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其の三百六十 因果の影
しおりを挟む長い石段が上へとのびている。
両脇には紅葉が植えられており、秋になれば目にも鮮やかな燃える回廊となるのだが、いまは青々としている。
落ち葉を避けながら石段を器用に駆けあがり、つねに開放されている山門をくぐる。
朝もやの煙る瑞雲寺の境内を音もなく横切ったのは、朧一家にて主に伝令役を務めている雉丸であった。
紅夜佗と麻霧のもとへと首領の言葉を伝えるついでに、寿慶のところに立ち寄ってからの帰還。
雉丸は境内を裏の方へと回り、本堂から通じている渡り廊下へと近づき、そこから奥の院の建屋内へと入った。
寺の奥には開祖が残したという秘仏を安置している堂舎がある。
お披露目されるのは、ここを菩提寺としている嘉谷家が代替わりする時のみと定められている。
そんな大事は秘仏が保管されている一室にて、まるで瞑想でもしているかのごとく鎮座している者がいた。
白髪混じりの総髪を簡単にうしろでまとめただけにて、目を閉じてはじっとしている姿は、まるで幽鬼のごとき男……朧一家の首領である鬼平太だ。
燭台の蝋燭の小さな火が、風もないのにかすかに揺れた。
鬼平太がゆっくりと瞼を開けると、部屋の隅に平伏している雉丸の姿があった。
「戻ったか。して、どうであった?」
「……はい。紅夜佗と麻霧はふたりで動くことはなく、別々に仕掛けるそうです。寿慶様はすでに村にて術の仕上げに入っており、『死にたくなければ近寄るな』とのこと」
朧一家の者らが藤士郎と長七郎たちをつけ狙うかたわら、呪術師である寿慶は遠く離れた江戸にいる巌然との呪術合戦に明け暮れていた。
だが、不覚をとり呪詛返しを喰らったことにより寿慶は激怒、ついに自身が持つ最大の呪術を使うことを決めた。
ただし、その術は秘中の秘にて実行するのにはいろいろと必要なものがある。
そのために寿慶は嘉谷藩内で以前より目をつけていた村へと入っていた。
報告を受けた鬼平太がくつくつ笑い「そうか」とだけ。
鬼平太が手招きをする。
近くに寄れとのこと。雉丸は平伏したままの姿勢にて、すすすとにじり寄る。
だがしかし――。
ばっと跳ね起きた雉丸が後方へと飛び退る。
その肩口が血濡れており、鬼平太の手にはいつ抜いたのか小太刀が握られていた。
いきなり斬りつけられた!
困惑する雉丸に、鬼平太は「ほう、いまのをかわすのか。さすがだな雉丸」とつぶやきつつ、ゆっくりと立ち上がる。
たちまち解き放たれる殺気が熱を持ち、ぶわっと雉丸の顔を打つ。
戯れではない。
本気だ。首領は本気で仲間を討とうとしている。
「……なぜ?」
との雉丸の短い問いに、鬼平太は「なに、いい機会だから身の回りを少し片付けようとおもってな」と口の端をわずかに上げた。
片付けるもなにも朧一家はすでにがたがただ。歯の抜けた櫛のようなもの。
これ以上、いったい何を……と考えたところで、雉丸はあることに思い至って、ぎりっと奥歯を噛みしめた。
此度の嘉谷藩を巡る御家騒動。
朧一家は城代家老一派に与している。
多額の金子で雇われたのだが、その報酬とはべつに密約が結ばれているのではとの噂があった。
事が成就した暁には、鬼平太率いる朧一家を高禄にて藩に迎え入れるというもの。
そのことは雉丸も小耳に挟んでいた。
だが眉唾話であろうと信じてはいなかった。
なぜなら、いっぱしの藩が薄汚れた殺し屋集団を都合よく使い潰すことこそすれ、これを大事に飼うとはとてもおもえなかったからである。
甘い話、どう考えても、鼻先にぶら下げられた疑似餌であろう。
まずい仕掛けにてこんな陳腐なもの、飢えた鼠でも喰いつかぬ。
だから一笑に伏していたのだけれども……。
鬼平太らしからぬ判断であった。いったい何を考えているのやら。
ついに耄碌したかと雉丸はにらみつつ、きびすを返し背後の襖に体当たり。
灯りの届かぬ次の間へと飛び込み薄闇にまぎれ、そこから廊下へと出て、縁側から庭へと降り逃げる算段であった。
けれども長い廊下へと出たところで、凄まじい剣気が追ってきた。
雉丸の動きを読んで、いち早く廊下に出ていた鬼平太であった。
死を運ぶ風、容赦のない銀閃が迫る。
対して、しなやかに体をのけ反らせつつ、ばく転にて雉丸はこれをかわす。
元忍びである雉丸の身が三度ばかりくるくると後方へ軽やかに舞っては、鬼平太から距離をとって着地するも、その身がぐらりと傾ぐ。
雉丸の右脚の足首から先が失せていた。
それでも雉丸は片足立ちとなり、縁側から庭へとひらり。
だが今度はうまく着地できず。
足の怪我のせいではない。不意に横合いからあらわれた者の手によって、宙にて左足首をも両断されてしまったからである。
いかに雉丸とて両足を失っては逃げられない。
地面に四つん這いとなった雉丸が、新手の方に顔を向けるも途端に驚愕の表情となった。
「なっ、どうしてお前が!」
大きく目を見開く雉丸であったが、相手の返答は言葉ではなくて刃であった。
◇
首を切り落とされた骸を見下ろしつつ。
「いい動きだった。ちともったいない気もするが。これでよかったのか兄者よ」
と言ったのは恰幅のいい武士であった。
嘉谷藩の剣術指南役を務めている東條恭之進(とうじょうやすのしん)にて、藩に巣食う獅子身中の虫のうちの一匹。表向きは殿に従っているふりをして、裏では城代家老一派と繋がっている背信者。
だがそれすらも借りの姿……、その正体は鬼平太の腹違いの弟にして朧一家の懐刀、十二番目の刺客であった。
このことを知るのは、兄の鬼平太をのぞけば最古参の寿慶のみ。
「かまわん。今後のことを考えれば、余計な過去を知る者は少ないのにこしたことはない」
「まぁな。して、寿慶の方はどうするつもりだ」
「あれか? あれはまだ使えるからしばらくは生かしておく」
「そうか、わかった。では、こっちはこっちで仕上げの準備にかかるとしよう」
「うむ、では頼んだぞ」
群れ集う凶星たちのそばに潜む影あり……。
巌然が銅鑼を通じて藤士郎に届けた忠告は、十二番目の刺客のことを指していたのだが、この時点では藤士郎が知る由もなく。
陰謀渦巻く瑞雲寺――。
そうとも知らずにこの地を目指している、藤士郎たちを含めた七組の囮たち。
より苛烈さを増す戦いの中、はたして何組が生き残り、最後に誰が勝利を手にするのか。
藩の命運を左右する決死行もいよいよ終盤へと差し掛かろうとしている。
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