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其の三百九十七 大狒々と狐侍 前編
しおりを挟む綱引き勝負の二番手は黄桜……ではなくて、狐侍こと藤士郎であった。
「で、お次はどいつじゃ?」
との大狒々に、てっきり彼女が名乗りをあげるものとばかりおもっていたら、いきなりとんっと背中を押された。
「えっ、ちょ、ちょっと待って。どうして私が? ここは黄桜さんが仇討ちするところじゃないの!」
「その通り……と言いたいところですが、先の戦いぶりからしてあの大狒々は、かなり手強いとみました。こと綱引きに関しては尋常ならざる相手です。
そこで貴方の出番です。できるだけねばって、相手の手の内をひとつでもおおく晒させるのです」
ようは勝率をあげるために、狐侍を当て馬にするということ。
黄桜の策略であった。
「ひどい! あんまりだ! 鬼っ!」
冷徹な京女河童に狐侍が抗議するも、「鬼ではありません。河童です。あんな野蛮な連中と一緒にされては心外です。では、いってらっしゃい」と問答無用で送り出されてしまった。
なお銅鑼はとっくに狐侍の肩から離れて、安全なところから高見の見物としゃれこんでいた。
◇
しぶしぶ舞台にあがった狐侍は、床にだらりとのびている綱を手に取るなり、顔をしかめた。
(太い……私の手ではしっかり掴み切れない。それに重さもけっこうある。ちょっとした鎖みたいなものだ。これではとても自由に扱えそうにないね。放さないようにしがみつくだけでもひと苦労だよ。さて、黄桜さんからはねばれと云われたけど、どうしたものやら)
あれこれ考えた末に、狐侍は綱を腰にぐるりとまわす。結びこそはしなかったが、独楽の紐のように巻く。
その工夫に「ほう、そうきたか」と大狒々は感心した風である。
この綱引き勝負、決まり手は舞台から落ちる、膝をつく、綱を手放し奪われるの三つのみ。
うち人の身である狐侍が、真っ先に警戒したのは手放すことであった。
理由は綱の太さだ。ごつくて持ちにくい。握ったときに完全には握り切れない。手の大きさから指のかかりが浅くなる。
それに比べて大狒々は身の丈二丈ほどもあり、四肢は長く逞しく、手も狐侍よりふた回りほども大きい。おかげで綱を握るのも楽々だ。
人と妖、ただでさえ膂力に差があるというのに、これでははなから勝負にならない。
そこで狐侍は己が身を綱に巻くことにて、腕力と腕力の戦いに腰の力を組み込むことにしたという次第。
もちろんこの体勢だと引き倒される危険は絶えずつきまとうが、そこは柳に風と受け流し、のらりくらりとやり過ごす腹積もりであった。
「ほうほう、少しは楽しませてくれそうだな。では、いざ、尋常に勝負!」
言うなり大狒々が一文銭を親指ではじく。
くるくる回りながら銭が宙を舞い、そしてちゃりんと落ちた。
間髪入れずに、ぐんともの凄い力で綱が引かれる。大狒々の仕業だ。鎖分銅のごとく狐侍ごと綱を右へとぶん回しては、いっきに倒してしまうつもりなのだろう。
だがしかし――。
そうはさせじと狐侍は床を蹴り、いっきに距離を詰めた。
これによりぴぃんと張っていた綱がたわんで、大狒々のぶん回しが不発に終わる。
一方で狐侍は大狒々へと向かっていた進路を、急遽変えた。直進からの左へと横っ飛び。それすなわち大狒々が綱をぶん回した方である。あえて力の流れには逆らわず、それに乗る。
狐侍の足がおもいのほか速い!
鎖分銅のごとく相手をぶん回すつもりが、気づけば自分の方が独楽のようになりつつあった。回そうと引っ張った綱が、勢いのままに自分の方へとまとわりついてくる。狐侍の動きのせいだ。
それに気がついた大狒々が「させるか!」と吠え、手首を上下に素早く動かす。
とたんに綱が波立ち、たわんで暴れ出した。
綱の上に生じた小波が、たちまち大きな波となり向かうは狐侍のところである。腰に綱を巻いている状態の狐侍に、これから逃れる術はない。呑まれたが最後、長身痩躯は天地を翻弄されて床に叩きつけられることであろう。
けれども、そんなことは狐侍も百も承知であった。
だから向かってくる綱の波に対して、狐侍がとった行動はゆるやかな前進である。
船乗りたちは向かいからの高波を乗り越えるとき、波に対して船首の頬を当てて波を静かに乗り越える。船体を斜めにして波の上を滑るようにしてやり過ごす。
逆に追い波のときには、船尾にて波を受ける際にあえて抵抗はせず、これまた速度を落として流れに身をまかせる。
大切なのは侵入速度と角度の見極め。それからけっして慌てて舵を切らないこと。
狐侍は船乗りではない。
が、内職で漁を手伝ったことがある。
その時に世話になったのは老いた漁師にて、経験豊かにて網を揚げる合間に、いろんなことを教えてくれた。波超えのこつもそのひとつだ。
大狒々の仕業にて大きくたわんだ綱が、高波となって襲いかかってきた!
狐侍はその波に抗うことなく、嵐の海の小枝のごとく、流れに身をまかせる。
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