狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
396 / 483

其の三百九十六 綱引き

しおりを挟む
 
 鷹ノ巣城は山城である。
 山の頂きにあって、天空へと向けてそびえ建つ。
 その楼閣のごときてっぺん、天守閣が変じてあられたのは能舞台のような場所。
 ここが最終決戦の場にて、一対一の綱引き勝負である。
 舞台から落ちたり、膝をついたり、綱を手放したり、完全に奪われたら負け。
 しかし藤士郎たちは三人と一匹、対して大狒々はひとりきり。

「代表の者同士で決するのかい?」

 得子が訊けば、大狒々は首を横に振った。

「いいや、三人まとめて相手をしてやる。こちらが一度でも土をつけば負けでよい。旗もたっぷり熨斗(のし)をつけて返してやろう」

 大狒々の言葉に、得子と黄桜のこめかみがひくり。
 なぜなら、いまの発言を意訳すれば「おまえたちの相手なんぞ、儂ひとりで充分だ」ということだから。あと、さりげなく銅鑼との勝負は避けた。銅鑼の正体が大妖の窮奇だと知ってのことであろう。この大狒々、見た目通りに老獪である。
 とはいえこの物言い、力自慢の相撲好きの河童にとって、ちと聞き捨てならない。
 女傑たちは怒気をまとい「いいだろう」「ただし、あとでしのごの言わんといてや」と、たちまちやる気になった。
 一方でしっかり取り組みの勘定に含まれていた藤士郎は「今夜の私の役目は行司役だったはずなのに、どうして……」とぶつくさ。

  ◇

 一番手、名乗りをあげたのは得子であった。

「浅間山の向こうまでぶん投げてやるぜ」

 と鼻息荒く、酒臭い息を吐く。
 対する大狒々はにちゃりと厭らしい笑みにて、猿顔をくしゃり。
 その面のなんと小憎たらしいことか。特に狒々に対して含むところがない藤士郎や銅鑼ですらもが、おもわず苛々となるほど。ゆえに遺恨たらたらの河童の得子は額に青筋を立てていた。
 けれども肌も瞳も赤くなっていないのは、さすがは藍染川の主であろうか。利根川にその御方ありと知られた東の女傑、河童の大親分である禰々子(ねねこ)さまの右腕とも目される姉御だけのことはある。安易に激昂しては自制心を失わないだけの分別を残している。

「投げた一文銭が床に落ちたら、開始の合図だ」
「わかった。あたいはいつでもいいぜ」

 互いに綱を握っては、四角い土俵と化した舞台の対極の位置に立つ。
 両者が配置についたところで、舞台袖からそれを見ていた藤士郎は、若干の違和感を覚えた。
 太さ一寸五分、長さは四丈ほどもある綱を巡る攻防。綱引き勝負なので、向かい合っての立ち位置は当然といえば当然なのだけれども……。

「得子さん、ちょっと舞台の端に寄り過ぎなんじゃあ」

 どうしてそうなったのかというと、大狒々がそうしているから。
 大狒々のする通りに得子が倣ったのだけれども、ごく自然にみえて、まんまと誘導されたように藤士郎の目には映る。

「う~ん、なんだろう、私はいったい何に引っかかっているのか。いったい何を見落としている?」

 眉間にしわを寄せて藤士郎は考え込む。
 すると山の霊気のおかげか、今宵はやたらと頭が冴え渡っており、すぐにあることに気がつき「あっ、いけない」
 勝負はとうに始まっていたのだ!
 したたかな大狒々は、すでに仕掛けていたのである。
 慌てて得子に注意を促そうとするも、そこでちゃりんと床に落ちた一文銭が音を立ててしまった。

 開始の合図とともに「おらーっ!」と得子は気合い一閃。豪腕にまかせて綱を思い切り引っ張った。それこそ本当に大狒々を箱根の山々の彼方へと投げ飛ばさんほどの勢いにて。
 だがしかし、あまりの手応えのなさに、ひょうし抜けしてしまう。
 そう。大狒々は相手を静かに煽りつつ、舞台際近くに立つように仕向けたところで、とんだ肩透かしを喰らわしたのである。
 刹那、得子の力が完全に空回りして「おっとっとっ」
 このままでは膝をついてしまう。
 だからしっかり足をついて踏ん張ろうとすれば、たちまち床下がぐらり。
 この天守閣の舞台、じつは土台がしっかり固定されておらず、ぐらぐらであったのだ。
 不安定な足場での綱引き、いったん乱れた体勢を戻そうと躍起になるほどに、ぐらつきがより酷くなる。

 やられた! この綱引き……たんなる力勝負なんぞではなかった。
 一見すると単純なようで、じつは高度なかけ引きを駆使する競技であったのだ。
 事前に地の利を把握し、綱の扱いにも長け、なおかつ河童の性格をも知り尽くた上で、大狒々は仕掛けていたのである。
 そうとは気づかずに、膂力にまかせて綱を引いてしまった得子。
 どうにか舞台際に残ろうとするも、そこで大狒々の駄目押し。綱が波打ち、渦を巻いては、どんっ!
 手元で暴れる綱に押される格好となった得子の身が、ついに舞台の外へと押し出されてしまった。
 ばかりか、ひょうしに綱を手放してしまったもので、屋根の上を転がり落ちていく。

「だーっ、しくじったーっ。こんちくしょうめーっ」

 得子のわめき声が天守閣からずんずん遠ざかっていき、しばらくしてからぽちゃんという音が聞こえてきた。どうやら下にある堀か池にでも落ちたらしい。

「かーっ、かっ、かっ」

 鷹ノ巣城に大狒々の笑い声が木霊する。
 かくして一番目の綱引き勝負は、大狒々の快勝となった。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

処理中です...