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其の三百九十二 幻影、鷹ノ巣城
しおりを挟むそれはまるでお歯黒のようにのっぺりした闇であった。
夜陰に染まり黒々としている箱根の峰を突き進むうちに、見えてきたのは目的の地である。
あれこそが狒々たちの指定してきた鷹ノ巣城なのであろうが……。
「そんな馬鹿な……とっくに朽ちた廃城のはずなのに、どうしてこんな堅城が建っているんだ?」
麓から見上げれば、山頂にそそり立つのは瓦屋根に漆喰の壁、重厚な城門に天守閣を持つ立派な城である。
てっきり丸太で組んだだけの、簡素な陣地ぐらいを想像していた藤士郎は、その威容にあんぐり。
「ほうほう、こいつはなかなかのもんだな」
のんきに感心しているのは銅鑼だ。でっぷり猫は「なんだかおもしろいことになってきやがった。おれも行く。腹ごなしの散歩に丁度いいだろう」とついてきた。
「おおかた狒々どもの幻術だろう。にしても、ずいぶんと手の込んだことをしやがるぜ。この分だと前々から祭りの邪魔をする気だったのに違いあるまい。ご苦労なこった」
忌々しそうにそう言ったのは得子である。藍染川の主は首を左右に傾げてはごきりごきり、骨を鳴らしては体をほぐしている。
「あらあら、箱根の狒々たちはずいぶんとお暇なのですね」城へと冷ややかな目を向けつつ黄桜が言った。「でも、だとしたら、少々厄介なことになるかもしれません」
狒々たちは準備万端整えて待ち受けている。
それすなわち、いきなり本丸に乗り込んで旗を奪取してしまうという、強硬な手段は使えない公算が大きいということ。
入念に幻術を施していることからして、城の内部は迷路のような結界になっており、おそらくは順路以外には進めないようになっているはず。
さて、どうしたものかと一行が相談していると――。
ぎぎぎ、ぎぎ、ぎぃいぃぃぃ。
音を立てていたのは城門であった。
門扉がゆっくりと開いていく。
それとともに門の奥にて、ぽつぽつと青白い鬼火が灯ったかとおもったら、唐突に山中に響き渡ったのは嘲笑である。
どっと湧いたそれらは、狒々たちの仕業であった。
城を前にして、二の足を踏んでいるこちらを小馬鹿にする。
見え透いた挑発だ。
だが、それとわかっていてもこちらは進むしかない。
「あいつら、一匹残らずとっ捕まえて、尻の毛まで毟り取ってやる!」
「うちは遠慮しておきますわ。あんなごわごわの黒い縮れ毛なんて、ろくな使い道がありませんもの。竈門にくべても臭いだけですし」
得子と黄桜が肩を並べて、ずんずんと城門に向かって歩きだしたもので、藤士郎と銅鑼もこれについていく。
すると不思議なことに、山頂へと通じる道へと足を踏み入れたとおもったら、次の瞬間にはもう城門前へとやってきていた。
だというのに女河童たちは、さして気にもせず。さっさと門をくぐってしまう。
一方で銅鑼はぴょんと跳んだとおもったら、藤士郎の背をよじ登ってはその右肩へと移動する。
「ちょいと、重たいよ銅鑼」
「いいから、黙ってのせておけ藤士郎、御守りみたいなもんだ。ほれ、あれを見てみろ」
銅鑼に促された先には、女たちの頼もしい背中があったのだけれども、それらがいよいよ城内に入ろうとしたところで、唐突にかき消えてしまった。
黄桜が危惧していた結界とやらの仕業である。どうやら一行はばらばらに散らされてしまったらしい。
まぁ、それはさておき……。
「あれ? だったら私はここで引き返してしまってもいいんじゃないのかしらん」
ふと、藤士郎の頭にそんな考えが浮かんだ。
道案内として連れて来られたものの、すでに目的地には到着している。そしてはぐれてしまったことにより検分役も務められそうにない。なによりこれは狒々と河童の争いにて、狐侍の預かり知らぬこと。
ゆえに、これ幸いと身を引こうときびすを返した藤士郎であったが、その時のことである。
耳朶に甘い息がかかって、囁き声がした。
『そうつれないことを言うでない。せっかく来たのだ、ゆるりと楽しんでいけ、お客人よ』
はっと驚く藤士郎、慌てて声の主を探そうとしたところで、不意に抜けたのは足下の地面である。
すとんと落ちた。たちまち藤士郎の視界は真っ暗になってしまう。
とっさにどこかに掴まろうとするも、のばした手は虚しく空を掴むばかりであった。
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