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其の三百九十四 かけ引き
しおりを挟む空となった酒瓶がたくさん床に転がっている。
八岐大蛇に化けた狒々たちと河童の得子の飲み比べ勝負。
双方ともすでに二十もの瓶を空けた。
八岐大蛇はそのかま首をややふらつかせての酩酊状態、一方の得子は「いい加減に口が飽きてきたな。何かつまみはないのかい?」とまだまだ余裕顔である。
この展開に「そんなばかな」と八つある首のうちのひとつがつぶやけば、べつの首が「あやつの腹の中はいったいどうなっておるのか」と苦し気にうめき、またちがう首が「これだから河童の女子は厭なのじゃ。あいつらは慎みに欠けておる」なんぞと嘆き、他の首らが「そうだそうだ」「これではどちらがうわばみか」「わざわざ琉球から取り寄せた酒精の強い品だというのに」「まったくだ、信じられん」と愚痴る。
ちなみに残りの首は、とうに酔いつぶれておりぐったり目を回していた。
しかし彼らが驚くのも無理からぬこと。
なにせこちらは八人がかりにて、むこうは一人だというのに、やり込められようとしているのだから。
このままでは負ける。
焦る八岐大蛇は、額を合わせてひそひそ話。
「くっ、こうなったらもうしょうがない。あれを使っていっきに勝負を決めよう」
「あれとは、まさか火酒を使うのか! いかん、あれは諸刃の剣ぞ」
「そんなことはわかっている。だが、このままでは確実に押し負ける」
「しかし……」
「なぁに、心配いらん。そこはそれ、細工は流々とな。自分たちの分はちゃんと薄めておくから安心しろ」
「それならば、まぁ」
「くくく、飲めばたちまち火を吹くというあれならば、さしもの得子もきっとぶっ倒れることであろうよ。にしても、こやつ……我らの苦労も知らずに、気持ちよさそうに寝やがって」
「………………すぅ、すぅ」
かくして八岐大蛇が秘蔵の火酒を持ち出し、闘酒戦はいよいよ佳境を迎えようとしていた。
◇
投扇興は交互に十回、的に向けて扇を投げては点数を競う。
的までの距離は三尺から六尺ほどなのが一般的であるが、今回は違う。
三尺のところから始めて、ひと投げごとに一尺ずつ離れていき、最終的には三十尺――三丈にも達することになる。
広げた扇は風を受けては、宙をゆらりひらり。ふつうに投げるだけでも難しいのに、さらに飛距離をのばしつつ、狙いもより正確にせねばならない。たんに的を倒すだけでなく、決まりの型によって得られる点数がかわるのも忘れてはならない。それゆえ遊戯が進むほどに難易度が飛躍的に跳ね上がるという趣向だ。
よほどこの遊びに自信があるのか、玉藻前に化けている狒々は口元を着物の袖で隠しつつ、「ほほほ」と優雅に笑っていた。
だがしかし……
先攻は玉藻前となる。
一投目は玉藻前、黄桜、ともに難なく的に当てる。
玉藻前は台の上に扇を残しつつ、的を落とす「桐壺」なる技を華麗に決め、黄桜も同じ技を決めた。
二投目もまた双方、狙いを外すことなく。玉藻前は倒した的と扇をともに台の上に残す「帚木(ははきぎ)」なる技を繰り出し、黄桜もそれに倣う。
三投目、四投目、五投目と双方順当に点数を稼いでいき、六投目もついに終わった。
ここまでは、いわば前座みたいなもの。本番はこれからである。
けれども、この時点で玉藻前の顔から笑みは消えていた。
なぜなら、ふたりともにまったく同じ内容であったから。それすなわち、黄桜がわざと大技を連発している玉藻前の真似しているということ。やろうとおもって、おいそれと出来ることではない。それだけ黄桜の力量が卓越している証左である。
「おのれっ!」
ぎちりと歯ぎしりしつつの玉藻前の七投目。
少々力んだせいか、扇は台の向こう側へと落ち、その上に的が倒れ込む「夕顔」となってしまった。ここまでずっと高い得点の技ばかりであったというのに、焦りから大幅に失速してしまった。
悔しがる玉藻前を横目に、黄桜は自然体にて扇を放つ。
が、結果は「夕顔」と同じ点数である「朝顔」に終わった。
わざとだ。黄桜はわざと同点である姉妹技を決めてみせたのだ。
挑発である。互いの技量にさして差はない。ならばと盤外戦を黄桜は仕掛けた。それも序盤から徹底して。たまさか後攻になり、玉藻前の一投目を見るなり、瞬時に相手の力量を見抜いての策であった。
だから内心では黄桜にも余裕なんぞはない。余裕があるふりにて強気に見せていただけのこと。綱渡りなのは玉藻前と同じ。
けれども追う者と追われる者とでは、心にかかる負担に多大な差が生じる。
いつのまにやら玉藻前の九尾のうちの二本が失せて、七本に減っていた。
◇
藤士郎は、黙々と写経を続けている。
その進み具合の速さと、巧みな筆遣いに目をぱちくりしていたのは、背後でにらみを効かせていた不動明王に化けた狒々である。
あれこれ話しかけたり、手にした倶利伽羅剣の素振りをしたり、どうにかして藤士郎の気を散らして書き損じをさせようと画策するも、まるで効果なし。
写経はそろそろ二巻目を終えて、三巻目に入ろうかとしていた。
なおここまでしくじりは一度もしていない。
「なんなのだ、こやつは? いったいどうなっている。見かけによらず、信心深いのか」
不動明王が困惑していると、上座にて高見の見物としゃれこんでいた銅鑼が「にしし」と笑って言った。
「ちげーよ。そいつは内職で写本仕事に慣れているだけだ。それに九坂家は代々貧乏だからな。紙もただじゃないんだ。書き損じなんてもったいないことするもんか。ははは、失敗だったな。そんな上等な紙と筆なんぞを用意するから藤士郎の奴、かえって気合いが入っちまっているじゃないか」
「なんだと? せっかくの写経だから、あとで箱根神社に奉納しようとおもったのだが、それが裏目に……」
妖は案外信心深いのが多い。
どうやらこの不動明王に化けている狒々もその口らしく、「しまった!」と頭を抱えた。
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