狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
360 / 483

其の三百六十 因果の影

しおりを挟む
 
 長い石段が上へとのびている。
 両脇には紅葉が植えられており、秋になれば目にも鮮やかな燃える回廊となるのだが、いまは青々としている。
 落ち葉を避けながら石段を器用に駆けあがり、つねに開放されている山門をくぐる。
 朝もやの煙る瑞雲寺の境内を音もなく横切ったのは、朧一家にて主に伝令役を務めている雉丸であった。
 紅夜佗と麻霧のもとへと首領の言葉を伝えるついでに、寿慶のところに立ち寄ってからの帰還。
 雉丸は境内を裏の方へと回り、本堂から通じている渡り廊下へと近づき、そこから奥の院の建屋内へと入った。

 寺の奥には開祖が残したという秘仏を安置している堂舎がある。
 お披露目されるのは、ここを菩提寺としている嘉谷家が代替わりする時のみと定められている。
 そんな大事は秘仏が保管されている一室にて、まるで瞑想でもしているかのごとく鎮座している者がいた。
 白髪混じりの総髪を簡単にうしろでまとめただけにて、目を閉じてはじっとしている姿は、まるで幽鬼のごとき男……朧一家の首領である鬼平太だ。
 燭台の蝋燭の小さな火が、風もないのにかすかに揺れた。
 鬼平太がゆっくりと瞼を開けると、部屋の隅に平伏している雉丸の姿があった。

「戻ったか。して、どうであった?」
「……はい。紅夜佗と麻霧はふたりで動くことはなく、別々に仕掛けるそうです。寿慶様はすでに村にて術の仕上げに入っており、『死にたくなければ近寄るな』とのこと」

 朧一家の者らが藤士郎と長七郎たちをつけ狙うかたわら、呪術師である寿慶は遠く離れた江戸にいる巌然との呪術合戦に明け暮れていた。
 だが、不覚をとり呪詛返しを喰らったことにより寿慶は激怒、ついに自身が持つ最大の呪術を使うことを決めた。
 ただし、その術は秘中の秘にて実行するのにはいろいろと必要なものがある。
 そのために寿慶は嘉谷藩内で以前より目をつけていた村へと入っていた。

 報告を受けた鬼平太がくつくつ笑い「そうか」とだけ。
 鬼平太が手招きをする。
 近くに寄れとのこと。雉丸は平伏したままの姿勢にて、すすすとにじり寄る。
 だがしかし――。

 ばっと跳ね起きた雉丸が後方へと飛び退る。
 その肩口が血濡れており、鬼平太の手にはいつ抜いたのか小太刀が握られていた。
 いきなり斬りつけられた!
 困惑する雉丸に、鬼平太は「ほう、いまのをかわすのか。さすがだな雉丸」とつぶやきつつ、ゆっくりと立ち上がる。
 たちまち解き放たれる殺気が熱を持ち、ぶわっと雉丸の顔を打つ。
 戯れではない。
 本気だ。首領は本気で仲間を討とうとしている。

「……なぜ?」

 との雉丸の短い問いに、鬼平太は「なに、いい機会だから身の回りを少し片付けようとおもってな」と口の端をわずかに上げた。
 片付けるもなにも朧一家はすでにがたがただ。歯の抜けた櫛のようなもの。
 これ以上、いったい何を……と考えたところで、雉丸はあることに思い至って、ぎりっと奥歯を噛みしめた。

 此度の嘉谷藩を巡る御家騒動。
 朧一家は城代家老一派に与している。
 多額の金子で雇われたのだが、その報酬とはべつに密約が結ばれているのではとの噂があった。
 事が成就した暁には、鬼平太率いる朧一家を高禄にて藩に迎え入れるというもの。
 そのことは雉丸も小耳に挟んでいた。
 だが眉唾話であろうと信じてはいなかった。
 なぜなら、いっぱしの藩が薄汚れた殺し屋集団を都合よく使い潰すことこそすれ、これを大事に飼うとはとてもおもえなかったからである。
 甘い話、どう考えても、鼻先にぶら下げられた疑似餌であろう。
 まずい仕掛けにてこんな陳腐なもの、飢えた鼠でも喰いつかぬ。
 だから一笑に伏していたのだけれども……。

 鬼平太らしからぬ判断であった。いったい何を考えているのやら。
 ついに耄碌したかと雉丸はにらみつつ、きびすを返し背後の襖に体当たり。
 灯りの届かぬ次の間へと飛び込み薄闇にまぎれ、そこから廊下へと出て、縁側から庭へと降り逃げる算段であった。
 けれども長い廊下へと出たところで、凄まじい剣気が追ってきた。
 雉丸の動きを読んで、いち早く廊下に出ていた鬼平太であった。
 死を運ぶ風、容赦のない銀閃が迫る。
 対して、しなやかに体をのけ反らせつつ、ばく転にて雉丸はこれをかわす。

 元忍びである雉丸の身が三度ばかりくるくると後方へ軽やかに舞っては、鬼平太から距離をとって着地するも、その身がぐらりと傾ぐ。
 雉丸の右脚の足首から先が失せていた。
 それでも雉丸は片足立ちとなり、縁側から庭へとひらり。
 だが今度はうまく着地できず。
 足の怪我のせいではない。不意に横合いからあらわれた者の手によって、宙にて左足首をも両断されてしまったからである。
 いかに雉丸とて両足を失っては逃げられない。
 地面に四つん這いとなった雉丸が、新手の方に顔を向けるも途端に驚愕の表情となった。

「なっ、どうしてお前が!」

 大きく目を見開く雉丸であったが、相手の返答は言葉ではなくて刃であった。

  ◇

 首を切り落とされた骸を見下ろしつつ。

「いい動きだった。ちともったいない気もするが。これでよかったのか兄者よ」

 と言ったのは恰幅のいい武士であった。
 嘉谷藩の剣術指南役を務めている東條恭之進(とうじょうやすのしん)にて、藩に巣食う獅子身中の虫のうちの一匹。表向きは殿に従っているふりをして、裏では城代家老一派と繋がっている背信者。
 だがそれすらも借りの姿……、その正体は鬼平太の腹違いの弟にして朧一家の懐刀、十二番目の刺客であった。
 このことを知るのは、兄の鬼平太をのぞけば最古参の寿慶のみ。

「かまわん。今後のことを考えれば、余計な過去を知る者は少ないのにこしたことはない」
「まぁな。して、寿慶の方はどうするつもりだ」
「あれか? あれはまだ使えるからしばらくは生かしておく」
「そうか、わかった。では、こっちはこっちで仕上げの準備にかかるとしよう」
「うむ、では頼んだぞ」

 群れ集う凶星たちのそばに潜む影あり……。
 巌然が銅鑼を通じて藤士郎に届けた忠告は、十二番目の刺客のことを指していたのだが、この時点では藤士郎が知る由もなく。
 陰謀渦巻く瑞雲寺――。
 そうとも知らずにこの地を目指している、藤士郎たちを含めた七組の囮たち。
 より苛烈さを増す戦いの中、はたして何組が生き残り、最後に誰が勝利を手にするのか。
 藩の命運を左右する決死行もいよいよ終盤へと差し掛かろうとしている。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

高槻鈍牛

月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。 表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。 数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。 そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。 あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、 荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。 京から西国へと通じる玄関口。 高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。 あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと! 「信長の首をとってこい」 酒の上での戯言。 なのにこれを真に受けた青年。 とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。 ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。 何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。 気はやさしくて力持ち。 真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。 いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。 しかしそうは問屋が卸さなかった。 各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。 そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。 なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

処理中です...