狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
400 / 483

其の四百 往古の夢

しおりを挟む
 
 箱根神社のお祭りは盛況のうちに幕を閉じるも、東西河童相撲の決着はうやむやとなってしまったので、後日また場を設けて取り直すとのこと。

「そのときには、また行司役をよろしく」

 得子からそう言われた時の藤士郎の顔といったらなかった。
 あれからすでに一週間ほど経っているが、銅鑼はいまでも思い出すと、ついにやけてしまう。
 そんな藤士郎はあいもかわらず毎日を忙しく過ごしている。
 貧乏暇なし、あちこちを駆け回っては、せっせと内職に精を出している。なお道場の方もあいかわらずだ。
 今日は猫又芸者らも踊りの稽古に来ていないので、静かなもの。
 だから銅鑼はこれさいわいと、広々とした道場の床を独占しては、のんべんだらりと昼寝していたのだけれども――。

  ◇

 懐かしい夢を見た。
 ずっとずっと昔、往古の記憶だ。
 大陸にいた頃、銅鑼がまだ窮奇と呼ばれていた時代のことである。
 周と呼ばれる大国があった。三百年ほども君臨していた。だがひょんなことから東西に分かれては、また統一されるという内紛が起こり、これにより疲弊した国力は戻らず。
 往年の勢いを失った統治下では、二百を越える諸侯が生き残りをかけて、あるいは覇者となる野望を抱き大きく動き出そうとしていた。
 後の世に「春秋戦国時代」と呼ばれる激動の乱世を間近に控えた時期である。

 そんな時代の片隅で……。
 渭水(いすい)流域は鎬京(こうけい)の都に、ひとりの少女が住んでいた。
 名を月遙(げつよう)といい、多数の優れた道士を輩出している名門の家柄の娘である。
 自分も父や兄たちのような優れた道士となるべく、日々精進を重ねていたが、生まれつきあまり要領がいい方ではなかった。いや、ひらたく言えばどんくさい部類に入る。

 他の弟子たちが六で十を知るところを、十知ってどうにか四残るといった具合にて。
 ゆえに修行は一歩進んで二歩下がるのなんてざら。
 気の毒だが、どうやら才能はあまりないらしい。
 見かねて「もう諦めたらどうだ?」と忠告する者も少なくなかった。
 けれども月遙は頑として諦めず。ついには周囲が根負けして、好きにさせておくことになった。

 さりとて月遙はけっして愚鈍というわけではない。
 知識だけならば誰にも負けないほどに勉強熱心であり、また努力や根気という面においても他の追随を許さぬほど。
 なのに結果がついてこない。伸び悩んでいる。
 そのうちにも周囲はずんずん先へと進んでおり、あとから来た者にも追い越されてゆく。
 いかに不屈の闘志の持ち主とて、これにはへこむ。
 ともすれば折れかける心、うつむきそうになる顔をあげては、己を奮起させるも、それとて限度がある。
 月遙とて内心で焦りを覚えずにはいられなかった。
 そんなおりのことであった。
 月遙はこんな噂を耳にする。

『都を出て、西に向かった先にある山の竹林に、狂暴な虎の化け物が住みついたせいで、商隊が遠回りするのを余儀なくされている』

 つねづね自分には何かが足りないと感じていた月遙は、すぐに「これだ!」と思った。
 自分に足りないもの……それは覚悟である。
 理解ある周囲、優れた血筋、喰うに困らぬ恵まれた環境、それは守られた駕籠の中にて、ぬるま湯に浸かっているようなもの。
 所詮、自分は籠の鳥にて、安全なところからもっともらしいことをぴいちく囀(さえず)っているのに過ぎない。
 大望を成すには、本気となって命を賭す覚悟が必要である。
 無謀かもしれない。これにより死ぬかもしれない。だが。このまま何者にも成れずに朽ちていくのだけは、どうにも我慢ならなかった。
 だから月遙はひとり虎の化け物が出るという竹林に向かった。

 そして実際に足を運んで、怪異と対峙した月遙はとても驚いた。
 相手は背中から翼の生えた、大きな黒銀虎であったからだ。

 四凶が一角の窮奇!

 そんな大物が、自分や家族が住む都の目と鼻の先にいる。
 月遙は戦慄を禁じ得ないものの、すぐに勇を奮い起こす。

「おのれ、窮奇! そうはさせんぞっ。この月遙が退治してくれん」

 剣を抜き、懐から呪符を取り出し「いざ勝負!」と駆け出した。
 一方で、いきなりあらわれたとおもったら向かってきた小娘を前にして、窮奇はちらりと一瞥しただけで、「くかぁ」と大欠伸にてすぐに目を閉じた。
 気怠い昼下がりにて、相手をするのも億劫であったからだ。

 窮奇といえば正義を嘲笑い、誠実を踏みにじり、悪を尊ぶも、わずかにでも意に添わねばたちまちへそを曲げてそれを蹂躙する、唯我独尊な化け物である。
 売られた喧嘩を買うかどうかも、その時々の気分次第。
 そしていまは眠気が勝り、そんな気分ではなかった。

 すると奇妙なことが起きた。
 勢い込んで駆け寄ってこようとしていた小娘が転んだ。どうやら足下にあった小石を蹴飛ばして進もうとしたのだが、その小石がじつは地面の下でかなり大きな石だったらしくて、蹴った方の足が負けた。
 で、派手に転んで、ざざーっと滑っては、寝ている窮奇の鼻先に倒れ伏す。
 起こった土埃にて窮奇の鼻がむずむずして「へっくしょい」とくしゃみをすれば、小娘の身はたちまちころころと転がっていった。
 かとおもえば、よろよろ立ち上がり衣服についた土を払いながら、「ふん、まぁ、いいだろう。今日のところは、このへんで勘弁してやる」と言って引き揚げてしまった。
 残された窮奇は薄目を開けて「なにが?」
 きょとんとするばかり。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

高槻鈍牛

月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。 表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。 数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。 そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。 あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、 荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。 京から西国へと通じる玄関口。 高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。 あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと! 「信長の首をとってこい」 酒の上での戯言。 なのにこれを真に受けた青年。 とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。 ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。 何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。 気はやさしくて力持ち。 真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。 いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。 しかしそうは問屋が卸さなかった。 各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。 そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。 なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

処理中です...