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其の三百七十三 栗尽くし
しおりを挟むどんどん火勢が増し、黒煙が垂れ込める瑞雲寺の建屋内。
そこかしこにてぱちりと火の粉が盛大にはねては暴れ、熱い風が吹き、喉を灼く。
炎が蛇のように床を這っては、柱にまとわりつき、やがて天井をも焼き焦がす。
そんな火事場をのしりのしり、黒銀虎は悠然と歩いていた。
「あらよっと」
運悪くかち合った者ども、虎の体当たりを喰らっては吹き飛ぶ。襖を破り、廊下へと転がるはめになる。
勇ましくも立ち向かってくる者あらば、ひょいと前足でひと撫で、爪にて一閃。たちまち、ぱきんと刀を折られ、槍は砕けて、やられた側は目をぱちくり。
それに目を細めては銅鑼がにたりと獰猛な笑みを浮かべれば、「うひゃあ」と恥も外聞もなく逃げ惑う者が続出する。
「銅鑼っ」
喧騒のさなか、虎に駆け寄った狐侍が「長七郎殿は?」と小声で訊ねれば「心配いらねえ、ちょいとひとっ飛びして、隣の山の天辺に生えている杉の木の根元に置いてきた」とのこと。
だから、とりあえずはひと安心?
「それよりも藤士郎、妙だぞ。いくらなんでも火のまわりが早や過ぎる。こいつはひょっとしたらひょっとするぞ」
そのことは狐侍も気になっていた。
戦いながらあちこち駆けずり気づいたのだが、寺のそこかしこに火種になるものが点在している。もしかしたら、最終的には不都合な一切合切を火にくべて、まとめて燃やしてしまう算段だったのかもしれない。
「寺の者たちはどうしたのだろう? まさかすでに……」
「あー、それなら心配いらん。庫裏(くり)の方でふん縛られているのを見つけたから、縄を切っておいた。今頃は泡を喰って逃げ出しているだろうよ」
それを聞いて狐侍もひと安心したころで。
「雑魚たちの相手を頼めるかい? 私は獅子身中の虫を狩ってくるから」
「……そういえば藤士郎、ちょいと小耳に挟んだんだが、嘉谷藩には『栗尽くし』なる名物の菓子があるそうなんだが。せっかく遠出をしたことだし、なぁ」
「わかった、わかった。ことがすんだらいくらでもご馳走するから」
「あと、おみつのところの団子の味も恋しいんだが……」
「ぐぬぬぬっ、銅鑼ってばこっちの足下をみて」
「で、どうなんだ藤士郎?」
「……あー、もう! こうなりゃ自棄だ。矢でも鉄砲でも持って来いってんだ」
「ははは、交渉成立だな。――って! 連中、本当に矢と鉄砲を持ってきやがったぞ」
「うそっ!」
狐侍と銅鑼がごにょごにょやっていたら、廊下の向こうから矢を射かけられ、鉄砲が火を噴いたものだからたまらない。
すぐさま散開する狐侍と銅鑼、銅鑼は飛び道具を構えている連中のもとへと突っ込み、それを横目に狐侍は東條恭之進の姿を求めて駆け出した。
◇
燃え盛る境内をよそに、いまだに火の気配がまるでない一角があった。
本堂の西側にある長い建物は、京の三十三間堂を真似て建てたというもの。
長い濡れ縁を歩いていたのは東條恭之進である。
何やら大きな包みを小脇に抱えているところを発見した狐侍は、「おい、影星、どこへ行くつもりだ? 道を間違えるな。そっちは冥土ではないぞ!」と声をかける。
ゆっくりと振り向いた東條恭之進は「ちっ」と舌打ちにて、荷物をそっと置いた。
手下の者どもは使い捨てにするくせに、その荷物は随分と大事にしている。
大きさは八つの子どもの背丈ぐらいもあろうか。
中身が気になるところだが、それよりもまずはこの大きな虫をどうにかせねばならぬ。
「わざわざ死に来たか? 九坂藤士郎!」
吠えながら腰の得物を抜いた東條恭之進が、刀を上段に構えた。
一分の隙も無い見事な構えにて、さすがは藩の剣術指南役である。
だがしかし、これまで対峙してきた者たちのような凄味はまるで感じられない。
狐侍は駆け寄りながら、小太刀を抜いて逆手に持った。
みるみる両者の距離が縮まっていく。
気合いを発し、東條恭之進が床を強く踏み鳴らし、大きく前へと出る。
振り下ろされた剣が雷光のごとく閃き、向かってくる狐侍の脳天へと吸い込まれるようにして落ちていく。
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