狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百九十八 大狒々と狐侍 後編

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 大狒々の手にかかって綱がうねっては、大きく上へ下へと躍動する。
 波打つ綱の先にて繋がっている狐侍はその動きに抗わず。頃合いを見極めたところで、みずからうねりに埋没するかのようにして飛び込んだ。綱が跳ねるのに呼吸を合わせてのこと。
 狐侍の身が波に乗り、高らかに宙を舞う。
 天と地に分かれて、大狒々と狐侍は一本の綱により繋がれた格好となった。
 相手の頭上をとった形にて狐侍が力の限り身をひねる。これにより生じたのはひとつの輪っかである。

「ぐぬっ」

 とたんに大狒々がうめき声をあげた。綱が喉に食い込んだがゆえ。
 狐侍が作った輪が囲んだのは大狒々の首であったのだ。舞い上げられた狐侍の身が大狒々の頭上を越えて、背後へと降り立つのに合わせて輪がきゅっと締まる。
 すぐさま大狒々が首にかかった綱をどかそうと手をかける。その視界の隅をちらりと動いたのは狐侍である。しっかり着地を決めては、次の行動をとろうとしているではないか。
 見失うとさらに小細工を弄しかねない。
 だから大狒々は首の綱をはずすかたわらで、ぎょろりと狐侍の姿を見据え続けた。
 けれどもこの時すでに狐侍は次なる一手を打っていたのである。

 首の拘束を解き、息を吹き返した大狒々が「なかなか、やるな!」とふり返り一歩を踏み出そうとした矢先のこと。
 足首に違和感を覚えて見てみれば、こちらにも綱が絡んでいるではないか!
 狐侍の仕業であった。相手の注意が首の方に向いている隙に、足下近くに新たな輪を作っておいたのである。
 獲物がそこに足を踏み入れたところで「えいっ」と綱を引けば、ご覧の通り。簡単なくくり罠だ。
 まんまと罠にはまった大狒々は「っ!」と驚きを禁じ得ない。

 もしもこれが並みの狒々なり獣であらば、恐慌状態に陥って無闇に暴れては、より罠の深みにはまるのだけれども、相手は歳経た大狒々である。それに狐侍とは体格差もあったので、いかに綱を力一杯に引いたところで人の身ではいかんともしがたく。
 ゆえに驚きこそはしたが、すぐに落ち着きを取り戻す。
 下手に暴れては綱がより絡まるので、ゆっくりとした動作にて、足首に食い込んでいる綱をはずしにかかった。
 一方で、その間、狐侍が何をしていたのかというと舞台の隅に向かっていた。
 またぞろ何かを仕掛けるつもりらしい。

 その姿を目にした大狒々は足首の輪はそのままに、綱をぐいと引く。
 狐侍をこれ以上、好きにさせては面倒と考えたのだ。
 まともな力比べでは大狒々にはとても歯がたたない。
 だというのにここで奇妙なことが起こる。

「うん? おっ! どうした、なぜ動かん」

 手繰り寄せようとするも綱がぴんと張って、狐侍は微動だにせず。ちょこざいなことに踏ん張って耐えているらしい。
 だがしょせんは無駄な足掻きである。だから大狒々は腕により力を込めて「ふんっ」と思い切り引く。
 直後のことであった。
 不意に足下がぐらりと大きく揺れた。

 天守閣の舞台は吹きさらしの上に、土台をしっかりと固定していないから、ぐらぐらだ。それも込みでの綱引き勝負なのだが、かつてないほどの揺れにて、みるみる床が傾いていく。それこそ嵐の海に漕ぎだした船の上のように!

「こ、これはいったい?」

 倒れまいと踏ん張り、夢中で掴んだ綱であったが、そこで大狒々はあることに気がついて「あっ!」と声をあげた。
 見れば綱の先が狐侍ではなくて、舞台の隅の一角に引っかかっているではないか。狐侍の仕業であった。彼がそこへ向かったのはこれが狙いであったのだ。
 ようするに大狒々は自分で舞台を大きく傾かせたということ。なまじ膂力があり余っており、身が大きく重いのが仇となる。

 それでもどうにか持ちこたえていた大狒々はさすがであったが、そこに飛びかかったのが狐侍であった。
 小太刀を鞘ごと張った綱の上にかけ、その両端をしっかり握ってはひと息に滑り降り、大狒々のもとへと突撃する。
 どうにか堪えているところに、どすんと勢いよく狐侍が体当たり。
 これが駄目押しとなって、大狒々はすってんころりん、尻もちをつき、勝負あり!
 が、大狒々の力でぎりぎり保っていた均衡がたちまち崩れて、舞台までもがぐりんとでんぐり返る。そのせいで大狒々と狐侍もまとめて天守から転げ落ちることになってしまった。


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