狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百七十六 花、一輪

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 湯気の向こうにいる相手に向かって、銅鑼は「骨女」と言った。

「あら、いやだ。女に向かってあんまりな言い草じゃありませんか」

 ふり返った女、湯から上はたしかに骨であった。
 声を発するたびに、しゃれこうべがかたかた震えている。
 湯気越しに見えたあの色っぽい艶姿は偽りであったのか。すっかり騙された!
 そのようなことをつい藤士郎が口走ると、女は不満げに……。

「いいえ、違います。あれは女の意地ですわ。これでも生きているときには、蝶よ花よと周囲から持て囃され、それはもう大事にされていたもんです。婿をとって店を切り盛りするようになってからも、その器量と気風の良さは町でも指折りだったんですからね」

 なんぞと言けしゃあしゃあ。
 見た目はたしかに骨である。まごうことなき骨女だ。
 けれども不思議と亡者特有の陰気さが微塵もなく、あまりにもさばさばした物言いと態度にて、藤士郎はすっかり毒気を抜かれてしまった。

「して、わざわざおれたちの前に姿をあらわした目的はなんだ? たんに旅の若侍をおちょくりにきたわけではあるまい」

 骨女を横目に銅鑼がのそりと湯からあがる。
 でっぷり猫は全身をぶるぶる振るわせては、周囲の迷惑も省みずに飛沫を盛大に飛ばす。
 近くにいた藤士郎は、抜け毛まじりの猫汁をもろにかぶったもので「うわっ、ちょっと銅鑼、なにをするんだよ。ぺっぺっ」としかめっ面。
 するとそんなふたりを、骨女はくすくす笑った。

「いえ、じつはこんな私を見ても物怖じすることのない、肝の据わったお武家さまと奇妙なお連れさまを漢と見込んで、ひとつお頼みしたいことがありまして……」

  ◇

 山奥にて妙な縁が結ばれた翌日のこと。
 藤士郎と銅鑼は、秘湯から山一つ越えた先にある町へと来ていた。
 どうせ帰り道であったので、ついでに立ち寄るのはやぶさかではない。
 ただし、骨女からの頼まれ事というのが、ちょいとやっかいであった。

「へぇ、お峰さんってば本当に炭屋の女主人だったんだねえ」

 骨女の生前の名はお峰といった。
 いま藤士郎は通りを挟んだ物陰より、店の様子を伺っている。
 地元では名の知れた大店にて、お城にも炭を納めているほど。ひっきりなしに客が出入りしており、店はとても繁盛しているようだ。付近の茶屋にて話を聞いても、評判はすこぶる良い。お武家相手に商売をしているかたわらで、庶民相手の小さな商いにも手を抜かず、きちんとしており愛想がいいとのこと。
 半年ほど前に元気だった女主人が急に心の臓の発作で亡くなって、一時は店の存続も危ぶまれたが、残された亭主や店の者らが一丸となってどうにか盛り返しているという。
 もっともその残された亭主が婿養子にて、じつは愛人どころか隠し子までいるということをがなければ、めでたしめでたしの美談なのだが……。

 ならば己の死に疑念を抱いたり、恨みからお峰が化けて出ているのかといえば、さにあらず。

「あー、べつにそんなことはどうでもいいんですよ。一服盛られたんなら、しょせんはその程度の仲だったということなんですもの。
 これでもあれこれ気を遣っていたんですけどねえ。やっぱり入り婿って立場に、あの人もずっと息苦しさを感じていたのかもしれません。
 えっ、隠し子? それも特には気にしていませんね。
 どういう経緯があろうとも、子どもは大切にしなくちゃ。それに私とあの人の間には子どもはいませんでしたから。店のことや、働いているみんなのことを考えたら、跡継ぎが出来てむしろ万々歳ですよ。
 亭主に通っている女がいたことなんて、とうに気がついておりましたし。
 あの人ってば必死に隠しているつもりなんでしょうけど、狭い町内のことだもの。とても隠し通せるものじゃありません。しょせん人の口に戸は立てられませんから。ふふふ」

 けっこうしゃれにならないことを、あっさり脇へとうっちゃって、お峰が「そんなことよりも」と頼んできたのは、隠してある文箱の回収と処分である。
 器量がよくて、気風もよくて、大店の一人娘でもあったお峰は、若い時分からそりゃあもう、もてて、もててしょうがなかった。
 彼女の笑み見たさに、男どもがこぞって歌を送り、恋文を送り、貢物を送り、どうにかして歓心を買おうと苦心し競ったものである。

 文箱の中身とは、それらの品々の中でもとくにお峰が気に入ってとっておいた品なんだとかと。
 とはいえ昔の話である。
 いまさら表に出たとて、どうということはあるまい。
 話を聞いて藤士郎はそう思ったのだけれども、「そうもいかないんですよ」とお峰は首を振る。
 保管してある恋文の中には、表沙汰になるといろいろまずい相手から送られたものも混じっているんだとか。
 互いに若く、身分違いということもなり、男と女の仲に発展することはなかった。
 やがて時は過ぎ、双方ともに落ち着くところ落ち着いたのだけれども、困ったことに相手の男は藩の重役についており、そしてお峰の家は藩と取引のある大店だ。
 失脚狙いにてあらぬ嫌疑をかけられて、双方共倒れとかになれば目も当てられぬ。
 だというのに……。

「あの人ってば……、夜更けに人目を忍んで、わざわざお墓参りに来てくださったんですよ。私が好きだった山百合の花を一輪持ってね」

 そんないい人に、迷惑をかけたくない。
 なんともいじらしい乙女心ではないか。
 すっかりほだされた藤士郎は、お峰の頼みを引き受けることにしたのだけれども……。


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