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其の三百九十三 酒扇経
しおりを挟む城内に入ったとおもったら、ひとり薄暗い廊下を歩いてた。
先の見えない長い廊下、両脇には猿の群れが野山で戯れる絵が描かれた襖が並んでいる。贅沢に色付けされたなかなかの襖絵だが、なかでちょろちょろ猿が動き回っているのが、ちと鬱陶しい。
が、かまわず得子は進む。
そうして行きついた先は大きな広間にて、待ちかまえていたのは見上げるほどもある大蛇である。
大柄な得子がさらに見上げるほどもある巨体、だがそれだけではない。
なんと大蛇の首は八つもあった――八岐大蛇である!
八つの首がおのおの不気味に動いては、「しゃー、しゃー」とうなり声にて、赤くて長い舌をちろちろと。
常人であれば泡を喰って逃げ出しそうな化け物である。
だというのに、そんな代物を目の前にしても得子は動じず。
すると八つの首のうちのひとつが言った。
「よくきたな。まずは一献」
得子の前に酒瓶が、どんと置かれた。
ぷぅんと芳しい匂いからして、上等な酒だ。
瓶の大きさからして、中身は一升ぐらいであろう。
が、飲もうにも杯がどこにも見当たらない。
それすなわち、直で飲めということ。
「なるほど、そうきたか……。くくく、いいだろう、そっちがそのつもりならば、とことん付き合ってやるぜ」
得子は酒瓶をむんずと掴むなり、これをぐびぐび飲み始めた。
八岐大蛇といえば酒、酒といえばうわばみ、とどのつまり、これは酒の飲み比べ勝負ということ。闘飲である。先に酔いつぶれた方が負け。
酒戦を挑まれた得子は、瞬く間にひと瓶空けては不敵な笑みを浮かべた。
◇
城内に入ったとおもったら、隣にいた得子の姿が失せており、大広間にいた。
そこを突き進めば仕切りの襖がある。猿の群れが野山で戯れる絵が描かれた襖が並んでいる。贅沢に色付けされたなかなかの襖絵だが、なかでちょろちょろ猿が動き回っているのが、ちと鬱陶しい。
少し顔をしかめつつ、黄桜は襖の引き手に指をかけた。
あえて、たーんと音がするように勢いよく開く。
すると、その向こうにはまたしても大広間が続いていた。しかも先ほどよりも少し広くなっている。
しかし、それだけにて何もない。
だからふたたび突っ切って先を目指すも、あるのはまたしても大広間であった。
襖を開けて次の間へと進むほどに、どんどんと広くなっていく。そのせいで歩く距離ものびるくせして、景色は変わらず。
いい加減に黄桜がげんなりした頃、ようやく景色に変化が起こった。
そこは都の二条城は二の丸御殿黒書院にも勝るとも劣らぬほどの、立派な場所にて、床には赤い敷き布が一面に広げられている。
おもわず立ち止まり「ほう」と黄桜も感嘆の吐息を零すも、その目が見つめていたのは部屋の中央付近に置かれた桐箱の台である。
台の上にのっているのは「蝶」と呼ばれる鈴のついた的にて、これはお座敷遊びの投扇興(とうせんきょう)で用いられる道具であった。的に向かって広げた扇を投げては、源氏物語や百人一首になぞられた点式にそって採点し、点数を競うという雅な遊戯である。
桐箱の台の脇には華やかな十二単(じゅうにひとえ)を着た艶やかな女の姿あるものの、尻尾が九本ゆらゆらと。
服装といい、場の雰囲気といい、どうやら伝説の妖狐「玉藻前(たまものまえ)」を気取っているらしい。
十二単の女が優雅に扇を振っては、「おいで、おいで」と招く。
どうやら投扇興で白黒つけようというつもりらしい。
「おや、箱根の狒々はなかなか風流なことを考えるものですね。いいでしょう、付き合ってさしあげますわ」
黄桜はしゃなりしゃなりと女のもとへ向かった。
◇
穴に落ちた藤士郎は、気づけば寺のお堂のような場所にいた。
なぜだか床机の前に正座をさせられている。
机の上には硯と筆、紙に経文三巻が整然と並べられている。
藤士郎の肩にいた銅鑼はというと、なぜだか上座にて山と積まれた饅頭をむしゃこら食べていた。あちらは客分扱いということらしい。
でもって藤士郎のすぐ背後には剣を持った不動明王が立っており、こちらをギロリとねめつけている。
「よくきたな、不浄なる者よ。だが貴様はたいそう運がいい。いまならば、その身の穢れを落とすことができるぞ。そこの経文を写経せよ。さすれば穢れはすべて払われ、浄土への道が約束されることであろう。
ただし、書き損じがあれば始めからやり直しだ。
制限時間は、そこの蝋燭が燃え尽きるまで。もしも出来ねばわかっているであろうなぁ」
不動明王は手にした倶利伽羅剣(くりからけん)を、これ見よがしにぶんぶんと振ってみせた
よもやの写経勝負を強いられた狐侍、恨めしげに銅鑼をにらみつつ、渋々筆を手に取った。
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