狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百十三 七七日忌箱

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 小さな箱、大きさは三寸四方の寄せ木細工であった。
 いくつもの模様が連なる精緻な造りにて、素人目にも趣向を凝らした逸品だとわかる。
 だがしかし、それを目にしたとたんに銅鑼は、ぞぞぞっ!
 無意識のうちに身構えては、半歩ばかり下がっていた。
 でっぷり猫の銅鑼の正体は大妖の窮奇である。
 ひとたびその本性を晒せば、有翼の黒銀虎となり天下無双を誇る猛者……それがわずかなりとも後退る。
 それすなわち、月遙の手にある品がただの箱ではないということ!

「なんだ、そいつは……」

 ふぅふぅ鼻息荒く、銅鑼が目を怒らせ問い詰めれば月遙がにんまり。
 でも、問いに答えることはなく、月遙は代わりにこんな話を始めた。

「ねえ、窮奇……それとも銅鑼と呼ぶべきかしら。ふふふ、貴方、紫金紅葫蘆(しきんべにひさご)って知ってるでしょう」

 紫金紅葫蘆は瓢箪(ひょうたん)の形をした大宝具のことである。
 三蔵法師がありがたい経典を求めて、孫悟空、沙悟浄、猪八戒らを連れて、遥か遠い天竺を目指す摩訶不思議な冒険譚を綴った西遊記。
 その物語の中に登場し、三蔵法師一行の前に立ち塞がる敵役がいる。
 金角と銀角なる兄弟魔王にて、彼らが所持していたのが紫金紅葫蘆だ。名前を呼んで返事をした相手をたちまち吸い込んでは、じっくり溶かして極上の美酒に変えてしまう恐るべき宝具。

「どっちでも好きに呼べ。それよりも紅葫蘆がどうしたってんだ? はっ、ま、まさか!」
「えぇ、そのまさかよ。とはいえ、さすがに本物は手に入らなかったけどね。代わりに用意したのが、この『七七日忌箱(なななのかいみばこ)』よ。造るのにけっこう苦労したんだから。でも日ノ本には腕のいい職人がいたから助かったわ」

 寄せ木のからくり細工の箱。四十九もの仕掛けが施されており、正しい手順を踏まないと開けられない。強固な封印術が施されており、紅葫蘆と同様に名前を呼ばれて返事をすると吸い込まれてしまう。
 ただし天界の宝具とは違って、あくまで人の手によって産み出されたがゆえに、効力は限られている。対象を閉じ込めておけるのは、四十九日間のみ。それも一回の使い捨て。
 なお箱の名前の由来である七七日とは、忌日法要にかけたものである。

 得意気に箱の説明をする月遙が、片手で器用に手の中の小箱をかちゃかちゃ弄る。
 たんにもてあそんでいるのかとおもいきや、さにあらず。
 見る間に箱の蓋がぱかんと開き、内部があらわとなる。
 箱の中は漆黒が不気味に渦を巻いており、それを視認したとたんに、くんっと引っ張られたのはでっぷり猫の体であった。
 その段になって銅鑼はあることに気がつき「しまった!」

 紅葫蘆と似たような力を持つという七七日忌箱。
 そうとは知らずに、ついさっき月遙から名前を呼ばれて、つい返事をしてしまった。
 しかもかつての名である窮奇といまの名である銅鑼、その両方を呼ぶといった念の入れよう。

 銅鑼は四肢を踏ん張り、爪を立て、どうにか耐えようとするも、箱の吸引力がみるみるあがっていく。
 もの凄い力にて、銅鑼の全身の毛が逆立ち、皮膚がのび、ふくよかな肉までもがぐいぐい引かれる。
 まるで天からのびた巨人の手にむんずと掴まれては、引き寄せられているかのよう。
 このままではこらえきれないと判断した銅鑼は、猫から猛虎の姿となって窮地を脱しようとする。
 けれどもそれこそが月遙の狙いにて、最悪手であると銅鑼が悟ったときには、すでに手遅れであった。

 どろんと変化を解き、本来の有翼の黒銀虎の姿となったとたんに、自分の周囲で轟々と風が渦を巻き、うなりをあげた。

「なんだ?」

 戸惑う銅鑼に月遙が告げる。

「ふふふ、やると思った。でもお生憎さま。七七日忌箱の吸う力は相手の力に比例して強まるのよ」
「――っ!」

 対象が強くなるほどに、吸い込む力もぐんぐん増す。
 猛者ほど術中にはまる。
 翼を畳み、身を低くして大地にしがみつき耐えていた銅鑼であったが、その時のことである。
 不意に全身が浮いた。
 足下の地面がごそりと抉れたせいだ。
 さしもの銅鑼もこうなっては踏ん張りようがなかった。

「くっ、ちくしょう、やりやがったな。だが、こんなものでおれさまを封じられると、本気で思っているのか! 月遙ーっ!」

 しゅしゅる箱の中へと吸い込まれていく銅鑼が叫ぶ。
 すると月遙はしれっと言った。

「あら? ちっとも思ってないわよ、そんなこと。
 とはいえ、さすがの貴方でもしばらくは出てこれないでしょう。
 私たちが欲しのは、その『しばらく』の時間なの。ふふん、せいぜい楽しみにしておくことね。次に会う時には、いろいろと変わったあとだから」

 七七日忌箱なんぞというご大層な代物まで用意しての狙いは、ただの時間稼ぎ。
 教えられて、唖然としている間についに銅鑼の姿は箱の中へと完全に吸い込まれてしまった。
 目当ての相手を飲み込んだところで、箱は勝手に蓋を閉じる。
 小箱はしばしかたかたと揺れて暴れていたが、それもじきに静かになった。
 箱を懐に仕舞い、月遙は悠然とその場を立ち去る。

 けれども彼女も、よもや事の一部始終を隠れて見ていた者がいたとは思いもよらなかった。
 それは河童の三太であった。藍染川に住み、九坂志乃を漬物の師匠と呼ぶ三河童のうちのひとり。
 夕涼みがてら隅田川の川面をぷかぷか、河童の川流れとしゃれ込んでいたら、何やら河原の方から剣呑な気配が漂ってきたもので、水中に隠れてこっそりのぞいていたのだ。

「銅鑼さまが変な箱に吸い込まれた! えらいこっちゃ、すぐに藤士郎さんに報せないと」


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