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其の三百九十六 綱引き
しおりを挟む鷹ノ巣城は山城である。
山の頂きにあって、天空へと向けてそびえ建つ。
その楼閣のごときてっぺん、天守閣が変じてあられたのは能舞台のような場所。
ここが最終決戦の場にて、一対一の綱引き勝負である。
舞台から落ちたり、膝をついたり、綱を手放したり、完全に奪われたら負け。
しかし藤士郎たちは三人と一匹、対して大狒々はひとりきり。
「代表の者同士で決するのかい?」
得子が訊けば、大狒々は首を横に振った。
「いいや、三人まとめて相手をしてやる。こちらが一度でも土をつけば負けでよい。旗もたっぷり熨斗(のし)をつけて返してやろう」
大狒々の言葉に、得子と黄桜のこめかみがひくり。
なぜなら、いまの発言を意訳すれば「おまえたちの相手なんぞ、儂ひとりで充分だ」ということだから。あと、さりげなく銅鑼との勝負は避けた。銅鑼の正体が大妖の窮奇だと知ってのことであろう。この大狒々、見た目通りに老獪である。
とはいえこの物言い、力自慢の相撲好きの河童にとって、ちと聞き捨てならない。
女傑たちは怒気をまとい「いいだろう」「ただし、あとでしのごの言わんといてや」と、たちまちやる気になった。
一方でしっかり取り組みの勘定に含まれていた藤士郎は「今夜の私の役目は行司役だったはずなのに、どうして……」とぶつくさ。
◇
一番手、名乗りをあげたのは得子であった。
「浅間山の向こうまでぶん投げてやるぜ」
と鼻息荒く、酒臭い息を吐く。
対する大狒々はにちゃりと厭らしい笑みにて、猿顔をくしゃり。
その面のなんと小憎たらしいことか。特に狒々に対して含むところがない藤士郎や銅鑼ですらもが、おもわず苛々となるほど。ゆえに遺恨たらたらの河童の得子は額に青筋を立てていた。
けれども肌も瞳も赤くなっていないのは、さすがは藍染川の主であろうか。利根川にその御方ありと知られた東の女傑、河童の大親分である禰々子(ねねこ)さまの右腕とも目される姉御だけのことはある。安易に激昂しては自制心を失わないだけの分別を残している。
「投げた一文銭が床に落ちたら、開始の合図だ」
「わかった。あたいはいつでもいいぜ」
互いに綱を握っては、四角い土俵と化した舞台の対極の位置に立つ。
両者が配置についたところで、舞台袖からそれを見ていた藤士郎は、若干の違和感を覚えた。
太さ一寸五分、長さは四丈ほどもある綱を巡る攻防。綱引き勝負なので、向かい合っての立ち位置は当然といえば当然なのだけれども……。
「得子さん、ちょっと舞台の端に寄り過ぎなんじゃあ」
どうしてそうなったのかというと、大狒々がそうしているから。
大狒々のする通りに得子が倣ったのだけれども、ごく自然にみえて、まんまと誘導されたように藤士郎の目には映る。
「う~ん、なんだろう、私はいったい何に引っかかっているのか。いったい何を見落としている?」
眉間にしわを寄せて藤士郎は考え込む。
すると山の霊気のおかげか、今宵はやたらと頭が冴え渡っており、すぐにあることに気がつき「あっ、いけない」
勝負はとうに始まっていたのだ!
したたかな大狒々は、すでに仕掛けていたのである。
慌てて得子に注意を促そうとするも、そこでちゃりんと床に落ちた一文銭が音を立ててしまった。
開始の合図とともに「おらーっ!」と得子は気合い一閃。豪腕にまかせて綱を思い切り引っ張った。それこそ本当に大狒々を箱根の山々の彼方へと投げ飛ばさんほどの勢いにて。
だがしかし、あまりの手応えのなさに、ひょうし抜けしてしまう。
そう。大狒々は相手を静かに煽りつつ、舞台際近くに立つように仕向けたところで、とんだ肩透かしを喰らわしたのである。
刹那、得子の力が完全に空回りして「おっとっとっ」
このままでは膝をついてしまう。
だからしっかり足をついて踏ん張ろうとすれば、たちまち床下がぐらり。
この天守閣の舞台、じつは土台がしっかり固定されておらず、ぐらぐらであったのだ。
不安定な足場での綱引き、いったん乱れた体勢を戻そうと躍起になるほどに、ぐらつきがより酷くなる。
やられた! この綱引き……たんなる力勝負なんぞではなかった。
一見すると単純なようで、じつは高度なかけ引きを駆使する競技であったのだ。
事前に地の利を把握し、綱の扱いにも長け、なおかつ河童の性格をも知り尽くた上で、大狒々は仕掛けていたのである。
そうとは気づかずに、膂力にまかせて綱を引いてしまった得子。
どうにか舞台際に残ろうとするも、そこで大狒々の駄目押し。綱が波打ち、渦を巻いては、どんっ!
手元で暴れる綱に押される格好となった得子の身が、ついに舞台の外へと押し出されてしまった。
ばかりか、ひょうしに綱を手放してしまったもので、屋根の上を転がり落ちていく。
「だーっ、しくじったーっ。こんちくしょうめーっ」
得子のわめき声が天守閣からずんずん遠ざかっていき、しばらくしてからぽちゃんという音が聞こえてきた。どうやら下にある堀か池にでも落ちたらしい。
「かーっ、かっ、かっ」
鷹ノ巣城に大狒々の笑い声が木霊する。
かくして一番目の綱引き勝負は、大狒々の快勝となった。
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