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其の四百十 蟄居
しおりを挟む書物問屋の銀花堂の店先には人だかり、お店の方は蜂の巣をつついたかのような騒ぎになっている。
野次馬が多い。これでは表から近づくのは難しそうだ。
なので、藤士郎は裏へとまわった。
勝手口の戸越しに藤士郎が「もし、もし」と声をかければ、応じてくれたのは顔見知りの手代だ。
若だんなと藤士郎との仲を知っており、主人の口から「なんだかんだで頼りになる御方」と日頃から聞かされていたからこそ。
手代によれば、此度の捕縛理由は「禁書を売ったから」というものなのだけれども……。
「まぁ、まんざら心当たりがないわけでも。九坂さまもご存知のとおり、うちは主人父子が揃って本狂いですから。
とはいえ、この手の品を扱うのはいまに始まったことではありませんから、それなりに策を弄して用心していたんですがねえ」
あながち白というわけではないと知って、藤士郎は呆れ顔となる。
しかし、裏取引というのは大店であればあるほど、大なり小なりやっているもの。
たとえば薬種問屋などでは、信用の置けるお得意さまにだけ、こっそり分けている品なんぞもある。木乃伊の身を削ったものとか、赤子の胆を乾燥させたものなどなど。
怪しげな薬にて、効果のほどにもはなはだ疑問なのだが、昔から不老長寿の妙薬として民間に伝わっており、大っぴらにこそは扱われていないが、裏では驚くほどの高額にて取引されているんだとか。
だから裏の品というのは、それなりに需要がある。
「是非欲しい、いくらでも出す」という上客がいる以上は、用立てるのが商人というもの。
とはいえ扱う品が品だけに、商いには細心の注意を払う。
ありとあらゆる手立てを講じて、足がつかないように工夫を凝らす。
自分の店に現物を置くなんて間抜けなことはしないし、裏帳簿もちゃんと隠してある。お店の中でも警戒厳重につき、かかわるのは主人を中心にして真に信頼のおけるごく一部の者に限られる。品物の出処もぼかすし、金銭の流れも散らす。ときには客との間にわざわざ偽装用の店や人を配置することも。
で――今回の銀花堂のことに話は戻るのだが、ぶっちゃけお店の天井裏から床下まで、入念に漁ったところで何も出ない。
ここしばらく裏の商いがなかったのが幸いした。
とどのつまりは、あくまで嫌疑段階に過ぎないということ。
なのにわざわざ白昼、店に乗り込んでは若だんなをふん縛って連れて行った。
かなり無理筋のある話である。
げんに、しょっ引いただけで店の方には形ばかりの手入れが行われただけだという。
以上のことを踏まえて、手代は「何を狙ってのことかはわかりませんけど、どうやら若だんなの身柄を押さえることが目当てみたいです」と言った。
意図はわからない。
でもその証拠に連れられていったのは奉行所ではなくて、番所にて牢屋に入れられるまでには至っていないという。
若だんなの解き放ちに関しては、さっそく父親で店主でもある新右衛門が動いているそうな。商いや同好の士の伝手を頼って各方面に働きかけているので、無体なことにはならないだろうと聞かされ、藤士郎はほっと胸を撫で下ろす。
とはいえ厚恩ある若だんなの窮地に、座して何もせぬのでは男が廃る。
そこで藤士郎が銀花堂を辞去して次に向かったのは、こんな時にもっとも頼れる友人のところ。
南町奉行所の定廻り同心をしている近藤左馬之助、彼ならば此度の一件の裏について、何か聞き及んでいるのにちがいない。
だがしかし、藤士郎の当ては外れた。
奉行所の方へ行ってみれば「本日は出仕していない」と門前払い。
だから自宅の方を訊ねてみたのだけれども……。
「えっ、どうして?」
こちらもまた門が固く閉じられている。
ばかりか扉が竹の竿で固定されており、開けられないように封がされており、雨戸や窓もすべてふさがれて、しぃんと静まり返っている。まるでこの家のところだけ、世間から隔絶されたかのよう。
けれどもよくよく耳を澄ましてみれば、人の気配がしている。
蟄居閉門(ちっきょへいもん)――左馬之助は謹慎処分を受けていた。
彼にいったい何があったのか?
知念寺や銀花堂に続いて、左馬之助までもが災禍に見舞われている。
すべて自分が親しくしている者ばかり。
藤士郎は得体の知れない恐怖を感じて、背中を冷たい汗が滴り落ちた。
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