狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百八十九 重み

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 三佐の上手投げ。
 けれども上背も体躯も千坊の方がある。千坊は少したたらを踏むもどうにか堪えた。
 強引に投げにいったことにより、脇が開き、体も傾いでしまった三佐が一転して窮地に陥る。
 ここを攻め時と千坊が動く。腰を取り裏投げを仕掛けた。
 だがしかし――。

「――っ、なんだと! 持ち上がらん」

 千坊が驚愕にて目を見張った。
 態勢が崩れた相手をひと息に投げ飛ばすつもりであったのに、三佐はびくともせず。まるで大地に根がはったかのよう。
 三佐は投げられる寸前に腰を落とし、相手の仕掛けの出鼻を崩していたのだ。いかに豪腕を誇る千坊とて、それだけでねじ伏せられるほど相撲は甘くない。
 一方で腰を落とし、ぐぐっと下半身に力を蓄えていた三佐の身が、ここでいっきに跳ねた。

 蛙飛びならぬ、河童飛び。
 腕は先の上手投げのままにて、いまだに千坊の廻しをがっちり掴んだまま。
 これにより千坊の身までもが浮かんだ。高さにすればせいぜい膝下ぐらいまでであるが、そのいかつい風貌ゆえに、ついぞ他人に持ち上げられたことなんぞない千坊は「うわわっ」と慌てた。
 千坊は手足をばたつかせて抗い、拘束を解こうとする。
 させじと三佐は廻しを掴んだ手にいっそうの力を込めつつ、向かったのは土俵の外だ。
 もろともに土俵を割ったふたり、勝敗を分けたのは互いの位置であった。

 ほぼ双方横並び、ともに肩から落ちた。
 けれどもほんのちょっとだけ、千坊の方が先に土をつける。
 行司役の藤士郎はしかと見届けた。ふたりして土俵の外へと飛び出た瞬間、三佐が意地のもうひと押し、これにより落下の順番に差が生じた。
 かくして紙一重ではあったが、三番目の勝負は東軍に軍配があがった。
 だが微妙な判定である。
 取り組みを観ていた位置によっては、逆のようにも映ったらしく……。

「いまの判定、おかしくないか?」「俺には三佐が先に落ちたように見えたが」「そうかぁ。僅差だったが、たしかに千坊が先であろうよ」「くっ、ここからじゃ野郎どもの尻しか見えやしねえ」「うーん、どっちかなぁ」「まさかの、行司差し違え?」「いや、あの若いの。ちゃんと検分しておったぞ」「そうそう。あの激しい取り組みのさなかに巧いこと立ち回っては、よくやっている」「さすがは得子殿が推挙した御仁じゃ」「でも微妙だよなぁ」「いっそのこと取り直しとか」「いや、それはどうだろう」「なら、やっぱり三佐の勝ちだ!」「いいや、違うね。千坊の勝ちだ!」「もう終わったんだよ、ごちゃごちゃとうるせえなぁ」「なんだぁ? やんのかこの野郎!」「上等だ、この野郎っ!」

 ざわざわざわ……。
 判定を受けて境内が騒然となりつつあった。
 こうなると双方の取り巻きもだまっちゃいられない。
 千坊の子分たち、三佐の弟分たち、ふたつの集団がにらみあっての一触即発、たちまち膨れ上がる争乱の気配、祭りの興奮と熱気も相まって、いまにも乱闘騒ぎが起きそう。
 だがその時のことである。

「やめねえか、みっともねえ。これ以上、俺に恥をかかせるんじゃねえ!」

 一喝したのは負けた千坊であった。むくりと起き上がるなり周囲を睥睨しては、声を張り上げる。
 当人が負けを認めている以上は、土俵の外の者らがとやかく云うことではない。
 たちまち騒ぎは収まった。

「あー負けた負けた。ったく、あんな声援を受けたんじゃあ、意地でも負けられねえわな。どおりでやたらと重たいはずだ。なにせひとりじゃねえんだから」

 千坊は自分に勝った三佐を褒め称え、それから境内の混雑を避けてうしろの方から声援を送っていた女河童の方を見る。女は身重であった。三佐の恋女房にて、お腹にはややこが宿っている。
 女房と腹の子を守る父親としての覚悟、その分だけ三佐は強く重かったのだ。

「またやろうぜ。次は負けねえからな」

 そう言い残し笑顔で土俵を去っていく千坊に、周囲からは惜しみない拍手と賛辞が送られる。
 稀にみる名勝負を制した三佐は勇名を馳せ、敗れはしたものの、その潔い態度にて千坊は大いに男ぶりをあげた。


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