狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
374 / 483

其の三百七十四 影星墜つ

しおりを挟む
 
 当たれば脳天が割れて即死するだろう。
 そんな刃が迫ってくるのを目にしながら狐侍が考えていたのは、この旅の途中に襲いかかってきた刺客たちのこと――。

 峠で待ち伏せをしていた鵜月、大弓の遣い手にてその一射は凄まじく、生木をたやすく貫き粉砕するほど。森の奥にて、雨にて霧煙るという、天の利と地の利が味方してくれたおかげで、どうにか倒すことができたものの、紙一重であった。

 宿屋で按摩に扮して襲い掛かってきた土竜、盲目の杖術の遣い手にて暗闇を巧みに用いては、己の位置を悟らせない足運びと気配の消し方には舌を巻いたものである。香炉の灰を撒くことで生じた音により、からくも居場所が知れて、左足を斬ることに成功し、どうにか退けたものの、危ういところであった。

 まとわりつく狼の視線により獲物を追い詰める八名、巧みな変装にてこちらには己が姿を悟らせずにつかず離れず。その執拗な追跡には藤士郎もほとほと参った。金鳴りの策にて炙り出し、仕留めることはできたが、もしもあのまま追跡が続いていたら確実に先に参っていたのは、藤士郎たちであっただろう。

 ついに相対することはなかったが、火計と虚言により大衆を扇動しては、藤士郎たちを追い詰めた者もいた。あの時に感じた恐怖は、いま思い出してもぞっとする。

 竜尾岳にて待ち伏せをしていた蝸牛、大鎌に太い鎖分銅を操る巨漢にて、放つ鎖はまるで生きている大蛇のごとく動き、分銅は岩をも砕く。相対した際、藤士郎は不覚にも鎖の一撃を喰らって、崖下にはじき落とされた。河童の丸薬という禁じ手を使うことで、どうにか崖上に復帰し倒すことには成功するも、蝸牛の執念により地獄への道連れにされかけた。

 蝸牛と滑落し、川へと落ちた藤士郎を救ってくれたのは麻霧であった。
 いったい藤士郎の何が気に入ったのやら、銅鑼をして「道成寺の蛇淫も真っ青」と言わしめる執念にて、追いすがる。
 それはまさに命懸けの告白にて、隧道にて爆発を起こし、無理心中を敢行するほど。
 怖い女であった。でも不思議と藤士郎は彼女を嫌いになれない。

 天下の鬼才、真なる剣才の持ち主にして、五尺もの野太刀を自在に操る紅夜佗、同性ながらに見惚れるほどの総髪の美剣士……。
 その実力は恐るべきものにて、若くして伯天流を修め、数多の強敵たちを倒してきた藤士郎をしても「剣を交えたら勝ち目がない」という剣腕の持ち主であった。
 真剣勝負の一騎打ちにてどうにか勝ちを拾うも、もしもいま一度立ち会えば次に倒れているのは藤士郎であろう。

 町中にて庭師が使う長柄の剪定鋏にて奇襲をかけてきた鰐、白昼の通りでの大胆な襲撃にも驚いたが、なによりも相手の目に戦慄を禁じ得ない。
 ぎやまんのごとき無機質な瞳……あの男にとっては人も草木も変わらない。ただ刈るだけ。路地裏での攻防、死線を分けたのはおそらく手足と得物の長さだろう。もしも鰐が刀を手にしていたら、先に腹を裂かれていたのは藤士郎であった。

 あの巌然と互角に呪術合戦を繰り広げ、餓鬼玉や屍蝋なる邪悪な者を地上に降臨し、ついには村一つを滅ぼした恐るべき呪術師の寿慶。
 巌然から託された御札と銅鑼の助力があって、どうにか倒すことには成功するも、とんでもない相手であった。

 瑞雲寺の石段で待ちかまえていた鬼平太、小太刀二刀流にして体術も達人にて、藤士郎の繰り出す攻撃がことごとく封じられ、終始押されることになる。
 どうやら伯天流にゆかりのある者らしいのだが、身にまとわりついている死臭が尋常ではなかった。いったい何人斬ればあんな風になれるのか想像もつかない。
 もしも武芸者としての矜持を完全に捨て去り、殺し屋としてのみ振る舞っていれば、藤士郎が九死に一生を得ることはなかっただろう。

  ◇

 どいつもこいつも化け物みたいな連中であった。
 だというのにである。
 いま対峙している東條恭之進から、狐侍は微塵も圧を感じない。
 確かに見事な剣である。太刀筋にぶれはなく、すーっと通っており、とても綺麗だ。
 これまで戦ってきた刺客たちとは真逆に位置する、王道の剣である。
 武士による武士のための剣だ。いまの世の剣だ。
 藩の指南役という立場ならば、当然ともいえる武芸である。

 みんな命懸けであった。
 歪んではいたものの必死であった。
 なのに、この男の剣にはそれがない。
 いつも兄の陰にこそこそ隠れて、騙し討ちやら闇討ちばかり。
 そのせいで刀に宿るはずの重みが失せている。

 だから……ちっとも怖くない!

 迫る東條恭之進の刃にみずから近づいた狐侍は、さらにもう一歩前へと。
 振り下ろされる刀の奥へと踏み込んだところで、地から天へと翻ったのは狐侍の小太刀である。さながら燕が飛ぶがごとき動きにて切っ先が閃く。

 斬っ!

 東條恭之進の右手首が刀を握ったまま宙を舞う。
 たちまち溢れる血潮、苦悶にて顔を歪めながらも「おのれ」と吠え、すぐさま左手にて脇差を抜く東條恭之進であったが、左手首までもが切り落とされて勝負あり!
 影星は両腕を失い、己が血溜まりに沈むことになった。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

高槻鈍牛

月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。 表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。 数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。 そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。 あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、 荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。 京から西国へと通じる玄関口。 高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。 あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと! 「信長の首をとってこい」 酒の上での戯言。 なのにこれを真に受けた青年。 とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。 ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。 何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。 気はやさしくて力持ち。 真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。 いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。 しかしそうは問屋が卸さなかった。 各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。 そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。 なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

処理中です...