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其の三百六十九 狐侍と双剣鬼 前編
しおりを挟む嘉谷藩内では人の多いところほど妙な緊張感が漂っていた。
道行く人たちは足早やにて、連れ立って歩いていてもほとんど相好を崩さず、言葉も少なめ。
町中は平穏を装っているが、みな伏せ目がちでどこか空々しい。
武士の姿はほとんどみかけない。
いたとしても必ず複数で徒党を組んでは周囲を警戒しており、うかつに近づけば、いきなり斬りつけられかねないような剣呑な雰囲気である。
お世継ぎを巡る謀略、城代家老一派とこれに与するのをよしとはせぬ一派。
上の対立がそのまま下に持ち込まれている。敵味方が入り乱れて、混沌に拍車をかけており、その余波が市井や民草にも及んでいることは明白だ。
そんな処へ他所からきた人間が足を踏み入れれば、当然ながら目立つ。
藤士郎、長七郎、銅鑼ら一行は、つねに自分たちを値踏みするかのような視線を感じつつ先を急ぐ。
さすがに餓鬼玉や屍蝋のようなことはもう起こらないだろうが、万が一ということがある。これ以上、無関係の者を巻き込むわけにはいかない。
一行が瑞雲寺のある山に到着した時には、とっぷり陽が暮れていた。
山門へと続く石段を見上げれば、淡い明かりが並んでいる。両脇に等間隔で設置された灯篭のものだ。寺社がまとう静謐、厳かな空気と相まって、幻想的な光景を作りだしている。
いざ、石段に足をかけたところで先頭を歩いてた藤士郎の動きが止まった。
狐侍がじっとにらむのは斜め上、石段のずっと上の方……。
「先行するよ。銅鑼と長七郎はあとからついてきて」
返事を待たず、藤士郎はひとり石段をのぼり始めた。
◇
始めのうち、狐侍は用心しながら一段一段をゆっくりと進んでいた。
だがじょじょに足の運びが速くなっていく。
ついには一段飛ばしにて駆け足となった。
視界の隅を石灯籠の列が流れていく。じきにそれすらも意識の中から追い出した。
いま注視すべきは石段の上方のみ。
するとそんな狐侍の動きに呼応するかのようにして、猛然と向かってくる足音があった。
たたたたたたた……。
気配を隠すつもりは微塵もない。
ばかりか殺気も剥き出しにて、滑空でもするかのごとき勢いにて降ってくるのは、まぎれもなく敵!
敵を目視した瞬間、狐侍が連想したのは両翼を広げた鴉であった。
黒い翼に見えたものの正体が二刀流の小太刀だと気づいたときには、敵は無言のまま跳躍していた。
互いの距離がいっきに縮まる。
駆け下りる者と、駆け上がる者と。
勢いがあるのは前者だ。まともに打ち合えば押し負ける。
ゆえに迎え討つべく小太刀を抜いた狐侍は刺突を繰り出す。だが放った突きは空を切る。
両者が交差する寸前、敵がさらに地面を蹴って跳躍していたのだ。
軽々と狐侍の頭上をも越えた敵の凶刃が閃く。狙うは狐侍の首のうしろあたり。
これを前に倒れ伏せることで、どうにかかわす狐侍だが、ちくりと痛みを感じて「くっ」
斬られた。かすり傷程度とはいえ、切っ先があとほんの少し深く入っていたら、それで終わっていた。だが、どうにかしのぐ。
狐侍はすかさず跳ね起き、振り返ろうとする。
この時点で互いの位置が入れ替わっているはず。あれだけ勢いよく駆けおり跳んだのだ。足場が不自由なことからして着地には手間取るはず。きっとすぐには動けない。
そこを狙う。次は自分の番だと狐侍は考えていた。
なのに、いるはずの相手がいない? 肝心の敵の姿が消えていた。
だからとて実際に消えたわけではない。狐侍が左に身をひねり振り向く。その動作に合わせて、相手が横へと跳ねたがゆえに、消えたように見えただけのこと。着地の衝撃をほとんど殺しての妙技であった。
やったことは単純だ。だが、誰にでもできる芸当ではない。強靭かつしなやかな下半身があったればこそ。それに宙であれほど激しく身を踊らせてもなお、軸がぶれず、天地をも見失わないのも凄い。
敵影が視界の隅をちらり。狐侍は敵の姿を追いきれず。
一度ならず二度までも背後を取られた狐侍へと迫るふたつの銀閃。
黒い翼が閉じるかのようにして振るわれた小太刀二刀流。速い! 迫る切っ先を前にして、狐侍が放ったのは足! 相手の左手首辺りを蹴り上げる。
飛びかかろうとしていたところに、おもわぬ反撃を受けて、敵の身が傾ぐ。
傾いだ分だけ生じた隙間、そこを潜り抜けるようにして窮地を脱した狐侍であったが、無傷とはいかず。
信じられないことに、あの刹那の攻防のさなか、敵は刀をとっさに逆手に持ち替えてはすれ違いざまに追撃を放っていたのである。
肩口を切り裂かれた狐侍は、傷の具合をたしかめつつ素早く立ち上がり、ようやく敵の姿を正面からしっかり見ることができた。
石段を挟んで左右に分かれてにらみ合う両雄。
狐侍を待ち受けていたのは鬼平太である。
裏の世界で双剣鬼の異名を持つ男は、両腕をだらりと下げた格好にて「ほぅ」と感慨深げに狐侍を見つめている。
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