案する。
するとその次の瞬間のことであった。
不意に視界が開けた。
ただし、葦の群生地帯を抜けたわけではない。
不自然な空間――葦が人の手によって刈り尽くされた場所。
「しまった! まんまと誘導されたか」
気づいた時には、すでに敵勢に包囲されていた。
敵は七人組なんぞではなくて、二十を越える集団であった。
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