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其の三百七十四 影星墜つ
しおりを挟む当たれば脳天が割れて即死するだろう。
そんな刃が迫ってくるのを目にしながら狐侍が考えていたのは、この旅の途中に襲いかかってきた刺客たちのこと――。
峠で待ち伏せをしていた鵜月、大弓の遣い手にてその一射は凄まじく、生木をたやすく貫き粉砕するほど。森の奥にて、雨にて霧煙るという、天の利と地の利が味方してくれたおかげで、どうにか倒すことができたものの、紙一重であった。
宿屋で按摩に扮して襲い掛かってきた土竜、盲目の杖術の遣い手にて暗闇を巧みに用いては、己の位置を悟らせない足運びと気配の消し方には舌を巻いたものである。香炉の灰を撒くことで生じた音により、からくも居場所が知れて、左足を斬ることに成功し、どうにか退けたものの、危ういところであった。
まとわりつく狼の視線により獲物を追い詰める八名、巧みな変装にてこちらには己が姿を悟らせずにつかず離れず。その執拗な追跡には藤士郎もほとほと参った。金鳴りの策にて炙り出し、仕留めることはできたが、もしもあのまま追跡が続いていたら確実に先に参っていたのは、藤士郎たちであっただろう。
ついに相対することはなかったが、火計と虚言により大衆を扇動しては、藤士郎たちを追い詰めた者もいた。あの時に感じた恐怖は、いま思い出してもぞっとする。
竜尾岳にて待ち伏せをしていた蝸牛、大鎌に太い鎖分銅を操る巨漢にて、放つ鎖はまるで生きている大蛇のごとく動き、分銅は岩をも砕く。相対した際、藤士郎は不覚にも鎖の一撃を喰らって、崖下にはじき落とされた。河童の丸薬という禁じ手を使うことで、どうにか崖上に復帰し倒すことには成功するも、蝸牛の執念により地獄への道連れにされかけた。
蝸牛と滑落し、川へと落ちた藤士郎を救ってくれたのは麻霧であった。
いったい藤士郎の何が気に入ったのやら、銅鑼をして「道成寺の蛇淫も真っ青」と言わしめる執念にて、追いすがる。
それはまさに命懸けの告白にて、隧道にて爆発を起こし、無理心中を敢行するほど。
怖い女であった。でも不思議と藤士郎は彼女を嫌いになれない。
天下の鬼才、真なる剣才の持ち主にして、五尺もの野太刀を自在に操る紅夜佗、同性ながらに見惚れるほどの総髪の美剣士……。
その実力は恐るべきものにて、若くして伯天流を修め、数多の強敵たちを倒してきた藤士郎をしても「剣を交えたら勝ち目がない」という剣腕の持ち主であった。
真剣勝負の一騎打ちにてどうにか勝ちを拾うも、もしもいま一度立ち会えば次に倒れているのは藤士郎であろう。
町中にて庭師が使う長柄の剪定鋏にて奇襲をかけてきた鰐、白昼の通りでの大胆な襲撃にも驚いたが、なによりも相手の目に戦慄を禁じ得ない。
ぎやまんのごとき無機質な瞳……あの男にとっては人も草木も変わらない。ただ刈るだけ。路地裏での攻防、死線を分けたのはおそらく手足と得物の長さだろう。もしも鰐が刀を手にしていたら、先に腹を裂かれていたのは藤士郎であった。
あの巌然と互角に呪術合戦を繰り広げ、餓鬼玉や屍蝋なる邪悪な者を地上に降臨し、ついには村一つを滅ぼした恐るべき呪術師の寿慶。
巌然から託された御札と銅鑼の助力があって、どうにか倒すことには成功するも、とんでもない相手であった。
瑞雲寺の石段で待ちかまえていた鬼平太、小太刀二刀流にして体術も達人にて、藤士郎の繰り出す攻撃がことごとく封じられ、終始押されることになる。
どうやら伯天流にゆかりのある者らしいのだが、身にまとわりついている死臭が尋常ではなかった。いったい何人斬ればあんな風になれるのか想像もつかない。
もしも武芸者としての矜持を完全に捨て去り、殺し屋としてのみ振る舞っていれば、藤士郎が九死に一生を得ることはなかっただろう。
◇
どいつもこいつも化け物みたいな連中であった。
だというのにである。
いま対峙している東條恭之進から、狐侍は微塵も圧を感じない。
確かに見事な剣である。太刀筋にぶれはなく、すーっと通っており、とても綺麗だ。
これまで戦ってきた刺客たちとは真逆に位置する、王道の剣である。
武士による武士のための剣だ。いまの世の剣だ。
藩の指南役という立場ならば、当然ともいえる武芸である。
みんな命懸けであった。
歪んではいたものの必死であった。
なのに、この男の剣にはそれがない。
いつも兄の陰にこそこそ隠れて、騙し討ちやら闇討ちばかり。
そのせいで刀に宿るはずの重みが失せている。
だから……ちっとも怖くない!
迫る東條恭之進の刃にみずから近づいた狐侍は、さらにもう一歩前へと。
振り下ろされる刀の奥へと踏み込んだところで、地から天へと翻ったのは狐侍の小太刀である。さながら燕が飛ぶがごとき動きにて切っ先が閃く。
斬っ!
東條恭之進の右手首が刀を握ったまま宙を舞う。
たちまち溢れる血潮、苦悶にて顔を歪めながらも「おのれ」と吠え、すぐさま左手にて脇差を抜く東條恭之進であったが、左手首までもが切り落とされて勝負あり!
影星は両腕を失い、己が血溜まりに沈むことになった。
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