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其の三百五十九 残り火
しおりを挟む隧道の入り口付近にて行ったり来たりと落ち着かないのは長七郎である。
藤士郎はひとり中へと入った。かれこれ四半刻ほども経とうとしているのに、いっこうに戻ってくる気配がない。
「遅いですね」
中で何かあったのかもしれない。
心配にて、長七郎はずっとうろちょろしっぱなし。
そんな長七郎がいきなり突き飛ばされた。
犯人は銅鑼だ。いつのまにかでっぷり猫から有翼の黒銀虎へと戻っての、仕業だった。
大きな虎の体当たり、長七郎は手もなくはじかれたばかりか、倒れたところへむぎゅっと虎がのしかかってきたもので、ろくに声も出ない。
直後のことであった。
隧道の奥から風の塊が押し寄せてきたとおもったら、続けて轟っと吹き出してきたのは炎である。
いきなり穴が火を噴いた!
もしもあのまま入り口前にいたら、長七郎は炎風の洗礼をもろに受けて、いまごろ死んでいたことであろう。
穴の中の異変をいち早く察した銅鑼が庇ったがゆえに、長七郎は助かった。
だがしかし……。
「こんな……いきなりどうして……。はっ、九坂殿は? まさか、そんな!」
事態に慌てふためく長七郎だが、銅鑼はしばし鼻をすんすんさせてから、「ふん、問題ない。あれは相当にしぶといからな」と言った。
するとその通りにて、しばらくしてから「けほけほ」咳き込みながら、隧道の奥から藤士郎が姿を見せた。
顔はすっかり煤塗れ、髪の毛の端が焼け縮み、身につけていた道中羽織も焦げて無惨な姿になっていたけれども、いちおうは無事である。
麻霧の情炎による無理心中。
逃げ場のない隧道内にて、しかも緩やかな坂となっていたもので、いかに藤士郎が懸命に駆けようとも逃げきれるものではなかった。
ならばと、とっさに身を隠したのが隧道の途中にあった窪みである。
長身な藤士郎ではいささか狭いものの、痩身なのがさいわいしどうにか潜り込めた。あとは運を天にまかして、できるかぎり小さくなって女難の災禍が過ぎるのを待つばかり。
吹き荒れる死の旋風、道内を炎が駆け巡るさなか、藤士郎は麻霧の笑い声を聞いたような気がしたが、たぶんそれは幻聴であろう。
◇
藤士郎は近くの山肌から湧いている岩清水で顔を洗い、喉を潤おし、身なりを整えた。
爆発は一瞬のことであった。
表から見た限りでは隧道そのものは無事だ。頑強にてびくともしていない。とはいえ、内部は空気がすっかり失せた状況にて、熱もやや篭っていたがゆえに、それが落ち着くのをしばし待つ。
本音を言えば、藤士郎はふたたび隧道に立ち入るのが躊躇われた。
なんとなく、まだ中に麻霧の情念が残っているようで、それが恐ろしかったのである。
とはいえここを通らねば険しい山越えとなる。
旅程は押しており、先を急ぐ身としては遠回りをしている余裕はない。
大きく深呼吸をしてから、藤士郎は覚悟を決めて「そろそろ行こうか」とみなに告げた。
てっきり火事の跡みたいに焼け焦げた匂いが充ちているのかとおもいきや、隧道の内部の空気は一新されており、むしろ清々しいぐらい。
燃えるものといえば人体と着物ぐらい、爆ぜたのは溜まっていた空気ばかり、あとは固い岩しかなかったのがさいわいしたか。
慎重に進む一行は、藤士郎が身を潜めた窪みのところにまでやってきた。
それを通り過ぎ、半ばを越えたあたりで藤士郎の顔に緊張の色が浮かぶ。
この先に転がっているであろう存在のことを考えれば、それも無理からぬことであった。
つんと臭気が強くなった。
薄暗がりゆえに詳細まではわからない。
それは道の隅に転がるようにして仰向けで倒れていた。
みずからの情炎で果てた骸……様子についてはあえて語るまい。きっと生前には美貌を誇っていたことであろう。それを思えば、憐れな末路であった。
思わず足を止める藤士郎をよそに、まず銅鑼が骸の脇を抜けた。
長七郎も顔をそむけたまま、口や鼻を袖で隠しつつ足早やに通り過ぎた。
藤士郎もこれに続こうとしたのだけれども、ふと憐憫の情が湧いたもので、立ち止まり手を合わせようとしたのだけれども――。
不意に立ち昇ったのは、あの甘い香り。
黒い骸の口が動いて、白い歯が見えていた。
ばかりか、閉じられていたはずの両の瞼がぱちりと開く。
血走った女の目がしっかと藤士郎を見ていた。
男と女、互いの視線が重なり、絡み合う。
いまだに燻り続けている麻霧の上体がゆっくりと起き上がり、手をのばす。
刹那、藤士郎は腰の小太刀を抜かず。
かわりにその手をとって、抱き寄せていた。
どうしてそんなことをしたのかは、自分でもよくわからない。だが、無情に斬り捨ててはいけない、そんな気が強くしたのだ。
「もういいんだよ。貴女の想いはしかと受け取ったから、もうお休みなさい」
耳元で藤士郎がそう囁くと、麻霧の目が一瞬だけ大きく見開かれた。
「あな、うれ……し……や……」
そうつぶやいたところで、麻霧の体からふっと何かが抜けたような気がして、それきり彼女は動かなかった。
見開かれたままの女の目をそっと閉じてやり、その身を横たえてやったところで、銅鑼が「ふぅ、でかした藤士郎。もしもあそこで斬っていたら、きっと厄介なことになっていたぞ」と言った。
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