狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
359 / 483

其の三百五十九 残り火

しおりを挟む
 
 隧道の入り口付近にて行ったり来たりと落ち着かないのは長七郎である。
 藤士郎はひとり中へと入った。かれこれ四半刻ほども経とうとしているのに、いっこうに戻ってくる気配がない。

「遅いですね」

 中で何かあったのかもしれない。
 心配にて、長七郎はずっとうろちょろしっぱなし。
 そんな長七郎がいきなり突き飛ばされた。
 犯人は銅鑼だ。いつのまにかでっぷり猫から有翼の黒銀虎へと戻っての、仕業だった。
 大きな虎の体当たり、長七郎は手もなくはじかれたばかりか、倒れたところへむぎゅっと虎がのしかかってきたもので、ろくに声も出ない。

 直後のことであった。
 隧道の奥から風の塊が押し寄せてきたとおもったら、続けて轟っと吹き出してきたのは炎である。
 いきなり穴が火を噴いた!
 もしもあのまま入り口前にいたら、長七郎は炎風の洗礼をもろに受けて、いまごろ死んでいたことであろう。

 穴の中の異変をいち早く察した銅鑼が庇ったがゆえに、長七郎は助かった。
 だがしかし……。

「こんな……いきなりどうして……。はっ、九坂殿は? まさか、そんな!」

 事態に慌てふためく長七郎だが、銅鑼はしばし鼻をすんすんさせてから、「ふん、問題ない。あれは相当にしぶといからな」と言った。
 するとその通りにて、しばらくしてから「けほけほ」咳き込みながら、隧道の奥から藤士郎が姿を見せた。
 顔はすっかり煤塗れ、髪の毛の端が焼け縮み、身につけていた道中羽織も焦げて無惨な姿になっていたけれども、いちおうは無事である。

 麻霧の情炎による無理心中。
 逃げ場のない隧道内にて、しかも緩やかな坂となっていたもので、いかに藤士郎が懸命に駆けようとも逃げきれるものではなかった。
 ならばと、とっさに身を隠したのが隧道の途中にあった窪みである。
 長身な藤士郎ではいささか狭いものの、痩身なのがさいわいしどうにか潜り込めた。あとは運を天にまかして、できるかぎり小さくなって女難の災禍が過ぎるのを待つばかり。
 吹き荒れる死の旋風、道内を炎が駆け巡るさなか、藤士郎は麻霧の笑い声を聞いたような気がしたが、たぶんそれは幻聴であろう。

  ◇

 藤士郎は近くの山肌から湧いている岩清水で顔を洗い、喉を潤おし、身なりを整えた。
 爆発は一瞬のことであった。
 表から見た限りでは隧道そのものは無事だ。頑強にてびくともしていない。とはいえ、内部は空気がすっかり失せた状況にて、熱もやや篭っていたがゆえに、それが落ち着くのをしばし待つ。

 本音を言えば、藤士郎はふたたび隧道に立ち入るのが躊躇われた。
 なんとなく、まだ中に麻霧の情念が残っているようで、それが恐ろしかったのである。
 とはいえここを通らねば険しい山越えとなる。
 旅程は押しており、先を急ぐ身としては遠回りをしている余裕はない。
 大きく深呼吸をしてから、藤士郎は覚悟を決めて「そろそろ行こうか」とみなに告げた。

 てっきり火事の跡みたいに焼け焦げた匂いが充ちているのかとおもいきや、隧道の内部の空気は一新されており、むしろ清々しいぐらい。
 燃えるものといえば人体と着物ぐらい、爆ぜたのは溜まっていた空気ばかり、あとは固い岩しかなかったのがさいわいしたか。
 慎重に進む一行は、藤士郎が身を潜めた窪みのところにまでやってきた。
 それを通り過ぎ、半ばを越えたあたりで藤士郎の顔に緊張の色が浮かぶ。
 この先に転がっているであろう存在のことを考えれば、それも無理からぬことであった。

 つんと臭気が強くなった。
 薄暗がりゆえに詳細まではわからない。
 それは道の隅に転がるようにして仰向けで倒れていた。
 みずからの情炎で果てた骸……様子についてはあえて語るまい。きっと生前には美貌を誇っていたことであろう。それを思えば、憐れな末路であった。
 思わず足を止める藤士郎をよそに、まず銅鑼が骸の脇を抜けた。
 長七郎も顔をそむけたまま、口や鼻を袖で隠しつつ足早やに通り過ぎた。
 藤士郎もこれに続こうとしたのだけれども、ふと憐憫の情が湧いたもので、立ち止まり手を合わせようとしたのだけれども――。

 不意に立ち昇ったのは、あの甘い香り。

 黒い骸の口が動いて、白い歯が見えていた。
 ばかりか、閉じられていたはずの両の瞼がぱちりと開く。
 血走った女の目がしっかと藤士郎を見ていた。
 男と女、互いの視線が重なり、絡み合う。
 いまだに燻り続けている麻霧の上体がゆっくりと起き上がり、手をのばす。
 刹那、藤士郎は腰の小太刀を抜かず。
 かわりにその手をとって、抱き寄せていた。
 どうしてそんなことをしたのかは、自分でもよくわからない。だが、無情に斬り捨ててはいけない、そんな気が強くしたのだ。

「もういいんだよ。貴女の想いはしかと受け取ったから、もうお休みなさい」

 耳元で藤士郎がそう囁くと、麻霧の目が一瞬だけ大きく見開かれた。

「あな、うれ……し……や……」

 そうつぶやいたところで、麻霧の体からふっと何かが抜けたような気がして、それきり彼女は動かなかった。
 見開かれたままの女の目をそっと閉じてやり、その身を横たえてやったところで、銅鑼が「ふぅ、でかした藤士郎。もしもあそこで斬っていたら、きっと厄介なことになっていたぞ」と言った。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

処理中です...