381 / 483
其の三百八十一 初恋の風
しおりを挟む朝靄が垂れ込める静寂の墓場――。
姿をみせたのは、お武家であった。まだ壮年にもかかわらず、すでに御髪に白いのがちらほら混じっている。
ひとりきりにて、手には山百合の花を一輪持っている。
この様子をこっそり隠れ見ていた藤士郎たちは、それで相手の正体に気がついた。
ずっと前に、お峰と文のやり取りをしては、ちょこっといい雰囲気になりかけたという、あの御仁だ。
文のひとつふたつで一喜一憂できた若かりし頃、淡い初恋である。
故人を偲んで、お峰の墓へと通う者も多かったが、それも四十九日が過ぎれば自然と足が遠のいていった。生者は死者と違って、いろいろと忙しいのだ。
以降、身に覚えがある亭主は怖がって女房の墓には近寄らず。
店主があからさまに怯え忌避しているもので、店の者らも大手を振っては墓参りに来れない。寺の住職の読経はたいそう耳障りにて、ちょいちょいやってくるのは亭主が招いたという旅の修験者ばかりにて、来れば「悪霊退散!」とやかましい。
それが薄っすら悪い噂となったせいで、ますます知己が近寄りがたくなっている今日この頃。
だというのに立場のある忙しい身にありながら、いまだにふらりとやってきては黙って花一輪を供え、手を合わせてくれる。
真摯な態度に人柄がにじみ出ていた。おそらくは気真面目で、それでいて不器用な人なのだろう。
でもだからこそ、この御仁とお峰のふたりが結ばれることはなかった。
武士と大店の一人娘、互いに家を背負う身にて、すべてを捨てて手に手をとって……などという無責任なことはけっしてできない性分。周囲に不義理を働いて、自分たちだけが幸せになることを許容できるような人間ではない。
それでも文を綴っては、想いを伝えずにはいられなかった。
そんな相手の気持ちが文面に溢れていたからこそ、受け取った側も心が揺さぶられた。
内職の写本仕事にて、文章についてはいっぱしの見識を持つ藤士郎、失礼ながら確認がてら、中身をちらり流し読みしただけでも、いまだに薫り立ち文面に吹く初恋の風を感じたほどである。
過ぎ去りし遠い昔のこと。
ふたり、ともに若かったのだ。
だというのに、あの頃の想いをいまだに大切にしている……してくれている。
いい想い出として胸の奥で大事にとっておいてくれている。
それはとても照れ臭くもあり、それでいてちょっとうれしくもあって……。
お峰がこの御仁の邪魔をしたくない、その行く末を気遣って、肩入れしたくなる気持ちもわからなくはない。
もしも自分が女の身にて、同じことをされたら、きっとほだされるだろう。それが人の情というものだ。
藤士郎が小声にてひそひそ、お峰に話しかける。
「いっそのこと姿をみせて、ちゃんとお別れをしたらどうだい?」
でも、お峰は「ふぅ」と小さく息を吐き「無茶を言わないでくださいな。こんな浅ましい姿、あの方にだけは絶対に見せたくありません」とぴしゃり。
女にだって見栄もあれば意地もある。
男の中にある綺麗な想い出を、わざわざしゃれこうべ姿で上書きなんぞしてたまるか。
だから何があっても、この御仁の前にだけは化けて出てなんぞやらない。
その気持ちもわからなくはない。
だからとて、これを放っておいては、別の未練が残ることであろう。
そこで藤士郎は意を決して物陰より姿をあらわした。
こんな時刻に、こんな場所である。
てっきり自分だけだとおもっていた御仁は、急にあらわれた若侍にたいそう驚き、そして警戒する。
けれども藤士郎はそれにはかまわずに、無言のままからくり箱を差し出す。
中には文の束が入っているけれども、それはお峰と御仁との間でかわされた分のみにて。余計なものは抜いてある。
「貴公は……それにこれは?」
御仁はおおいに訝しむも、とりあえず受け取った。
「私はお峰さんの知人で名乗るほどの者じゃありません。この箱の中にはお峰さんとあなたが交わした文が入っています。遺言でした。もしもあなたがここにあらわれることがあれば渡して欲しいと。それから『ありがとう、どうかご自愛ください』とも」
真っ赤な嘘である。
とっさに藤士郎がでっちあげたもの。
だがお峰はすでに亡くなっており真偽の確認のしようはなく、それでいて実物はすぐ目の前にある。これにより嘘は俄然、真実味を帯びてくる。
そして若くして藩の重職についているだけあって、御仁は聡い。
すぐに諸々のことや、自愛の意味も察したのか「そうか」とだけ。
◇
朝陽が昇りきり町が本格的に目覚める前に、御仁は帰っていった。
遠ざかるその背を見送りながら、「勝手をしてごめん」と藤士郎が詫びれば、お峰は「いえ、きっとあれでよかったんでしょうよ」と許してくれた。
「これで心残りもなくなったことだし、安心して成仏できるな」
銅鑼は「ふわぁ」とあくびまじり。けっきょく徹夜仕事になってしまったもので。
するとそこに聞こえてきたのは読経の声である。
寺での朝のおつとめなのだろうけど……。
「う~ん、こいつはたしかに下手だねえ」
「信じられん。おれの眠気が一発で吹っ飛んだぞ」
あまりのまずさに眉間にしわを寄せている藤士郎と、驚きのあまり目が点となっている銅鑼に、お峰が首をすくめた。
「でしょう? だもので、すぐに成仏するのはちょっと難しいかも」
とたんに墓場の方から、どっと亡者たちの笑いが起きた。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる