389 / 483
其の三百八十九 重み
しおりを挟む三佐の上手投げ。
けれども上背も体躯も千坊の方がある。千坊は少したたらを踏むもどうにか堪えた。
強引に投げにいったことにより、脇が開き、体も傾いでしまった三佐が一転して窮地に陥る。
ここを攻め時と千坊が動く。腰を取り裏投げを仕掛けた。
だがしかし――。
「――っ、なんだと! 持ち上がらん」
千坊が驚愕にて目を見張った。
態勢が崩れた相手をひと息に投げ飛ばすつもりであったのに、三佐はびくともせず。まるで大地に根がはったかのよう。
三佐は投げられる寸前に腰を落とし、相手の仕掛けの出鼻を崩していたのだ。いかに豪腕を誇る千坊とて、それだけでねじ伏せられるほど相撲は甘くない。
一方で腰を落とし、ぐぐっと下半身に力を蓄えていた三佐の身が、ここでいっきに跳ねた。
蛙飛びならぬ、河童飛び。
腕は先の上手投げのままにて、いまだに千坊の廻しをがっちり掴んだまま。
これにより千坊の身までもが浮かんだ。高さにすればせいぜい膝下ぐらいまでであるが、そのいかつい風貌ゆえに、ついぞ他人に持ち上げられたことなんぞない千坊は「うわわっ」と慌てた。
千坊は手足をばたつかせて抗い、拘束を解こうとする。
させじと三佐は廻しを掴んだ手にいっそうの力を込めつつ、向かったのは土俵の外だ。
もろともに土俵を割ったふたり、勝敗を分けたのは互いの位置であった。
ほぼ双方横並び、ともに肩から落ちた。
けれどもほんのちょっとだけ、千坊の方が先に土をつける。
行司役の藤士郎はしかと見届けた。ふたりして土俵の外へと飛び出た瞬間、三佐が意地のもうひと押し、これにより落下の順番に差が生じた。
かくして紙一重ではあったが、三番目の勝負は東軍に軍配があがった。
だが微妙な判定である。
取り組みを観ていた位置によっては、逆のようにも映ったらしく……。
「いまの判定、おかしくないか?」「俺には三佐が先に落ちたように見えたが」「そうかぁ。僅差だったが、たしかに千坊が先であろうよ」「くっ、ここからじゃ野郎どもの尻しか見えやしねえ」「うーん、どっちかなぁ」「まさかの、行司差し違え?」「いや、あの若いの。ちゃんと検分しておったぞ」「そうそう。あの激しい取り組みのさなかに巧いこと立ち回っては、よくやっている」「さすがは得子殿が推挙した御仁じゃ」「でも微妙だよなぁ」「いっそのこと取り直しとか」「いや、それはどうだろう」「なら、やっぱり三佐の勝ちだ!」「いいや、違うね。千坊の勝ちだ!」「もう終わったんだよ、ごちゃごちゃとうるせえなぁ」「なんだぁ? やんのかこの野郎!」「上等だ、この野郎っ!」
ざわざわざわ……。
判定を受けて境内が騒然となりつつあった。
こうなると双方の取り巻きもだまっちゃいられない。
千坊の子分たち、三佐の弟分たち、ふたつの集団がにらみあっての一触即発、たちまち膨れ上がる争乱の気配、祭りの興奮と熱気も相まって、いまにも乱闘騒ぎが起きそう。
だがその時のことである。
「やめねえか、みっともねえ。これ以上、俺に恥をかかせるんじゃねえ!」
一喝したのは負けた千坊であった。むくりと起き上がるなり周囲を睥睨しては、声を張り上げる。
当人が負けを認めている以上は、土俵の外の者らがとやかく云うことではない。
たちまち騒ぎは収まった。
「あー負けた負けた。ったく、あんな声援を受けたんじゃあ、意地でも負けられねえわな。どおりでやたらと重たいはずだ。なにせひとりじゃねえんだから」
千坊は自分に勝った三佐を褒め称え、それから境内の混雑を避けてうしろの方から声援を送っていた女河童の方を見る。女は身重であった。三佐の恋女房にて、お腹にはややこが宿っている。
女房と腹の子を守る父親としての覚悟、その分だけ三佐は強く重かったのだ。
「またやろうぜ。次は負けねえからな」
そう言い残し笑顔で土俵を去っていく千坊に、周囲からは惜しみない拍手と賛辞が送られる。
稀にみる名勝負を制した三佐は勇名を馳せ、敗れはしたものの、その潔い態度にて千坊は大いに男ぶりをあげた。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる