狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百十七 侵犯 後編

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 日が暮れ、辺りが真っ暗になった宵のうち。
 人の世から妖の世へと移り変わろうかという時分にて。

「お、お師匠さま、てぇへんでだぁ! 銅鑼さまが、銅鑼さまが……」

 泡を喰って九坂邸へと駆け込んできたのは、手代風の格好をした背の低い男――人間に化けている河童の三太である。
 あまりの慌てぶりに、喉がつかえて続きの言葉がうまく出てこない。

「いったい何事ですか?」

 玄関先で出迎えた志乃が面喰らっていると、その透けた幽霊の身の背後からのそりと顔をみせたのは大柄な女、得子であった。
 得子は隅田川の西、本郷台と上野台の間の谷筋を流れて不忍池に注ぐ、藍染川一帯を仕切る河童の姉御だ。利根川のねねこ河童の妹分でもある。本日は箱根神社で行われた河童祭りのときに、骨を折ってくれた藤士郎への礼を述べるために来訪していた。

「ったく、あんたはいつまでたっても落ちつきのない。ほら、三太、まずはこれでも飲んで、ひと息つきな」

 得子が差し出した湯飲みを、三太はひったくるようにして受け取り、勢いよく中身を飲み干そうとするも、逆に「ぶふぅ」と盛大に噴いた。
 てっきり水かとおもったら、中身は辛い酒であったからだ。
 三太はむせ返り「けほけほけほ」
 でも、おかげで少し落ちつけた。

「――っと、そうっだった。たいへんなんです。銅鑼さまが変な女にさらわれちまったんでさぁ!」

 かくかくしかじか。
 三太は川辺で目撃した一部始終をふたりに語った。

「なっ、銅鑼殿が封印だと! 宝具の箱? う~ん、にわかには信じられん。だが、もしも本当だとしたらえらいことだぞ」

 話を聞いているうちに、得子はみるみる表情を曇らせていく。
 なにせ銅鑼の正体は大妖の窮奇だ。それを一時的にとはいえ拘束するとか。
 尋常ならざる事態である。

「そんな、銅鑼ちゃんが……。あぁ、どうしましょう」

 幽霊の身である志乃はおろおろふよふよ、うろたえている。
 気持ちとしては、すぐにでも飛び出して駆けつけたいところだが、彼女は屋敷に憑く家霊なので、この地からは一歩たりとも動けない。
 一大事だというのに肝心の藤士郎はどこをほっつき歩いているのやら、行った切り雀にてちっとも帰ってこないし――。

 不意に志乃がはっとして顔を彼方へと向けた。
 見つめていたのは敷地を囲む壁の向こう。
 得子もまたそちらをじろりねめつける。

「こんなときに望まぬ客がきたようだね。いや、こんなときだからこそか。どうする? 志乃殿」
「もちろんおもてなしさせていただきますよ。たっぷりとね。ふふふ」

 愛想のいい笑顔だが、目の奥がちっとも笑ってない。
 平素とは違う雰囲気にて、心なしか家の中の空気が一段下がったかのよう。
 そんな志乃に得子もにやり。

「そうだな。主人の留守宅に大勢で押しかけるような連中だ。せっかくだからみんなで歓待してやるとしよう」

 得子が言ったみんなとは、いま現在、九坂邸にいる妖しい面々のこと。
 猫又、狸、狐、蛇などなど。日中は寄りつく者とていない寂れた貧乏道場も、夜になると千客万来にて。

 そんなこととは露知らず……。
 千両首を求めて、我先にと屋敷に押し入った無頼漢ども。
 いくら手強い相手とはいえ、しょせんはひとり。自分たちは多勢にて強気である。
 おおかた寄ってたかって獲物をなぶる、狩りのつもりであったのだろう。
 けれども白刃片手に意気揚々としていられたのは、最初のうちだけであった。
 家屋内に踏み込んだところですぐに阿鼻叫喚となり、逃げ惑うことになる。
 でも、逃げられない。
 どれだけ廊下を駆けても出口には着かず。外に出ようにも戸や窓はびくともせず。
 行く先々で世にも恐ろしい怪異に見舞われる。さりとて立ち止まって震えていたら、鬼みたいな女がのしのし追いかけてきては、豪腕を容赦なく振るうのだからたまらない。
 大金に目が眩んだ者ども。
 よもや稲生物怪録のごとき怪異を、己が身を持って体験するはめになろうとは夢にもおもわなかったことであろう。

 望まぬ客たちを存分におもてなし。
 でもその手伝いをしていた屋敷に滞在中の妖や得子らは、密かに冷や汗たらり。
 怒った家霊の、まぁ、おっかないこと。
 みなが改めて骨身に染みたのは「家霊を怒らせたらしゃれにならない。この家の名目上の主人は九坂藤士郎であるが、真の支配者は九坂志乃である」ということであった。


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