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其の三百七十一 影星
しおりを挟む投げた愛刀がおもいのほかに遠くにまで飛んでいたもので、回収するのに手間取った。
さいわいなことに頑丈な鳥丸は刃こぼれひとつしておらず、刀身も歪んでなくて藤士郎はほっとするも、鞘の方はかなりがたがきている。
「さすがにこれは新しく作り直したほうがよさそうだね。いっそのことこちらも総鉄造りにしてしまってもいいけど、それをすると重いからなぁ」
ぶつぶつつぶやきながら藤士郎が石段のところに戻ってくると、銅鑼と長七郎が首がおかしな方に曲がった骸を前に、しかめっ面をしていた。
「ここでも待ち伏せとは……。しかし瑞雲寺は嘉谷家の菩提寺ですよね? いわば主家のお膝元で、だからこそ待ち合わせ場所として指定されたはずなのに」
行く先々で次々とあらわれる刺客たち。執拗な追跡と繰り返される襲撃だが、さすがに目的地のすぐ手前で襲うのは、大胆が過ぎるというもの。
それを長七郎は訝しんでいた。
すると銅鑼が「ふん」と鼻を鳴らす。
「……つまりは、そういうことなんだろう。ここはとっくに敵地だってことだ。で、どうする藤士郎、このまま正直に進んだところで、待っているのはどうせろくなもんじゃないだろう」
「あー、うん、そうだね。私の仕事はあくまで瑞雲寺に長七郎殿を届けるまでなんだけど、それでばっさり殺られたら、目も当てられないよ。なにより、これまで苦労が台無しになるのは業腹だ。いい加減、私も腹を立てているのさ。だからねえ、こんなのはどうだろうか――」
藤士郎が声を潜めて、じつは前々から考えたいた策をごにょごにょ。
これを聞いた長七郎は「そんなことが本当にできるのですか?」と目を見張り、銅鑼は「そいつはおもしろそうだ」とにやり。
『群れ集う凶星たちのすぐそばに、まるで影のように張りつき隠れ潜む気配がある。真に用心するべきはその者……ゆめゆめ注意を怠るな』
との巌然和尚の忠告もある。もうひと波乱は必至にて。
ゆえに一同は段取りを詰めるべく、角を突き合わせてはひそひそひそ。
◇
瑞雲寺の山門を潜ったのは藤士郎と長七郎である。銅鑼の姿はない。
これを出迎えたのは寺男にて、彼に案内されるままに寺院建屋の中へと。
坊主頭の姿はない。ときおり見かけるのはすべて武士である。警護についている嘉谷藩の家臣らであろう。
だが銅鑼がにらんだ通りであれば、まず間違いなく城代家老一派である。まんまと入れ替わっては、獲物がみずから飛び込んでくるのを口を開けて待つという算段なのであろう。
建屋内では身形がきちんとした武士が案内を引継ぎ、ふたりは院のさらに奥へと連れて行かれた。
ふたりが案内されたのは、奥の院の最深部にある秘仏を守り祀る間であった。上品な香が焚かれている。
そこで「遠路はるばるよくぞ参られた」と労いの言葉をかけてくれたのは、恰幅のいい武士だ。
預かった荷の受け取り人――嘉谷藩の剣術指南役の東條恭之進である。
ぱっと見には、いかにも立場に見合った人相風体と貫禄にて、不審な点は微塵も感じさせない。
けれども藤士郎は、香の匂いにまぎれて漂うかすかな血の匂いに気がついていた。
匂いのもとは目の前の御仁の脇に置いてある刀から漏れ伝わってくる。
斬ってから間もないのであろう。きちんと手入れをする暇がなかったのか、どうせばれぬとたかをくくったか。
たしかにちょっと斬ったぐらいならば、いかに藤士郎の鼻とて気づかなかっただろう。
けれども、これはちょっとどころではない。がっつりだ。おそらくは胴を深々と薙ぎ払ったか、あるいは首を刎ねたか。
こうなると刀に染みついた血と死の穢れはなかなか消えない。刀自身がざわついて、落ち着きを取り戻すまでに、しばし時間がかかるのだ。
かくいう藤士郎の小太刀も、まだ鼻息が荒いからこそ、似たような気配を漂わせている相手の刀に気がつけたのだけれども……。
けれども藤士郎はそのことを億尾にも出さず。
素知らぬふりにて、長七郎の身柄引き渡しの手続きを完了した。
自然な流れにて引き離される藤士郎と長七郎、とたんに敵勢が馬脚をあらわす。
別室へと連れていかれた長七郎であったが、秘仏の間を出てすぐに「ぎゃっ」
外から聞こえてきたのは断末魔の叫び声。
長七郎が斬られた!
慌てて腰を浮かせた藤士郎が襖に手をかけ廊下に出ようとしたところで、背後に忍び立つ東條恭之進がそろりと刀を抜いた。
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