狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百 往古の夢

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 箱根神社のお祭りは盛況のうちに幕を閉じるも、東西河童相撲の決着はうやむやとなってしまったので、後日また場を設けて取り直すとのこと。

「そのときには、また行司役をよろしく」

 得子からそう言われた時の藤士郎の顔といったらなかった。
 あれからすでに一週間ほど経っているが、銅鑼はいまでも思い出すと、ついにやけてしまう。
 そんな藤士郎はあいもかわらず毎日を忙しく過ごしている。
 貧乏暇なし、あちこちを駆け回っては、せっせと内職に精を出している。なお道場の方もあいかわらずだ。
 今日は猫又芸者らも踊りの稽古に来ていないので、静かなもの。
 だから銅鑼はこれさいわいと、広々とした道場の床を独占しては、のんべんだらりと昼寝していたのだけれども――。

  ◇

 懐かしい夢を見た。
 ずっとずっと昔、往古の記憶だ。
 大陸にいた頃、銅鑼がまだ窮奇と呼ばれていた時代のことである。
 周と呼ばれる大国があった。三百年ほども君臨していた。だがひょんなことから東西に分かれては、また統一されるという内紛が起こり、これにより疲弊した国力は戻らず。
 往年の勢いを失った統治下では、二百を越える諸侯が生き残りをかけて、あるいは覇者となる野望を抱き大きく動き出そうとしていた。
 後の世に「春秋戦国時代」と呼ばれる激動の乱世を間近に控えた時期である。

 そんな時代の片隅で……。
 渭水(いすい)流域は鎬京(こうけい)の都に、ひとりの少女が住んでいた。
 名を月遙(げつよう)といい、多数の優れた道士を輩出している名門の家柄の娘である。
 自分も父や兄たちのような優れた道士となるべく、日々精進を重ねていたが、生まれつきあまり要領がいい方ではなかった。いや、ひらたく言えばどんくさい部類に入る。

 他の弟子たちが六で十を知るところを、十知ってどうにか四残るといった具合にて。
 ゆえに修行は一歩進んで二歩下がるのなんてざら。
 気の毒だが、どうやら才能はあまりないらしい。
 見かねて「もう諦めたらどうだ?」と忠告する者も少なくなかった。
 けれども月遙は頑として諦めず。ついには周囲が根負けして、好きにさせておくことになった。

 さりとて月遙はけっして愚鈍というわけではない。
 知識だけならば誰にも負けないほどに勉強熱心であり、また努力や根気という面においても他の追随を許さぬほど。
 なのに結果がついてこない。伸び悩んでいる。
 そのうちにも周囲はずんずん先へと進んでおり、あとから来た者にも追い越されてゆく。
 いかに不屈の闘志の持ち主とて、これにはへこむ。
 ともすれば折れかける心、うつむきそうになる顔をあげては、己を奮起させるも、それとて限度がある。
 月遙とて内心で焦りを覚えずにはいられなかった。
 そんなおりのことであった。
 月遙はこんな噂を耳にする。

『都を出て、西に向かった先にある山の竹林に、狂暴な虎の化け物が住みついたせいで、商隊が遠回りするのを余儀なくされている』

 つねづね自分には何かが足りないと感じていた月遙は、すぐに「これだ!」と思った。
 自分に足りないもの……それは覚悟である。
 理解ある周囲、優れた血筋、喰うに困らぬ恵まれた環境、それは守られた駕籠の中にて、ぬるま湯に浸かっているようなもの。
 所詮、自分は籠の鳥にて、安全なところからもっともらしいことをぴいちく囀(さえず)っているのに過ぎない。
 大望を成すには、本気となって命を賭す覚悟が必要である。
 無謀かもしれない。これにより死ぬかもしれない。だが。このまま何者にも成れずに朽ちていくのだけは、どうにも我慢ならなかった。
 だから月遙はひとり虎の化け物が出るという竹林に向かった。

 そして実際に足を運んで、怪異と対峙した月遙はとても驚いた。
 相手は背中から翼の生えた、大きな黒銀虎であったからだ。

 四凶が一角の窮奇!

 そんな大物が、自分や家族が住む都の目と鼻の先にいる。
 月遙は戦慄を禁じ得ないものの、すぐに勇を奮い起こす。

「おのれ、窮奇! そうはさせんぞっ。この月遙が退治してくれん」

 剣を抜き、懐から呪符を取り出し「いざ勝負!」と駆け出した。
 一方で、いきなりあらわれたとおもったら向かってきた小娘を前にして、窮奇はちらりと一瞥しただけで、「くかぁ」と大欠伸にてすぐに目を閉じた。
 気怠い昼下がりにて、相手をするのも億劫であったからだ。

 窮奇といえば正義を嘲笑い、誠実を踏みにじり、悪を尊ぶも、わずかにでも意に添わねばたちまちへそを曲げてそれを蹂躙する、唯我独尊な化け物である。
 売られた喧嘩を買うかどうかも、その時々の気分次第。
 そしていまは眠気が勝り、そんな気分ではなかった。

 すると奇妙なことが起きた。
 勢い込んで駆け寄ってこようとしていた小娘が転んだ。どうやら足下にあった小石を蹴飛ばして進もうとしたのだが、その小石がじつは地面の下でかなり大きな石だったらしくて、蹴った方の足が負けた。
 で、派手に転んで、ざざーっと滑っては、寝ている窮奇の鼻先に倒れ伏す。
 起こった土埃にて窮奇の鼻がむずむずして「へっくしょい」とくしゃみをすれば、小娘の身はたちまちころころと転がっていった。
 かとおもえば、よろよろ立ち上がり衣服についた土を払いながら、「ふん、まぁ、いいだろう。今日のところは、このへんで勘弁してやる」と言って引き揚げてしまった。
 残された窮奇は薄目を開けて「なにが?」
 きょとんとするばかり。


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