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其の四百十二 悠久の果て
しおりを挟む近藤左馬之助に降りかかった受難。
賄賂にて、重大な罪の証を揉み消したとかなんとか。
いかにも同心や岡っ引きにありがちな話だが、もちろん左馬之助にはまったく身に覚えのないことである。
とんだ濡れ衣を着せられたとの話に藤士郎はたいそう憤るも、以蔵は「近藤殿のことならば心配はいらない」と言い切った。
「じつは此度の沙汰はお奉行の指示でな。近藤殿も納得してのことなのだ。表向きは天の声に従っているふりをして、近藤殿とその家族を守るための芝居よ」
その一方で奉行所内に潜む獅子身中の虫どもを炙り出し中、平行して密かに千曲屋の内偵も進めているという。
敵を騙すには、まずは味方からということだ。
左馬之助の蟄居は、政治と経済絡み。
ゆえに知念寺や銀花堂の若旦那の件とは、別口にて不幸な偶然が重なっただけなのかと藤士郎は思ったのだけれども――
「ただし、少し気になることがある。千曲屋に奇妙な女が出入りしている。そいつが事前に近藤殿にも接触してきたというんだ」
と、以蔵。
それが世直し大明神とともに巷で話題になっている、唐輪髷の道服姿の義手の女人であったと聞いて、藤士郎ははっとする。
ここでもまたあの女の影がちらつく。
行く先々でこうまで重なると、さすがにたまさかとはとても思えない。
やはり深くかかわっていると考えるべきであろう。
いったい何者なのであろうか?
……そういえば今更だが、おみつの茶屋の軒先で見かけてから、銅鑼の姿もいつの間にか消えている。
もしかしてあの女を追いかけて行ったのかしらん。
その藤士郎の予想は当たっていた。
◇
唐輪髷の道服姿、艶めかしい義手、人目を惹く容姿、異国情緒が漂う男装の麗人……
その綺麗な翠瞳に見つめられたら、誰もが頬を染めて目が離せなくなる。
だから彼女の行く先々で自然と発生していたのが、女を囲むような黒山の人だかりである。
女が動けば、見物客らもぞろりと動く。
進むほどに欠ける者もいたが、それ以上に群がる者が増えるので、結果としては雪だるまのように膨れ上がっていくばかり。
その様子を屋根の上から眺めていたのは銅鑼である。
あんな集団に下手に近づいたら、尻尾を踏まれかねないので、高見の見物としゃれ込んでいる。
「あきれた。適当にうろつくだけで人が寄ってきやがる。花魁道中ばりの人だかりだ。
……にしても、よく似ている。他人の空似にしてはあまりにも。もしかして月遙の血縁の者か?
いや、そんなはずはない。橈骨の襲撃を受けた際に、一門の者らは根絶やしにされたのだから。生まれ変わりの線もあるが、だとしてもあそこまで元の姿に寄せる必要はないはず。う~ん」
銅鑼が屋根の上から下界の騒ぎを見下ろしていると、不意に女がこっちを向いた。
女はわずかに口角をあげ目を細める。
妖すらも魅了しかねない蠱惑の笑み。
だというのに、銅鑼は背中の毛を逆立てていた。まるでいきなり心の奥底に汚れた土足で踏み込まれたかのような不快感を覚えたからだ。
銅鑼の金目と女の翠瞳、ふたつの視線が交わったのは、ほんの一瞬のこと。
女はすぐにそっぽを向いてしまった。
よくよく考えてみれば、銅鑼はこの時すでに女の術中にはまっていたのであるが、それに気がついたのは、少しあとになってからのことである。
どこをどう歩いたのやら。
隅田川の砂利河原に女の姿はあった。
気づけばはや夕刻となっており、足下にのびた影が長い。
あれほど群がっていた野次馬らの姿も残らず消えている。
不自然な状況だ。きっと女が何らかの術を用いて人払いを行ったのであろう。
銅鑼はいっそう警戒を強めつつ、女の影を踏まぬようにあとをつける。
じゃっ、じゃっ、じゃっ、じゃっ……。
砂利を踏みしめる足音が、橙色に染まった河原を進む。
銅鑼は猫足にてそろりそろり無音で続く。
前方から聞こえていた音が止んだ。
女が立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り返る。
「やあ、ひさしぶりだね窮奇。いや、いまは銅鑼と名乗っているんだっけか」
その声音、言葉遣い、仕草……すべては遥か過去に死んだはずの知己そのもの。
とたんに心の中に溢れるのは懐かしさと、後悔と。
「お、おまえは……本当に月遙なのか?」
つねになく動揺している銅鑼が声を震わせれば、月遙は「そうだ」とうなづく。
悠久の果ての再会――だがそこに喜びはなく、漂うのはそこはかとない不穏な空気。
そんな彼女の左手には、小さな箱が握られていた。
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